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[インタビュー] 公安が大手を振る世に逆戻りするようで心配になる

登録:2015-06-30 10:09 修正:2015-06-30 13:51
李哲・在日韓国良心囚同友会会長
李哲・在日韓国人良心囚同友会会長=ハン・スンドン先任記者//ハンギョレ新聞社

 「靴を逆に履かれるかと思って、いっそのこと私が連れていきました」(訳注:「靴を逆に履く」は留守の間に女性が心変わりすること)

 25日午後、ソウルの城北区貞陵洞にあるカトリック修道女の共同体、聖家小婢女会内の金槿泰(キムグンテ)記念治癒センターにある「息」に集まった100人余りの人たちは、彼の機知にとんだ話に思わず笑った。40年前の1975年12月、高麗大政治外交学科大学院に通っていた在日同胞留学生の李哲(イ・チョル)氏(67)は、2カ月後に淑明女子大に通っていたミン・ヒャンスク氏と結婚式を挙げることになっていたが、わけも分からぬまま公安当局に連行され、死刑囚にされた。そして13年間も獄中生活を続けることになる。当局は婚姻届まで出したミン氏を捕まえ「スパイ幇助罪」で3年6カ月の懲役刑を科した。今年2月、ソウル中央地裁刑事合議25部は国家保安法違反、反共法違反、スパイ、スパイ幇助などの容疑で起訴され1977年に死刑が確定した李氏が出した再審請求事件で無罪を宣告した。

 この日、李氏は設立二周年を迎えた金槿泰記念治癒センターから感謝盃を受けた。国連が宣言した「国際拷問被害者支援の日」の記念行事が同時に開かれたこの日、治癒センターは、李氏が代表を務める在日韓国人良心囚同友会が「在日同胞スパイ捏造事件の被害者を中心に1990年に結成され、現在まで在日同胞の拷問被害者の名誉回復と再審支援、祖国の民主化と統一のために献身してきた」と感謝盃授与の理由を明らかにした。

40年前に留学しスパイにされ
神父はスパイ幇助罪の汚名
獄中生活13年、結婚式も13年遅刻
1990年に会を結成し被害者支援
再審請求…最終無罪判決目前に
「留学生スパイが全員無罪になったようなもの」

 李氏は授与式で「設立した時から今まで25年間代表の席を一人占めする長期政権をしている」と冗談を飛ばし、座をもう一度笑わせた後、こう話した。「再びこんな事があってはいけない。暗鬱だったあの時代に決して逆戻りしてはいけない」

 23日の高裁の裁判のため22日に入国した彼は、26日に出国する直前、「近頃、国が再び過去のあの時代に戻るようで心配になる」と話した。「戦争をすることができる国を作るという安倍政権下の日本社会もそうだが、妙なことに韓国まで、10年間の民主政権が成し遂げた成果を破壊し、過去に戻る様相となっている。再び以前のように公安勢力が大手を振る世が来るのではないかと心配している。私は民団側の人間で、本当に韓国人になりたくて祖国に留学しにきたのに、ただ政権の必要のために自己防衛力がない弱者だった私たちを大量にスパイにでっちあげた。多くの人たちが犠牲になり、彼らの親がその衝撃で亡くなるなど家族には言い尽くせない苦痛が伴った」

 李氏は「金槿泰先生の名を冠した治癒センターからこんな賞をいただけるのはとても光栄だ。服役したことしかない私には過分なことだと思った。しかし、その後、似た苦難を味わった百数十人の在日韓国人良心囚、そして彼らの救命と支援のため40年間苦労してきた数多くの日本の後援者が共に受けるという考えから気持ちを変えた。私ではなく彼らの代表として受けとることで、彼らの皆が受けるという考えから有難く受けることにした」と語った。

 ソウル留学中だった彼がスパイ容疑で捕まり拘束されたという便りが日本のマスコミで報道されるとすぐに、大阪で一緒に高校に通った日本人の同窓生を中心に彼を救おうという後援会(救命会)が結成された。「日本全国で17の救命会が作られ、年に1回全体の集いも持った。私が釈放された後に解散した会も多いが、40年が過ぎた今でも大阪・神戸地域の会は残り、絆を維持している」。記念式場でイ氏は日本から一緒に来た後援会の石井ひろし代表を演壇に呼び出した。「頭が禿げて白くなったけど、私より1歳下の高校の後輩だ。東京にいたときに私の消息を聞き救命活動を始めてくれた人だ。参加者は同窓、隣人、会社員と次第に広がり救命会が作られた。40年が過ぎたけど、今でも会を続けている。感謝盃は彼らが受けなければならない」

 今回のソウル行きには、やはり留学して似た苦難に遭った在日同胞のユ・ヨンス氏も同行した。イ氏は在日韓国人良心囚同友会会員は120人余りだが、顔を出したくない人まで含めば被害者はさらに多くなると語る。「今まで再審請求で無罪を勝ち取った在日韓国人良心囚は、私のようにまだ大法院(最高裁)の確定判決は受けていないが1、2審で無罪判決を受けた人まで含めると26人ほどになる」。留学生だけでなく日本に関連した事件で裁判を受けた人は400~500人になると見積もられるが、これはかつての韓国のいわゆる“思想犯”の半分ほどを占める。

 再審と関連して李氏は、被害者が個別に別々に再審を申請するは煩わしいばかりか望ましくもないと考えた。「特別法を作るなどして一挙に問題を解消しなければならないという考えから再審請求を迷ったが、無罪判決の先例を受けるのが重要だというイ・ソクテ弁護士などの勧誘を受け入れた」。7月の高裁宣告判決と大法院最終判決が残っているが、李氏をはじめとする在日韓国人良心囚の無罪判決で「在日同胞留学生スパイ集団事件」は、歴史的に事実上、みんな無罪という判決をすでに受けたようなものになった。

 日本の超国家主義に関する修士論文を準備していた時、突然スパイにされ死刑囚となった留学生だった李哲氏。死刑から20年に減刑された彼は「6月抗争」を頂点にした民主化運動がもたらしたいわゆる「87年体制」が始まった直後の1988年10月に釈放された。結婚式も13年も延ばし、その直後に行った。「キム・スファン枢機卿、キム・スンフン神父、ハム・セウン神父など、多くの神父様が先を争って私たちの結婚式を祝福してくれた」と李氏は回想した。

 1男1女を授かった今、大阪で暮らす李氏は、電気工事をする弟の会社に通ってアルバイトをするという夫人のミン氏と一生懸命暮らしている。祖国での大学院卒業と学業の夢はとうの昔に水泡を帰したが。

ハン・スンドン先任記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-06-28 19:32

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/697838.html 訳Y.B

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