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極右サイト“イルベ”を運営する謎の企業

登録:2015-05-18 00:11 修正:2015-05-18 07:05
 私企業イルベを追跡する
 株式会社UBHの実体追跡
 イルベの創設を主張する“モエ名手”と初面談
写真の人物はイルベを意味する“○B”を手の形で表現している //ハンギョレ新聞社

 憎悪だって金になる。ニールセンコリアンクリック調査によれば、韓国の極右指向サイト“日刊ベスト貯蔵所”(イルベ)の今年4月モバイル基準純訪問者(UV)数は、約173万2420人だった。 コミュニティ全体の中で8位だ。 ネイバーband、egloos、vingle、WordPressなどの有名コミュニティ サイトより上位だ。 イルベ利用者の年齢を考慮すれば、10~20代ではさらに高い順位を占めていると推定される。 最近では20代後半のある韓国放送の記者職新入社員が、イルベの情熱ユーザーだった事実が明らかになり論議を産んだ。 これまでもイルベを規定する多様な分析はあったが、何よりも2013年3月15日以後はイルベは企業になっている。 “株式会社UBH”がイルベの運営権者だ。 2015年5月14日午後8時8分現在、イルベの同時接続者数(PC基準)は1万7590人だ。 無意味なユーモア文、芸能人関連文、“*スラチ”など女性の性器を指す単語を使って女性嫌悪を表わした文、中国の朝鮮族を非難する文、など雑多な性格の掲示文等が誘引するトラフィックがUBHの間接的利益になる。 企業イルベは膨大なトラフィックに耐えられるよう大企業系列のインターネット サービス業者に高額なサーバー費用を払っている。 その一方で莫大なトラフィックを根拠にバナー広告などで広告収益を上げる。 しかし、企業イルベはその影響力に比べて知られていない。 誕生過程、前・現職の運営スタッフ、“イルベ”商標権者の実体などが全て曖昧だ。 企業イルベを巡る争点を取材した。 あわせてイルベを創立したと主張する“モエ名手”に初めて会って話を聞いた。

仮面をかぶった企業が「泣くな、このアマ」のような文を載せてくれる

▽企業イルベはベールに包まれている。 その認知度と影響力に比べて明らかにされていない。「日本のイルベ格」である2チャンネルとは違う。 2チャンネルの開設者は自身が開設者であることを公開した。 サイト運営者にとってはトラフィックは金だ。 2チャンネルは膨大なトラフィックを誘引するとすぐに他の企業に運営権を売った。 IT企業家としては自然な行動だ。 しかしイルベは、誰が、いつ、なぜ作ったのか不明だ。 “イルベILBE”の商標権登録者は自身が誰でなぜ商標権登録をしたのか名乗り出ない。 疑惑を整理する。

 インターネットは存在する物理的実体だ。 それはモニターに具現された文と写真、映像と音楽だ。 具現される前はただの電気信号だ。 人が見て感じることはできない。 しかし電気信号を運ぶネットワークは見て触ることができる。 それは“LANケーブル”や“無線接続装置”(Wi-Fi)だ。 2015年5月13日14時21分1秒、“泣くなこのアマ”というタイトルの文が日刊ベスト貯蔵所(イルベ)の“日刊ベスト”掲示板に上がっている。 このサイトの“チャルバン掲示板”で基準点以上の“イルベロ”を受けた掲示物が別に“日刊ベスト”に掲載される。 基準点以上の“ミンジュファ”を受ければチャルバン掲示板に再び落ちる。 タイトルをクリックすると、泣いているセウォル号遺族の女性をパク・ウォンスン ソウル市長が慰めている写真が現れる。写真の下に短く「泣いたからってお金をたくさん上げたりしない」と書かれている。「泣くな、このアマ」タイトルの文は265回の“イルベロ”と97回の“ミンジュファ”を受けた。

 上の文章には矛盾がある。 イルベの歴史を知っているインターネット ユーザーなら「日刊ベスト貯蔵所の日刊ベスト掲示板に上がった」という文章に疑問を感じるだろう。 今“イルベ”は固有名詞のように使われている。 しかし、イルベの正式名称は“日刊ベスト貯蔵所”だ。 普通名詞だ。 よく知られているように、コミュニティ サイトであるDCインサイドで人気掲示文を別に集めて掲示した“日刊ベスト掲示物”が母胎だ。 しかし、DCインサイド日刊ベスト掲示物とは若干違う。 DCインサイド日刊ベスト掲示文のうち、誹謗・悪口・わいせつ物などの理由で削除されたものを、誰かが別に集めておいた掲示板だった。誰かが、何らかの目的で、いつか作り、誰かが“イルベ貯蔵所”と“イルベILBE”ロゴを商標出願した。 さらに誰かが2013年に掲示板の所有権を株式会社UBHに譲渡した。 そしてそれが誰なのか、実体が明らかになったことはない。

2014年9月6日、セウォル号特別法制定を促す市民のハンスト座り込み場があるソウル 光化門広場で、日刊ベストの一部会員と自由大学生連合所属の学生が食事をするパフォーマンスを行った。 この場所を準備したセウォル号惨事国民対策会議は、一日前に声明を出して「その食卓で食事をしながら、皆さんの行事が果たしてどんな意味なのかを真剣に省察することを要請する」と明らかにしたことがある=ニューシス

“モエ名手”はイルベを作った当時は高校生

 企業イルベの歴史と現在の運営実態は、何一つ明確にされていない。 この点でイルベはよく似ている日本の“2チャンネル”(2ch.net)と対照される。 2チャンネルは、イルベと同じくトローリング サイトに分類される。“トローリング”とは“インターネットに不快で攻撃的な掲示文を載せて関心を集め、その関心を楽しむ行為”を指す。 2チャンネルは嫌韓・嫌中の文で有名になった。 イルベと同じく社会的少数者に対する嫌悪でも有名だ。 日本社会の代表的な社会的少数者はザイニチ(在日)だ。1976年生まれのサイト開設者 西村博之がアメリカ留学中の1999年に作った。 西村は2009年に「パケットモンスター」という会社にサイトを売った。 彼はこのような事実を隠さない。 TV、ラジオ、雑誌インタビューもした。 反面、イルベは明らかになっていない。 企業イルベが不透明な点は大きくわけて三つある。 誕生過程の歴史が不明だ。 開設者および現在の運営者、最初の商標権者の実体が不明だ。 現在イルベの運営権者・商標権者である株式会社UBHの実体が不明だ。

 『イルベの思想』(パク・カブン著、五月の春刊)や「例外状態とファシズムの韓国社会」(チョ・ヨンシン・慶煕大学校NGO大学院修士論文)を含め多くの著作・論文は、イルベの誕生過程を次のように説明している。 “モエ名手”が2009年にイルベを作った。 突然、管理者が“サッド”に変わり運営された。 DCインサイドの文を無断でコピーしDCインサイドのサーバーに負荷がかかった。 DCインサイド側が抗議した。 2010年に“サッド”が辞任した。“セチムブク(日本の造語ツンデレの韓国語)”など3人の運営者がサイト運営スタッフを務め現在に至る。 これらの著書や論文が、このような叙述の根拠としたのがイルベに上がってきた一介の掲示文に過ぎないということが問題だ。 “イルベ年代記”というこの文は、作成者の実体と取材の信憑性などが不明だ。 現在、数億ウォン(数千万円)の価値を持つという商標権、運営権を巡って“常に突然に”開設者と運営スタッフが現れては消える。 IT業界では極めて珍しい現象だ。

 第一に、創設者と開設の過程が不明だ。 現在イルベに“レンソン歴史”というメニューがある。 イルベができた後に掲示板で起こった事件と論争を整理したメニューだ。 最初の文は、運営者“セブ”が2010年12月17日に上げた“レンソン歴史掲示板です”という文だ。 種々のキーワードで検索してみても、“誰が、なぜ、いつ、どのようにイルベを作ったか”を一目瞭然に整理した文は見つからない。レンソン歴史文等が扱う事件と歴史は、ほとんど2010年下半期以後だ。

 今までに知られているイルベの誕生過程と異なる情況が出ている。 www.ilbe.co.ccをドメインにした最初のイルベ貯蔵所は2009年7月頃に作られ、現在のイルベはこの“元祖イルベ”以後に作られた“イルベ ガレージ”(ilbegarage.er.ro)が改善を経ながら今日に至ったという主張が出てきた。 ニックネーム“モエ名手”として知られているK氏(22)は「私が最初に作ったイルベ貯蔵所を許諾を受けずに模倣し、著作権を侵害した」としてニックネーム“サッド”ことイ氏と初期運営スタッフの1人として知られている医師パク氏が1億100ウォンを支払えとの損害賠償請求訴訟を2月ソウル中央地裁に出し、現在訴訟が進行中だ。 K氏は民事訴訟に先立ち昨年12月、二人を不正競争防止法違反などの疑いで告訴したが、瑞草(ソチョ)警察署は無嫌疑意見で送検し、検察で無嫌疑処分を決めた。 K氏は当初イルベ貯蔵所を作った当時は高校生に過ぎず、著作権および商標権登録、告訴など法律対応をする能力がなかったと主張している。

誕生過程の歴史、開設および運営者
全てを徹底的に隠したイルベ
嫌韓と少数者卑下で有名だが
開設者が明らかで企業の実体を
公開している日本の2チャンネルと対照的
2011年8月、イルベ関連商標権3個を
出願した“パクマイケルヤング”は医師のパク氏なのか
彼が2013年に商標権を譲渡したという
“株式会社UBH”も実体は曖昧
法人登記簿の住所には事務室は実在せず
現在の運営スタッフと最初の商標権者との関係は?

 K氏はこのような主張の根拠として2009年7月頃に自身が作ったという“イルベ貯蔵所”(ilbe.co.cc)と、2010年にニックネーム“サッド”が作ったという“日刊ベスト貯蔵所”のキャプチャー写真数枚を裁判所に提出した。 K氏が提出したサイト キャプチャー画像を見れば、2009年に実際にウェブで公開的に利用された“イルベ貯蔵所”が存在したのは事実だと見える。 K氏はニックネーム“サッド”が作ったという“イルベガレージ”サイトの2010年6月頃のサイト キャプチャー画像もハンギョレに公開した。 また、米国の非営利機構“archive.org”に対する取材の結果、実際に2010年にイルベガレージサイトが存在していた事実も確認できた。“誰が誰を模倣したか”という法理的争点を別にしても、現在イルベが作られて位置するまでの“複雑な過程”が在ったことを伺わせる情況だ。 しかし、現在イルベサイトの“レンソン歴史”掲示板では、“モエ名手” “イルベガレージ”のキーワードではいかなる掲示文も検索されない。

 開設者、運営スタッフ、最初の商標権者が全て変わり、ベールに包まれている点が最大の疑問点だ。 日本の2チャンネルは開設者が著作権を持っており、巨額を受け取り企業にサイト運営権を売った。 コミュニティ サイトの自然な商業化過程だ。 しかし、イルベの商標権者は“モエ名手”や“サッド”ではない。 特許庁の“特許情報ネット キプリス”資料によれば、“パクマイケルヤング”が“イルベILBE”と“イルベ貯蔵所”等のイルバ関連商標権3個を2011年8月4日に商標権出願し、翌年8月に審査を経て登録決定された。 “パクマイケルヤング”は2013年4月12日にこれらの商標権を全て株式会社UBHに譲渡した。

 “2010年下半期~2011年2月”イルベが現在の位置を占めるまでにも葛藤や秘められた歴史が存在する情況もうかがえる。 米国のDNS(ドメイン ネーム システム)データ提供業者“ドメインツールズ”(whois.domaintools.com)で現在のイルベのドメイン(ilbe.com)に関する過去の記録を見れば、ilbe.comドメインは現在のイルベが作られる遥か以前の2000年8月に米国ニュージャージー州にあった企業によって登録されていた。ilbe.comドメインは、2000年8月~2011年1月末まで使われることなく“閉じられた”(locked)状態であった。 そうするうちに2011年2月15日、“Michael Park”がドメイン占有権を譲り受けドメインが活性(active)状態に変わる。 以後、数回にわたりドメイン管理業者が変わった後、2013年から現在はKという企業がドメインを管理中だ。

 何よりも“Michael Park”または“パクマイケルヤング”が誰なのかが疑問点だ。ドメインツールズに公開された“Michael Park”の電子メール住所にイルベとの関連性に関し尋ねたが返信はなかった。 あるメディアによってイルベの運営者と名指しされたソウル所在の総合病院医師パク氏に広報チームを通じてインタビューを要請したが「イルベとは関連がない」として、インタビューや通話を断った。 ある新聞は2013年4月、“インターネット業界関係者”の話を根拠に医師であるパク氏が12億ウォンでイルベを売ったと主張したが、伝聞以外に根拠は出ておらず信憑性に欠ける。

 ドメインツールズの記録に登場する“Michael Park”の住所地と、商標権登録資料に出てくる“パクマイケルヤング”の住所地が、ソウル銅雀区(トンジャクク)舎堂洞(サダンドン)の某アパートで棟・室番号まで一致している。 二人が同一人であると推定される。 ハンギョレがその舎堂洞の某アパートを15日に訪問したが「そんな人はいない」という答えを聞いた。 しかし、パクマイケルヤング氏が実際にイルベの開設者なのか、彼が本当に正当な商標権者ならば、なぜサイト開設以後しばらく経った2011年8月に商標権出願をしたのか、なぜ2011年2月にドメインが活性化されたのかなどは説明できない。 2012年の大統領選挙を経てトラフィックが急増し、商業的価値が高まった2013年に実体不明な会社になぜ商標権を譲渡したのか、売却したとすればいくらで売ったのかも明らかになっていない。 イルベのウェブマスターは昨年SBSに対する取材答弁書で売却したことはないと明らかにしたことがある。

2015年4月基準 サイト別純訪問者順位。イルベサイトがパソコン接続者純訪問者数(左)で10位、モバイル接続者純訪問者数で8位を記録したことを示している=ニールセンコリアンクリック提供 //ハンギョレ新聞社

SKTとKTは“サーバー利用の有無確認はできない”

 イルベの商標権を譲り受けた“株式会社UBH”も実体が曖昧だ。 この会社の法人登記簿謄本を見れば、2013年3月に会社が設立された。 社内理事イ・ソンドク、監査チャン・ジェボン、社内理事チョン・ヒョングなどの名前が上がっている。 本店はソウル江南区(カンナムグ)駅三洞(ヨクサムドン)にあったが、同年7月には大邱(テグ)寿城区(スソング)東大邱路のあるビルに本店を移転した。 先月末、法人登記簿に記載された東大邱のビル7階を訪ねたが看板は発見できなかった。 7階には18個の事務室があった。18個の事務室の不動産登記簿を全て確認したが、株式会社UBHおよび法人登記簿に登場する役員との関連性は全く見いだせなかった。 サイト運営者は技術的にインターネットを通じてISP(インターネット サービス プロバイダー)に接続できさえすれば、どこでもサイト管理・運営作業ができる。 イルベのウェブマスターも昨年、他のメディアの取材過程で「運営スタッフは在宅勤務している」と明らかにしたことがある。 現在のイルベ ドメイン管理会社に「誰がイルベ ドメインの占有権者なのか」と尋ねたが、この会社は「現在の占有権者は有料サービスである“ドメイン登録情報隠蔽サービス”を利用中なので公開できない」と明らかにした。

 多くの人が訪れない個人ブログについては無料だが、インターネット ハンギョレのような企業単位サイトは有料サーバーを利用している。 金銭を受け取り個人や企業にインターネット接続サービス、ウェブ サイト構築などを提供する会社を“ISP”と呼ぶ。 一般の人が“インターネットを申請”する際に、KT、SKT、LGU+などを利用するのと同じように、企業や大規模サイトも金銭を出して別に企業用サーバーを買って使用する。 イルベの同時接続者数は1万5000~2万人水準だ。 これは相当な数だ。 同時接続者数が6000人水準のあるコミュニティ サイトのサーバー費用が月に600万~1000万ウォン水準であるという。 同サイトの運営者はイルベのサーバー費用だけで月に最低2000万ウォン(約220万円)水準と推測した。 ここに空間レンタル料、運営スタッフの人件費などがかかる。

 問題は現在イルベが代表的なバナー広告の収益源であるグーグルアドセンスから外れていることだ。 今年4月のイルベのバナー広告などを見ると、ほとんどが携帯電話販売業者、中古車仲介業者、書籍広告などで、自営業者、小規模ショッピングモールの広告が多かった。 利益が費用をまかなえないのではという疑問が絶えず出てくる理由だ。 イルベの運営財源に対する各種陰謀説と疑惑がそのために絶えない。

 実際、ハンギョレがイルベ ドメインに連結されたサービスIPの住所を分析してみると、イルベはSKブロードバンド、KT、イーホスト データセンターなど大型ISPのサーバーを利用していることが明らかになった。 ハンギョレはイルベ ドメインに連結されたサービスIPの住所の一部を、韓国インターネット振興院が公開したISP別アドレス帯域と比較する方式で分析した。 SKTとKTに実際にイルベがサーバー利用顧客であるのか、イルベが払っているサーバー費用はいくらなのか、DDoS攻撃などを受けたことがあるか、などを広報チームを通じて尋ねたが、両社とも「顧客情報であるため法令によって明らかにできない」と答えた。

2009年に元祖イルベを作ったという“モエ名手”K氏は
イルベの著作権を侵害したとし“サッド”ことイ氏と
“初期運営スタッフと推定される”医師のパク氏を相手に
1億100ウォンの損害賠償訴訟を進行中

イルベの同時接続者1.5~2万人
サーバー月間費用 最低でも2千万ウォンと推測
レンタル料と運営スタッフの人件費がかかるが
出ている広告はほとんどが自営業者のもの
運営財源陰謀説が絶えない理由
その力が光化門での暴食闘争を招いた

 イルベサイトは存在する物理的実体だ。誰かが出勤し、サイトを管理し、昼食を食べて、退勤する。 実体不明な人が商標権登録を行い、実体不明な会社に譲渡した。 実体不明なサイトに若い男たちが集まって“泣くな、このアマ”のような文を載せ、コメントを付けて推薦する。 紙ではなくモニターとスマートフォンの画面に一時的に現れ消えてゆく文や写真も物理的実体だ。 その文と写真が人々の心を動かし、その結果、人々を光化門(クァンファムン)での暴食闘争に駆り立てる。

 現在のイルベ ウェブマスターに先月と今月、二回にわたりイルベの歴史など種々の質問を電子メールで送った。イルベのウェブマスターは「SBSの『それが知りたい』で運営スタッフが答えられる多くの内容を書信を通じてお答えしました。申し訳ありませんがインタビューに答えることは困難です。お送りいただいた質問は、私企業の営業秘密に該当する内容」として返答を断った。

コ・ナム記者、写真 カン・ジェフン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/691488.html 韓国語原文入力:2015-05-16 16:11
訳J.S(8051字)

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