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「韓国マルクス経済学の父」キム・スヘン教授死去

登録:2015-08-13 23:21 修正:2015-08-14 09:31
韓国社会の構造的矛盾を批判した“知性”
ソウル大定年退職を控えた2007年、学内の研究室前のベンチに座って所懐を述べる姿。彼は退任後にも旺盛な研究と活動を進めた=資料写真・キム・ギョンホ先任記者//ハンギョレ新聞社

 韓国の代表的なマルクス主義経済学者であるキム・スヘン(金秀行)聖公会大碩座教授(元ソウル大経済学部教授、韓国社会経済学会理事長)が、8月1日午前1時30分(現地時間7月31日午前10時30分)に亡くなった。享年73。

 韓国社会経済学会は、キム教授が子女に会いにアメリカへ行っていて、家族全員が見守る中で亡くなったと2日明らかにした。 死因は心臓マヒ。 葬儀は3日午後3時、アメリカのユタ州モアブで行われる予定だ。

マルクスの『資本論』を韓国初完訳
ソウル大初の「マルクス専攻」教授
国内非主流経済学研究の扉を開く
子供や一般人のための著述も活溌

子女に会いにアメリカに行っていて心臓マヒ
今日家族葬…学界「故人の遺志を継がねば」
最近まで『資本論』の改訳作業に没頭

 キム教授はカール・マルクスの『資本論』を韓国で初めて完訳したことで有名だ。 1980年代まで禁書リストの最上位を占めていた『資本論』(ピボン出版社)を1990年までに完訳し、また最近も『資本論』の全面改訳作業に没頭してきた。ピボン出版社のパク・キボン代表は「『資本論』全5巻を完全に改訳し、平素の持論がそうだったように、すべての人に読みやすく理解しやすいように手を入れて、まもなく印刷に入る予定だった」として「表紙のデザインまで試案の一つを指定してアメリカに発ったほどに愛着を持っていた」と伝えた。

当時ソウル大教授だったキム・スヘン聖公会大碩座教授が翻訳した『資本論』の発刊は、経済学界を越えて韓国の社会と知性史に大きな影響を与えた象徴的事件だった =資料写真・キム・ギョンホ先任記者//ハンギョレ新聞社

 彼の学問的人生は紆余曲折が多かった。 1942年、日本の福岡で生まれ大邱で育ち、ソウル大経済学科で学士と修士を終えた後、1982年ロンドン大学でマルクスの恐慌論を主題に博士学位を受けた。 同年、韓神大貿易学科教授に任用された後、チョン・ウニョン教授(故人)とともにユン・ソヨン教授、カン・ナムフン教授を迎え入れ、経済科学研究所を立ち上げ制度圏マルクス主義経済学の教育と研究の扉を開いた。 学内民主化闘争を理由に1987年に解任された後、1989年ソウル大経済学科に赴任した。 2008年に定年退官すると聖公会大碩座教授として研究と後学の養成に力を尽くしてきた。

 彼のソウル大採用を巡っては、マルクス主義経済学制度化の象徴的な事件も起こっている。 1988年4月、ソウル大学大学院経済学科自治会は専攻教授としてマルクス主義経済学専攻者を迎え入れることを要求し始めた。 当時ソウル大は新古典派の主流経済学教授ばかりであって、学生たちは教授面談、授業拒否、集会と座り込みにより学校側を圧迫した。 当時大学院生だったシン・ジョンワン聖公会大社会科学部教授は「マルクス主義経済学専攻者を選ぶとすればキム教授が一番有力な状況であったし、キム先生を呼んでほしくて大学院生の相当数が集会に参加したと記憶している」と話した。

キム・スヘン教授が2008年西江大で開かれた討論会にペク・キワン統一問題研究所長とともに入場している =資料写真・キム・ギョンホ先任記者//ハンギョレ新聞社

 彼は熾烈に研究する学者だった。 資本主義の問題を痛烈に批判し、教育者としても多くの後学を輩出した。 講壇だけに留まらず、 60種以上の訳書・著書と論文、大衆講演を通してマルクス主義経済学を民主・福祉・労働者の権利向上などと関連させた。 カン・ナムフン韓神大経済学科教授は、「批判的学問不毛の地において、政治経済学という批判の武器を伝授してくださった立派な師匠だった」と回顧した。 弟子であるキム・ゴンフェ ハンギョレ経済社会研究院研究委員も「この分野で世界的な力量を備えた学者として、時代的使命感をもって非主流派経済学の学問的振作に大きく寄与した」と述べた。

 2008年ソウル大定年退任後は、学界が驚くほどの一層旺盛な対外活動と学問的活動を並行した。 2007年~2008年の世界経済危機後は、資本主義を越える「新しい社会」を強調した。 これは市場と資本のみに任せないで国家と市民が一緒に作る新しい経済体制を意味する。 『資本論の現代的解釈』(2008)、『世界大恐慌』(2011)、『マルクスが予測した未来社会』(2012)、『資本論の学習』(2014) などを出した。主流経済学の古典であるアダム・スミスの『国富論』を完訳発刊(1992)したのも彼だ。

 そんな彼の訃報に接した学界の雰囲気は沈痛だ。 その上、2008年の彼の退任後、マルクス主義経済学専攻者が現在までソウル大に採用されておらず、研究の連続性に対する憂慮が再び提起されている。 キム教授の退任とともに同年ソウル大経済学大学院生は、20余年前に先輩たちがしたのと同様に学問の多様性のためにマルクス主義経済学専攻者を後任として選抜してほしいと訴える壁新聞を貼り出した。 他大学の教授80人余もソウル大にマルクス主義経済学専攻者の採用を要求したが、この要望は今日まで実現されていない。 聖公会大、慶尚大など一部の大学でマルクス主義経済学研究者が輩出されてはいるが、ソウル大を含めたソウル・首都圏大学、拠点的国立大へのマルクス主義経済学の後続研究者の学界進入はほとんど塞がれていると言ってもいいほどだ。

 キム・セギュン ソウル大名誉教授は「キム・スヘン教授は韓国社会の構造的矛盾と進むべき方向を提示して、新しい社会に対する羅針盤のような文をたくさん残したが、ソウル大の中で政治経済学研究者の脈が絶たれたことがかえすがえすも残念だ」と語った。 チョン・ソンジン慶尚大経済学科教授(韓国社会経済学会会長)もまた「キム教授の退任後、現在まで韓国の講壇経済学はアメリカ式主流経済学にほとんど独占された状況であり、非主流経済学を勉強する後続研究者の進出が難しく、これを改善する環境を作って行かなければならない」と指摘した。 韓国社会経済学会をはじめとする諸団体は、キム教授の業績を称える追悼行事などを論議中だ。

イ・ユジン、キム・ギュナム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/702742.html 韓国語原文入力:2015-08-02 22:14
訳A.K(2784字)

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