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[記者手帳] 盗作を庇護する文学権力

登録:2015-06-19 00:00 修正:2015-06-19 08:14
申京淑氏の盗作疑惑に対する釈明が批判を呼ぶと18日、創比が代表理事名義の謝罪声明を発表した。写真は2011年8月、1年間の米国滞在を終え帰国し所感を述べる申氏=資料写真//ハンギョレ新聞社

 17日午前、中国・青島のホテルから空港へ向かう道はガランと空いていた。車がないからではなかった。 500メートル間隔で立ち並んだ警察官が私たち一行が乗った車の運行のために車両と交通信号を統制したためだった。第3回東アジア文学フォーラムを主管した中国作家協会、そして青島市政府の“権力”はそのように整然とした親切さだった。

 一週間の日程を終えて帰国の途につくにあたりMERSを心配したが、盗作という思いがけない伏兵に先に振り回された。 論議の震源地である作家イ・ウンジュン氏の文には、私の名前とかなり以前に書いた記事も登場していて当惑した。 しかし、さらに当惑させられたのは作家申京淑(シン・ギョンスク)氏とその代理人として出た出版社の創批の態度であった。 盗作対象に名指しされた作品を「知らない」という作家の言葉は信じ難かったし、二つの作品の盗作疑惑に対して「包括的非文献的類似性や部分的文献的類似性を持ってしても盗作と判断する根拠が薄弱だ」という創批の“立場”は説得力が弱かった。

 「今回の創批文学出版部の報道資料は、非常に不適切に見える。私は今回を機会に作家が自ら出てきて世間の疑惑に対して“すっきりした釈明”をして欲しい。 申京淑は今まで書いてきた時間より、これから書かなければならない時間の方が長い作家だ」

 これは韓国作家会議理事長である詩人のイ・シヨン氏が18日ツイッターに上げた文だ。イ・シヨン氏は、創批が「創作と批評社」だった時期に編集者として出発し、副社長まで歴任した創批の生き証人のような人だ。問題になった申京淑の短編『伝説』が含まれた小説集『ずっと前に家を出た時』(1996)も彼が創作と批評社に勤めている時に出た本だ。

 創批の報道資料が不適切に見える理由は何だろうか。 多くの人が盗作と見ているのに盗作ではないと言うためだ。 それも特別な説得力もなく言うためだ。 創批の報道資料は『伝説』と三島由紀夫の短編『憂国』が「性愛に目を開く新婚場面描写」という「日常的な素材」以外には共通点がなく、その描写も「作品全体を左右する独創的な描写でもない」と主張した。

 1936年の天皇支持将校の親衛クーデターと、1950年の朝鮮戦争参戦将校の間にはもちろん少なからぬ差がある。しかし両者ともクーデター参加と戦争参戦という“大義”と新婚の個人的幸福の間で葛藤した末、個人を捨てて大義を選び、その結果死に追い込まれるという共通点があり、それを小さいということは極めて難しい。 その上、問題になった文章の間の「部分的文献的類似性」さえ否定する見識は疑わしいことこの上ない。 その文章から吹き出てくる肉体的悦楽の強烈さと切迫感は、迫り来る死の影の下で一層際立っているためだ。

 創批がこのように明白な事実を努めて否定しようとするのは何のためだろうか。 皆が察しているように、申京淑が“売れる”作家であるためだ。 青島空港へ行く道で経験した権力とは異なり、韓国出版界の権力は要するにお金だ。数人のよく売れる作家と、彼らを庇護する主要文学出版社の評論家、編集委員、そして高額文学賞の運営を通じて彼らと結託した言論により成立した“文学権力”という話は、決して実体のない噂ではない。

チェ・ジェボン文化部先任記者 //ハンギョレ新聞社

 「この問題をきちんと、綿密に、正直に凝視しなければ、韓国文学は一歩も前に進むことはできない」と文学評論家のクォン・ソンウ氏はフェイスブックに書いた。 評論家のイ・ミュンワォン氏も「作家、申京淑と創批の対応態度は、韓国文学全体に対する読者の冷笑につながりかねない」と警告した。 イ・ウンジュン氏の問題提起は、単純に一人の作家と作品に対する告発を越えて、韓国文学の将来を計る重要な試験台として私たちの前に置かれている。

チェ・ジェボン文化部先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/696558.html 韓国語原文入力:2015-06-18 18:39
訳J.S(1718字)

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