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済州の旧日本軍飛行場跡地から南京虐殺を振り返る

登録:2015-12-10 22:19 修正:2015-12-11 06:55
日中戦争当時に爆撃機地として使われる 
江汀村の活動家らが13日に追悼式
昨年12月13日、済州西帰浦市大静邑のアルトゥル飛行場跡地で開かれた南京大虐殺犠牲者追慕行事=聯合ニュース

 済州(チェジュ)で中国南京大虐殺の犠牲者を記念する追悼式が開かれる。13日午前11時に開かれる第78周年南京大虐殺の犠牲者追慕祭の場所は、西帰浦(ソグィポ)市大静(テジョン)邑アルトゥル飛行場跡地だ。

 済州西南端にあるアルトゥル飛行場跡地は旧日本軍の飛行場として、日中戦争当時、中国南京などの爆撃機地として使われた。

 19世紀後半から韓中日の真ん中に位置する済州島の戦略的価値を認識してきた日本は、済州道民を強制動員し、1920年代末から太平洋戦争が終わりに差し掛かった1944年まで、アルトゥル飛行場を建設した。防衛庁の資料によると、1937年8月、日中戦争が拡大すると、日本軍は長崎県の大村航空基地から南京を爆撃した。海を渡って爆撃に出た日本軍の飛行機が帰着したのはアルトゥル飛行場だった。以後南京空襲は36回にわたり600機によって行われ、投下された爆弾の量だけでも300トンに達するほどだった。

 南京大虐殺は、日中戦争当時の1937年12月から翌年1月まで南京を占領した日本軍が中国人30万人を虐殺した事件だ。中国南京市南京大虐殺記念館にも、日本が「世界航空戦史上、未曾有の大空襲」と大々的に報道した新聞資料が展示されている。

 今回の追慕祭は、江汀(カンジョン)村の活動家と市民団体「非武装平和の島、済州を作る人々」、「平和の海のための島の連帯」、江汀国際チームなどによって進められた。追悼式に続いて午後7時からは大静邑大静農協の大会議室で南京大虐殺の悲劇を取り上げた映画、『南京、南京』を上映し、討論会を開く。主催側は「南京は過ぎ去った過去ではなく、迫りくる私たちの未来だ。アルトゥル飛行場で悲劇的な未来を直視し、死の谷を離れ、平和と共生の未来へと進む道を共に模索していくために、追慕祭を開いた」と述べた。

ホ・ホジュン記者お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-12-10 19:38

https://www.hani.co.kr/arti/society/area/721326.html 訳H.J

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