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授業料の借金でコンパニオンでも…卒業前から‘不良債務者’

[民生ニューディール]庶民経済再生 緊急提案
⑤授業料の罠にかかった学生

ユ・ソンヒ記者

大学生たちが借金に苦しめられている。 ‘青春の罠’は授業料だ。授業料支払いのために多くの大学生が社会に出る前から‘借金漬け’になったり‘信用不良者’に転落している。‘登録料年間1千万ウォン時代’も今は昔話だ。経済難で所得まで減る中で大学生を抱える庶民家計で授業料は今や恐怖と言える。いくつかの大学では来年度授業料引き上げを凍結し政府もまた学資金貸し出しと奨学金を拡大するなど支援策を出しているものの‘焼け石に水’だ。大学の授業料依存率が高くて政府の財政支援が少ない状況が根本的に改善されない限り彼らに非常口はないように見える。

#1除籍の上に信用不良者まで ハン・ジョンア氏

休学復学を繰り返して除籍経験も
“信用不良状態なのに就職できますか”

S大3学年に在学中のハン・ジョンア(仮名・26)氏は授業料のために除籍されたりもしたし、卒業前からすでに‘信用不良者’の立場だ。

2002年入学した彼女は1~2学期授業料を全額学資金貸し出しを受けて払った。第2金融圏の○○キャピタルで‘8%台の利子を納付しながら卒業後に元金償還’という条件で両親が保証人になった。入学金まで合わせて300万ウォンを越える登録料を払うには家庭事情があまりにも難しかったためだ。

だが二学期に利子を返すことができなくて2003年彼女は信用不良者になった。「妹も専門大をやめて仕事を始めた状況で家に頼むわけにも行きませんでした。コンビニ・衣料品店で時間制アルバイトを転々としたが40万~50万ウォンでは生活費にもギリギリで授業料は貯めることができませんでした。」

ハン氏はお金を本格的に稼ごうと2003年に休学した。幸い事務補助員として就職したが彼女が受け取った月給は80万ウォン余だった。 借金督促は連日続き結局彼女は2005年に‘バッドバンキング’を申請した。信用不良者に転落した多重債務者らの回生を助けるこの制度を通じて1千万ウォンの借金償還計画をたてた。信用不良者のくびきも脱いだ。しかし第2金融圏にある借金をミスによりバッドバンキングにまとめられなかったために再び‘差し押さえ通知’を受けることになり、結局また信用不良者身分に戻った。金が貯まれば復学を、金がなければ休学を繰り返す生活を続けてきたハン氏はついに2007年初めに‘3年以上休学をできない’という学則にかかり除籍されるに至った。

不幸中の幸というか? ハン氏はある篤志家に出会って奨学金形式で授業料を支援され今年の初め3学年1学期からまた学校に通うことができるようになった。「再入学をしようとすると新入生と同じように入学金を別に出さなければならなかったんですよ。合計410万ウォン程度で、2002年初めての入学時より100万ウォンほど上がってましたよ。」

再入学後、彼女は前学期に学部200余人の中で2位になった。だが奨学金は登録料の50%の180万ウォン余りだけだった。再び篤志家の助けで解決した。生活費は一週間に2~3回ず塾で子供たちを教えながら稼ぐお金50万ウォン余で充当する。

ハン氏は「学校からの成績奨学金は単科大で1位になれば100%支給され、勉学奨学金は基礎生活受給者でなければもらうことは難しい」として「当面、千万ウォンを越える借金も問題だが、信用不良状態なので就職もまともにできるか疑問」とため息をついた。

#2 “手当たり次第に仕事をしたが借金漬けの境遇” キム・ハンギュ氏

肉体労働をしながらやっと学業を終えたが
就職後、収入の60%が借金返済に

キム・ハンギュ(仮名・29)氏は学生時代にやらなかった仕事はなかった。課外教師,食堂補助,肉体労働などいちいち挙げることも難しい。それこそ手当たりしだいに仕事をした。学生時代は授業料を用意することだけにまさに孤軍奮闘行軍だった。

それでも彼は今‘信用不良者’転落を免れなくなっている。借金は一時3千万ウォン余りに達した。貧しい家庭事情のために授業料を全額学資金貸し出しで賄わなければならなかったためだ。一学期に300万~400万ウォン余りの登録料を8学期すべて貸し出しを受けて処理した。そうするうちに貸し出し利子だけでも並大抵でなくなった。生活費と利子を賄うやめにできる限りのすべての仕事をした。ビラ配り,行事補助,事務補助,ゲームセンターとコンビニアルバイトなど片っ端からだった。一時も休む余裕がない生活だった。そのようにして彼は1ヶ月平均60万ウォン余を稼いだ。時間が余る長期休暇には肉体労働など‘びっしり’働いたが家賃保証金(500万ウォン)に当てなければならなかった。

彼が信用不良者状態になったのは、金を稼ぐことができない軍服務の時だった。きちんと払っていた貸し出し利子が一度延滞になると除隊をし出てきた時には手のほどこしようもなくなってしまった。「2005年以前には政府保証学資金貸し出しさえなかったし、それができた時はすでに信用不良者だったので利用が不可能でした。」

結局、姉の名前まで使って貸し出しを受け昨年やっと学校を終えた。 だが彼を待っていたものは‘就職大乱’だった。経済を勉強したので金融圏の門を叩いたがどこでも書類審査さえ通過できない有様だった。「先輩たちが慎重な顔で言うには「銀行では信用不良者を受け入れない」でしたよ。」挫折の連続だった。1年余り読書室で総務の仕事を請け負うなど事実上の失業者として過ごした彼は、今年ある中小企業にやっと就職をした。「面接の時、社長に登録料貸し出しのために信用不良状態だと告白をしたところ理解をして下さったのです。」

キム氏は今年1年働いて各種税金を除いて2200万ウォン余りを手にした。 だが月給の60%以上を債務償還に使わなければならなかった。まだ借金は1600万ウォンも残っている。「来年もこのように借金漬けで生きていかなければなりません。登録料のために信用不良者になり、職場生活で稼いだ金の大部分を借金返済に使うことになりました。 それでもこのようにでも就職して借金を返せる私は運が良いのでしょうか?」

#3 昼間は大学生、夜はコンパニオン アン・ソニョン氏

登録料借金1年半で1千万ウォン
“塾講師でもしようと思えば卒業証書取らないと”

ソウル S大学師範大4学年アン・ソニョン(仮名・25)氏は江南のある団欒酒店で仕事をする。昼間は学校で授業を聞く大学生だが、夜10時から明け方3時まではこちらで仕事をする‘コンパニオン’だ。

アン氏がこの仕事をして稼ぐお金は1ヶ月に110万ウォン余、勉強をしながら短い時間仕事をして結構お金になるというのがこの仕事の最大長所だ。アン氏は「窮余の策で選択したけど、ひょっとして知人に会わないか、誰かが似た名前を呼んだだけでも心臓が止まる思いがする」と話した。

アン氏が初めからこういう生活をしたのではない。慶北出身でソウル圏の大学に堂々と合格した二十歳、外国為替危機の経済難で家がちょっと難しくなったために授業料は家に頼まないで一人で解決すると約束した。両親の助けで300万ウォンを越える登録料と入学金を用意した彼女は2003年2学期から生活費と学費を一人で稼ぎ始めた。

「初めは‘授業料は奨学金で解決して生活費はアルバイトで解決すれば良いよ’と簡単に考えました。」だが初めての学期、学部で3番になったけど受けられた奨学金は登録料の50%に過ぎなかった。コンビニで一日6~8時間ずつ仕事をしても手にするお金は50万ウォン程度、20万ウォンの家賃を含めて食費・交通費・通信費など基本生活費を出せばお金は殆ど残らなかった。

「時間を割いてアルバイトをしたら奨学金をのがして、授業料貸し出しを受け始めました。一学期に300万~400万ウォンずつ借りて1年半で借金が1千万ウォンを軽く越えました。」

2学年まで通った後、休学をした。課外教師をしながらあくせくお金を貯めて次の学期に復学したけど、一学期だけやっと通って再び休学をしなければならなかった。そのようにしても授業料を用意することは相変らず容易ではなかった。貸し出し金利子が少しでも遅れれば携帯メールと電話で通知が来て信用不良者になるかと思って戦々恐々とする生活が繰り返された。

アン氏は結局‘酒場のコンパニオン’を選択した。「初めは卒業する前に借金を返すつもりで酒場に通い始めました。私、絶対先生になりたかったんですよ。」

しかし今アン氏に残ったものは1千万ウォンを越える借金と具合の悪い両親、そしてあてどもない未来だけだ。「将来、先生になったとしても子供たちの顔を真っ直ぐに見ることができないと思います。 事実、今は任用試験もあきらめた状態だけど塾講師でもしようと思えば卒業証書は必ずなければならないから…。」アン氏はついに泣きだした。ユ・ソンヒ記者 duck@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/329431.html

原文入力:2008-12-24午前10:53:14
原文: 訳J.S