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セウォル号犠牲者家族を慰めるため全国から市民や作家がペンモク港に集結

登録:2014-10-04 09:12 修正:2014-10-08 10:52

 全国から集まった千人の市民や作家「私たちが一緒に悲しみ怒っていることを記憶してほしい」

 小説家の金薫(キム・フン)が口を開いた。

「話をすることもできなくなってしまった世の中で、それでも話をして生きていくほかない作家としての苦しみを感じる。私たちが皆さんと同じように悲しみ、そして怒っていることを忘れないでもらえらたらと思います」

 詩人のソン・ギョンドンは「行方不明者がみんな帰ってこれ、セウォル号の真実が明らかになるその日まで、文学人は最後まで共にすると申し上げたい」と話した。

「待つためのバス」が行方不明者家族を訪ね
金薫など文人約20人が同行
「みんな帰ってくる時まで一緒にいる」
歌手イ・スンファンも防寒服を手渡す

 セウォル号犠牲者を慰め、残った行方不明者10人の“帰還”を望む文人たちを乗せた「作家のバス」が3日、全羅南道珍道のペンモク港を訪ねた。小説家のキム・エラン、詩人のクォン・ヒョンヒョン、キム・ヘンスク、ホ・ウンシル、キム・イハ、チョ・キルソン、評論家のクォン・ヒチョル、ヤン・ギョンオン、イ・ソンヒョク、劇作家のチェ・チャングンなど文人約20人が同行した。「作家のバス」を推進した金薫は「悲しくて残酷な経験をした家に多くの人が集まることが助力と慰労になるという単純な気持ちからバスに乗った」と語った。

 午前11時、ソウル光化門広場のセウォル号座込み場からバスに乗った彼らは、この日の夕方7時、行方不明者家族が留まっている珍島体育館を訪ねて家族を慰め、セウォル号に捧げる散文集『目が悪い者たちの国家』(文学トンネ)を手渡した。行方不明者家族は「皆さんが助けてくださるとは思いもよらず、そのお言葉を信じ、真実を必ず明らかにするという気持ちで最後まで戦う」と話した。この日、歌手のイ・スンファンも体育館を訪ねて行方不明者家族に防寒服などを手渡した。

 文人らはその後ペンモク港に移動し、夜遅く開かれた「待つための文化祭」に参加した。金薫が他の文人らと共に舞台に上がって代表発言をし、詩人のキム・ヘンスクとホ・ウンシルが追悼詩を朗唱した。

 この日のペンモク港文化祭には、ソウルと釜山など全国29地域から「待つためのバス」に乗って無泊2日の日程で珍島に集まった市民約1000人が共にした。以前にもペンモク港を訪ねるバスはあったが、全国から市民が一度にバスで来たのはこれが初めてだ。ペンモク港は台風の影響で風が強く吹いた。夜の海は波で揺れていた。寒い日だったが初めて出会った市民たちは肩と膝を交えて交流した。

「待つためのバス」のヤン・ハンウン運営委員長は、「明け方までにバスに一緒に乗りたいという市民の電話が殺到した。与野党のセウォル号特別法案の合意過程に失望した彼らが遺族を守るべきとの考えから参加したようだ」と語った。チェ・ウンア氏(44)は初めてペンモク港を訪ねた。ソウル大漢門前から10台のバスに市民約450人を乗せて出発した「待つためのバス」に乗ったチェ氏は、「前より関心が少なくなって家族はさらに辛い思いををしているだろうから、その痛みを分かち合いたい」と話した。

 文化祭は切実な叫びで締めくくられた。「ジヒョン!」、「ヨンイン!」、「コ・チャンソク先生!」、「クォン・ジェグンさん!」。市民と文人が叫ぶ行方不明者10人の名前が一人ひとり珍島の暗闇の海の上に広がっていった。行方不明者の遺体が発見されたのは7月18日が最後だ。檀園高校生人、教師2人、一般人3人がまだ残っている。

珍島/チェ・ジェボン先任記者、イ・ジェウク、チン・ミョンソン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2014.10.04 00:59

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/658251.html  訳Y.B(1610字)

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