登録 : 2015.07.17 01:24 修正 : 2015.07.17 07:13

 15日午後、東京千代田区にある日本の国会議事堂周辺には何千人もの日本の市民が集まっていた。この日正午頃、連立与党の自民党と公明党が野党の反対を押し切り、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障法案を衆院特別委員会(韓国国会の常任委員会)で通過させたからだ。梅雨が終わって猛暑が始まった東京の日中の気温は35度。真夏の炎天下で「安倍打倒」を叫ぶ日本の市民たちの姿を見ていると、なぜこんな苦労をしなければならないのか急に腹が立ってきた。

 現在、日本ではこの法案が「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と明記した憲法9条に反すとする「違憲論争」が起きている。実際、東京新聞は9日、200人以上の憲法学者を対象にアンケート調査を実施した結果、90%を超える学者が「違憲」と答えたと報じた。この法案が「違憲または違憲性が非常に高い」という学界の一般的な合意が形成されているのだ。

 これに対する自民党の選択は、数的優位を前面にした「強行採決」という極めて強気のものだった。このまま国会で議論を戦わせても、ますます不利になるだけだと判断した安倍晋三首相が、決断を下したのではないかと推測してみるばかりだ。安倍首相周辺で最後の数日間、口癖のように繰り返されてきた「決めるべき時は決める」という言葉も、結局自民党の苦しい立場を自ら認める発言のような気もした。

 ところが、ふと疑問を感じた。なぜ日本人は、このような違憲的な法律に憲法訴願を出さないのだろうか?

 実際、その答えは非常に簡単なようで、もしかしたら非常に複雑なものかもしれない。韓国でも法案が国会を通過する前には違憲訴願を出すのが不可能だが、法が制定されると、憲法裁判所に違憲かどうかの判断を求めることができる。しかし、日本には憲法裁判所がない。だから、法律が違憲かどうかを判断してもらうためには、一般の裁判所に違憲訴訟を起こすしかない。しかし、その訴訟の構造が複雑というのが、日本の弁護士らの説明だ。

 日本ではある法律が違憲かどうかを問うためには、「その法律が合憲か、違憲か」だけを問うわけにはいかず、「違憲法律や政府の行為によって被害が発生したので、これに対する損害賠償をしてほしい」という構図で訴訟を進めなければならない。実際、日本の市民たちは安倍晋三首相が2013年12月敢行した靖国神社参拝について、これは「政教分離の原則を明記した日本の憲法20条に違反したもの」として違憲訴訟を提起した。昨年4月に始まったこの裁判の訴状は非常に興味深い構造を成している。原告らが裁判所に安倍首相の神社参拝が違憲であることを確認してくれるように求めるとともに、原告1人当たり1万円の損害賠償金を要求しているからだ。しかし、日本の裁判所は、これまで行われた11回の同様の裁判で、一度も損害賠償を認めたことがない。

 実際に訴訟が始まったとしても問題だ。集団的自衛権のような高度の政治的事案について、保守的な日本の最高裁判所が「違憲」という大胆な判断を下すことを期待するのは、無理かもしれない。また、3審にわたる裁判所の最終的な判断が出るまでは、10年近い歳月がかかる。裁判を進める実益が事実上ないわけだ。強固に見えた日本の立憲民主主義とは、実際このように非常に脆弱な構造の上で維持されてきたのだ。

キル・ユンヒョン東京特派員//ハンギョレ新聞社
 結局これは、日韓両国の政治文化と伝統の違いを反映ししたものでもある。最近は残念な決定で、その名にふさわしい活動ができているとは言えないが、韓国の憲法裁判所は1987年「6月革命」によって作られた民主化の最も明白な成果物の一つだ。韓国にはあるが、民衆の力で政権を打倒したことがない日本にはないもの、それは他でもない、憲法裁判所だ。

東京/キル・ユンヒョン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力: 2015-07-16 18:27

http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/700551.html 訳H.J

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