ソウル市は、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の家族が住んでいた中区新堂(シンダン)洞家屋の一般公開を発表する報道資料に、「5・16軍事クーデター」をどのように表記したのか。
この家屋は朴正煕元大統領が5·16軍事クーデターを謀議した場所であり、1961年8月に奨忠(チャンチュン)洞の国家再建最高会議議長公館に引っ越すまで、家族と一緒に過ごしたところだ。文化財庁は、この場所について「朴正煕元大統領が5・16軍事政変を計画して指揮した場所として、韓国の現代政治史において重要な歴史の現場」だと説明している。新堂洞の家屋はこのような歴史的な意味が大きく、2008年登録文化財428号に指定された。
16日、ソウル市の歴史文化財課が新堂洞の朴正煕家屋を17日オープンする前に発表された報道資料によると、5・16軍事クーデターの表現は、合計5回出てくるが、すべて「5・16」だけに表記されている。
報道資料によると、「(ここは)韓国現代政治史の重要な転換点となった5・16(1961年)が計画された」(1ページ)、「5・16当時、ソウル市庁前に立っていた朴正煕将軍を想像できるように、戦闘服を展示して」(4ページ)、「朴正煕本人が5・16の正当性と抱負を記した『国家と革命と私』などを(中略)展示した」(4ページ)、「映像室兼展示室を設置し、5・16を前後した朴正煕少壮の活動と」(4ページ)、「大韓ニュース上映目録第314号5・16(1961.5.20)5分36秒」(4ページ)と記されている。
イ・ジュンシク歴史正義実践連帯政策委員長は「『5・16クーデター』は、すでに学術的にも政治的にも確立されている表現」だと説明した。これに対してソウル市は「特別な意味なく書いた報道発表資料」だとし、拡大解釈を警戒した。
朴槿恵(パク・クネ)政権が発足してから、5・16についての教科書的表現である「軍事クーデター」や「軍事政変」という表現は“禁句”扱いされるようになった。朴槿恵政権に入って行われた高位公職者の人事聴聞会では、「5・16をクーデターとみるのか」という質問に「やむを得ない選択」と答えるなど、即答を避ける姿がみられる。
韓国語原文入力: 2015.03.16 18:2