ソウル市が漢陽(ハニャン)都城 (訳注:漢陽は李朝時代の都で現在のソウル。漢陽都城は漢陽の都を取り巻く城郭で、駱山•南山・仁王山などの稜線に沿って築造され、現在も数箇所が残っている) の内側の歴史都心地域では、いくつもの小さな土地区画を一つに合わせて開発する“撤去型”再開発方式を禁止する案を推進している。このような案が確定されれば、開発によって歴史都心地の歴史が破壊されたり、元々の住民の再定着が困難になったりする弊害が、かなり緩和されるものと期待される。
ソウル市関係者は8日、「北村(プクチョン)と西村(ソチョン)、仁寺洞(インサドン)など歴史都心部内の一部地域については、小さな土地区画(筆)を合わせて開発する“合筆”を禁止する内容を、今年末に発表される「歴史都心管理基本計画」に盛り込むことを検討している」と述べた。 ただし、過度に小さく個別の区画では再建築自体が困難な場合に限り、“合筆”を許容する例外条項を設けることにした。
また、歴史都心部内においては、新築建物の高さ制限について、内四山(ネササン)すなわち仁王山(インワンサン)・北岳山(プガクサン)・駱山(ナクサン)・南山(ナムサン)のうち最も低い駱山(125m)を眺めるのに問題ない程度に、現行の高度制限(90m)より強化された規制を導入する予定だ。
これまでは収益性の論理によって歴史文化的価値の高い漢陽都城の内側でも大規模な統合開発が行われ、“歴史の痕跡”が消えていく弊害が多かった。代表的なケースが“ピマッコル”だ。ピマッコルはソウル市鍾路(チョンノ)1街から6街にかけての大通りである“鍾路”の脇にあった幅2~3m程の狭い路地だが、李朝時代、鍾路を籠や馬に乗って通る高官たちを庶民が避けるために、この路地を利用したので“馬を避ける路地”という意味の名前がついた。しかし、ピマッコルは2009年に始まった撤去型統合開発で古の姿はほとんど見られなくなってしまった。ソウル歴史博物館では「ソウル都心はソウルの物理的中心であり、歴史都市の歴史的根源である。しかしながら、近来になって大規模な建築プロジェクトと再開発事業などで建物や路地のような物理的な環境だけでなく、日常的な暮らしの軌跡と記憶も同時に消されている」と指摘する。
建築事務所<イロジェ>のスン・ヒョサン代表は「ソウルはもともと山を背景に形成された都市なので平地が少なく、小さな建物を建てるしかなかった。 しかし、近代に入って 小さな土地区画(筆)を統合して大きな建物を建てるようになったため、ソウルの風景がおかしくなってしまった。筆を保全すれば歴史の村の保全に関するユネスコ勧告のように古い歴史のある道を生かすことができ、元の 筆 と地形を保存できる。(合筆禁止の規制は)ソウルの建築の美しさを守れる方向だ」と述べた。
ウム・ソンウォン記者 esw@hani.co.kr
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“セウン第4区域”は依然としてビル8棟の統合開発
「撤去型開発は再検討すべき」との意見も
ソウル市が漢陽都城の内側の歴史都心地での撤去型開発を防止する案を検討しているが、歴史都心地に属する鍾路区礼智洞(チョンノグ・イェジドン)の“セウン第4区域”では依然として撤去型開発が推進されている。
8日、施工会社であるSH公社が推進中の開発計画を見ると、セウン第4区域はもともと小さく分かれた多くの区画からなっているが、開発が進めば全て撤去されて8棟のビルに統合される。
「セウン再整備促進地区」の開発計画は2009年にオ・セフン市長時代から推進されてきたが、パク・ウォンスン現市長は「昔の都市構造を考慮して、小規模に分割し、区域ごとの条件により規模を多様化」させる方式に開発方式を変えた。セウン商店街も撤去しないことにした。しかし、“セウン第4区域”は事業が一部進行中であるという理由で除外され、統合開発が推進されている。
建築法人<広場>のキム・ウォン代表は「都市の造形的観点から見ると、非常にこっけいな姿になるおそれがある」と述べた。セウン第4区域開発計画を審議中の文化財庁文化財委員会のある委員は「都市計画の哲学が変わったにもかかわらず、ずっと以前に決められた枠組みに沿って開発が進められている。原点から再検討すべきだ」と述べた。 ウム・ソンウォン記者