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傲慢なマッカーサーの誤判, 韓国戦 悲劇拡大

原文入力:2009-05-22午後09:25:15
ハン・スンドン記者

←<COLDEST WIINTER>

<COLDEST WIINTER>デービッド ヘルボステム著,イ・ウンジン,チョン・ユンミ訳/サルリム出版社・4万8000ウォン

ニュージャーナリズム創始者
生存者の証言を土台に深層描写

“マッカーサー, 韓国状況 無知
日本防御陣紙としてのみ理解”

“マッカーサーが願ったことは中国共産党政府を相手に全面戦争を行うことだった。いかなる反対意見にも耳を傾ける意思はなかった。…やむをえず政府方針に従うふりをしたものの実際は全く違う行動をした。彼の頭の中にはひたすら中国と戦争を行うことしかないようだった。”

<ニューヨーク タイムズ>在職時、ベトナム戦報道で1964年ピューリッツァ賞を受賞した ‘ニュージャーナリズム’ の旗手デービッド ヘルボステム(1934~2007)の最後の野心作<COLDEST WIINTER>(The Coldest Winter:America and the Korean War)は1950年12月前任ウォルトン・ウォーカーの事故死で駐韓米8軍司令官職を受け継いだメシュ リッジウェイ将軍の肉声をそう伝える。その年9月15日、‘マッカーサー唯一の成功作’ 仁川上陸作戦後、破竹の勢いで鴨緑江まで押し上がった米軍は中国軍に壊滅的打撃を受け敗走を繰り返していた。敗北を知らなかった米軍はその年の冬、雲山をはじめとする韓半島北部で歴史上最も寒くみじめな冬(COLDEST WIINTER)を迎えた。

その2ヶ月前の10月3日明け方、北京駐在インド大使パニカルに周恩来中国総理は「米軍が38度線を越えてくれば中国が韓国戦争に介入するだろう」と話した。それと共に彼は「38度線を越えた部隊が韓国軍ならば問題になることはない」とした。だがマッカーサーは中国が米国と戦争をしようとするはずはないと考え、介入すれば空軍と海軍,そして核爆弾で阻止することができると自信を持っていた。わずか後にそれが致命的に誤った判断であったという事実が明らかになったが、この孤立無援将軍は主張を曲げなかった。戦争勃発5ヶ月前の1950年1月12日「米国のアジア防御線から韓半島を除く」という奇妙な発言で北の南への侵略を誘発したディーン・アチソン米国国務長官もやはり中国が米国・国連に対して戦うのは「完全に間が抜けたこと」としてその可能性を否認した。

傲慢なマッカーサーの誤判が韓国戦の悲劇を拡大

マッカーサーは中国軍と北の人民軍を侮って見ていた。東京の占領軍司令部(GHQ)で北の南侵に対する報告を受けても、彼は「ワシントンが干渉さえしないならば、背中に片手を縛ったままでも処理できる」と大口をたたいた。フィリピンを植民支配した父親後に続き「植民地総督,極東地域の皇帝になりたがった」(トルーマン)傲慢なマッカーサーの度を外れた人種差別は日本に対しても同様だった。一時、米空軍を制圧した日本戦闘機操縦士たちが白人であることは明白だと確信したほどだった。‘ワシントンの干渉’ とは彼の独善と誇大妄想にブレーキをかけようとしたハリー・トルーマン民主党政権の干渉のことだった。彼は前任フランクリン・ルーズベルトとニューディール政策を憎悪した根っからの保守であり20年近く政権から疎外され反撃の機会を狙っていた共和党右派たちに執権のための代案カードとして持ち上げられた。

<タイム>等を発行した代表的右派言論人ヘンリールーズなど ‘チャイナロビー’ 勢力は韓半島を「危険な場所や苦境に陥ったところとして見ずに中国を自由化するのに必ず必要な戦闘地」としてのみ考え、「はるかに大きい戦争」,すなわち中国との全面戦争が起きることを待ち望んでいた。彼らにとって韓国戦争は台湾に追われた蒋介石の国民党親米勢力が再び中国大陸を ‘奪還’ できるようにさせてくれる絶好のチャンスであった。マッカーサーにとって韓半島は初めから日本の防御陣地以上の意味はなかった。彼は韓国の状況に無知であり、韓国人を見下した占領軍司令官ハージ中将にあらゆる事を預けておきイ・スンマンが大統領に就任する時にしばらくソウルを訪問したのを除けばその時までただの一度も韓国を訪れなかった。ソ連封鎖政策で冷戦の枠組みを作ったがマッカーサーの狂気に反対したジョージ ケノンさえもひたすら「日本が持つ重要性」、日本防衛のための必要性のために米軍の韓国戦争介入に賛成した。1947年トルコとギリシャの防衛を宣言(‘トルーマン ドクトリン’)することで冷戦の旗をあげたトルーマンも韓国は「極東のギリシャ」であり韓国戦争は日本,イランと中東,ヨーロッパの喪失につながりかねないより大きい戦争の前哨戦になりうると見ていた。彼らがそれでも韓半島に関心を注いだのはその地政学的戦略価値だけでそこに住む人々ではなかった。

マッカーサーとトルーマンの差はこれだった。すなわち国内の政治的分裂と支持率下落に苦しめられたトルーマンは、中国との全面戦争を避け交渉を通じた早急な韓半島現状固着を望んでいたのに対し、マッカーサーは全面戦争を通じた東アジア制覇と国内権力闘争での勝利を狙っていた。結局マッカーサーは解任され、戦争は300万以上の命を奪い取って勃発以前に戻った。

徹底した現場取材と主観を加味した深層報道を指向するニュージャーナリズム創始者の作品らしく、執筆に10年余りの精魂を込めたという本の描写は豊富で活気がある。マッカーサーの軍事的天才的才能を認めながらも、アメリカ国内の政治背景および米国の戦後対外政策などと絡まった彼の独善的軍事・政治的行動と家系の事情を優れて批判的・総合的に抉り出す手並みが引き立つ。その他の戦争の主役たちと生生しい主要戦闘現場の描写も生存者たちのインタビューに基づく一人一人の体験談を通じて生きている話として迫る。2007年、著者が交通事故で亡くなる直前に完成された1千ページを越えるこの分厚い本は米国の韓国戦争介入自体の正当性などに対する根本的問題提起を行いはしない。言ってみれば主流見解を大きく抜け出さないものの、豊かな情報と個性的な評価を入れて ‘忘れられた戦争’ を忘却から引き出す最新報告書だ。朝鮮戦争の全貌をこんな風にも再構成することができる!

ハン・スンドン選任記者sdhan@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/356363.html 訳J.S