韓国教育課程評価院(評価院)が27日に完成した「2015改正教科教育課程試案開発研究2」最終報告書(以下、最終報告書)で、研究陣の反対にもかかわらず「大韓民国政府樹立」を「大韓民国樹立」に直していたことが確認された。 教育部が9月23日に告示した「2015改正教育課程」の内容に合わせるために評価院が無理に報告書を修正したものと見られる。韓国史の代表研究者として参加したカン・ソクァ京仁教大社会教育科教授が研究陣名簿から自身の名前を削除してほしいと要求するなど、大きな波紋が生じている。
29日、カン教授はハンギョレに、11月17日に研究陣が完成した「2015改正教科教育課程試案開発研究2」(以下、研究報告書)と11月27日に研究責任者であるチン・ジェクァン国史編纂委員会編史部長(評価院から国編に人事異動)が研究陣に“印刷本”として送ってきた最終報告書を公開した。
二つの報告書を比較すると、「2015高等学校韓国史内容体系および成就基準表」と「2015中学校歴史内容体系および成就基準表」の中で「大韓民国政府樹立」関連部分が全て「大韓民国樹立」に修正されていた。 たとえば高等学校の場合、当初の研究報告書(68ページ)に小主題「大韓民国政府樹立と6・25戦争」となっている部分が最終報告書(67ページ)では「大韓民国樹立と6・25戦争」に変わり、学年(群別)内容(要素)の「大韓民国政府樹立」が「大韓民国樹立」に、成就基準の「8・15光復以後に展開された大韓民国政府の樹立過程を把握する」の部分は「8・15光復以後に展開された大韓民国の樹立過程を把握する」に変わっている。
「大韓民国樹立」は、ニューライト勢力が主張してきた「1948年8月15日建国節」主張と事実上同じ意味だ。 1919年大韓民国臨時政府の法統を否定して、1945年独立以後の政府樹立過程に主導勢力として参加した親日(附逆)派を美化する恐れがあり、歴史教科書国定化過程で尖鋭な論争対称になってきた。
カン教授の説明によれば、今年9月中旬にチン編史部長が一度「大韓民国政府樹立」を「大韓民国樹立」に直すよう注文したことがある。 教育部が9月23日に教育課程を「大韓民国樹立」と告示する予定なので、これに合わせろとの趣旨だった。 当時、韓国史代表研究者のカン教授が「教育部が好き勝手に告示しても、研究陣報告書まで変えろというのは不当だ」と指摘した。 チン編史部長もこれを受け入れて17日の研究報告書までは「大韓民国政府樹立」がそのまま残っていたが、27日に確認した“印刷本”では内容が変えられていた。 当初最終報告書もなしに2015改正教育課程が告示されたことも拙速だが、内容まで“こっそりと”変える姑息なやり方を加えたわけだ。 2011教育課程など以前の教育課程の場合、少なくとも最終報告書が完成された後に告示をするという“順序”程度は守ったとカン教授は説明した。
カン教授は「評価院側で依頼した研究陣が作った報告書とは異なり、教育部が「大韓民国樹立」で告示を強行したという負担を避けるため、最終報告書を直したようだ」と話した。 カン教授はチン編史部長に代表研究者の辞退とともに研究陣名簿から名前を削除してほしいという電子メールを送ったが、29日夜まで回答がなかった。 ハンギョレもチン編史部長に何度も連絡したが答がなかった。 評価院は「研究陣との内容調整は研究責任者であるチン編史部長に一任したし、評価院も具体的なことは分からない」と明らかにした。