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[歴史と責任(2)]‘官フィア’出生の秘密

登録:2014-05-28 22:07 修正:2014-09-03 15:25
[人が中心だ] セウォル号惨事特別寄稿 韓洪九(ハン・ホング)教授
セウォル号沈没惨事犠牲者追慕と失踪者捜索および真相究明を要求する汎国民ろうそく行動参加者が24日夜、ソウル清渓川(チョンゲチョン)広橋(クァンギョ)を経て鐘閣交差点側にろうそくを持って行進している。 キム・テヒョン記者 xogud555@hani.co.kr

 政敵 曺奉岩(チョ・ボンアム)を除去して数ヶ月も経たずに、李承晩は4月革命で追放された。 4月革命の火を決定的に点けたのはキム・ジュヨル君の遺体が馬山(マサン)近海に右目に催涙弾が打ち込まれた無残な姿で浮かんだことだ。 警察が空ではなくデモ隊に正照準して撃った催涙弾が、キム・ジュヨルを絶命させ、警察はその遺体に石を括り付け海に遺棄したのだ。 キム・ジュヨルに催涙弾を発射し彼の死体を遺棄した者は、馬山警察署警備主任の警衛パク・ジョンピョであった。

 パク・ジョンピョはしばらく新聞に何度も取り沙汰され、結局革命裁判で無期懲役の宣告を受けた。(朴正熙政権の特別赦免で1968年に釈放) ところでパク・ジョンピョが裁判に回付されたのはこの時が初めてではなかった。 1949年4月、反民特委は新井源吉という名前で日帝の悪質憲兵補助員として活動したパク・ジョンピョを検挙し裁判に回付した。 しかし1949年6月6日、李承晩の指示を受けた親日警察による反民特委襲撃事件で急激に無力化された反民特委は、1949年8月19日パク・ジョンピョに無罪判決を下した。 反民特委に逮捕された悪質高等警察官 盧德述(ノ・ドクスル)が、反民特委襲撃事件以後に解放された後、警察から憲兵に職種を変えて付逆者処罰に熱を上げたように、悪質憲兵補助員パク・ジョンピョも反民特委を経て憲兵から警察に職種を変えて李承晩の忠犬となり、キム・ジュヨルを殺害して死体を遺棄した。 あアー、反民特委よ! アー、漢江(ハンガン)橋よ! アー、付逆者処罰よ! アー、セウォル号よ! アー、大韓民国よ!

日帝の悪質高等警察と憲兵どもが
じっとしていろと偽りの放送をして
橋を落として逃げたが、帰って来ると
じっとしていた人々を
アカだとして、反逆者だとして捕まえて殺しながら
権力を強固にした

それが公安権力出生の秘密だ。

今、大韓民国を支配している
多くのマフィア集団どもは
全てここから派生した

 分断と戦争は我が民族を襲った途方もない悲劇だったが、親日派にとっては天が下さった祝福だった。 日帝の悪質高等警察官と憲兵がどのようにして生き残ったのか。 分断と戦争のためだ。 日帝の悪質高等警察官と憲兵がどのようにして権力を強固にしたのか。 じっとしていなさいと偽りの放送をして橋を落として逃げて、帰って来るとじっとしていた人々をアカとして付逆者として逮捕し殺して権力を強固にした。 それが数十年間にわたり大韓民国を支配してきた公安権力の出生の秘密だ。 その後えいが、今日まで大韓民国を支配している。 公安権力は大韓民国守旧勢力の中枢だ。 今、大韓民国を支配している多くのマフィア集団は皆ここから派生した。 この頃、セウォル号事件で海洋水産部出身のヘフィア(海洋水産部(ヘヤンスサンブ)+マフィア)が突然浮上したが、ヘフィアだけじゃない。財政経済部出身のモフィア(財政経済部(MOFE)+マフィア)、建設部出身の建フィア、教育部出身の教フィア等々、政府部署の数ほど多い官僚出身マフィアを一つ一つ問い詰めることもできないので、まとめて官フィアと呼ぶと言う。 ある人気コメディアンがチキン店の広告で、楽しそうに「お兄さん、弟、姉さん、兄さん、友達、義理兄弟、同棲、姻戚に薦めて増えたチェーン店が何と○○○店」というように、公安権力の兄、弟、叔父、甥、姉さん、兄さん、姉、妹たちが各界各層のマフィアになった。 彼等がストローを一本ずつ挿して、設計変更して老朽寿命延長と規制緩和をして、互いに前官礼遇の伝統を引き継ぎながら押したり引いたり和気藹々と仲むつまじく大韓民国を運営してきた。 全部踏みつぶしてしまったと思っていたアカが蘇る前まで。

ソン弁とチャ・ドンヨンは今何処へ?

 セウォル号の痛みを見ながら、橋を落として逃げた親日派が帰って来てから何をしたかを思い出すのは、陣営の論理に陥ったことで政略的なことだろうか。 まだ子供たちを皆水の外に連れて来れてもいないのに、こんな話をするのは、今がただの一度も歴史の前で自己の責任を全うしたことのない無責任な輩、その上に無能までさらした一味から大韓民国を取り戻せるゴールデンタイムであるためだ。 2013年末から2014年初めにかけて、映画<弁護人>が1000万人の観客を動員した。 多くの人々が弁護人を観て感動した。 そんなソン・ウソク弁護士と同じ時代を生きたということが本当に満たされた気分だった。 二時間の間。 映画が終わると劇場に灯りがついて、外に出て見れば世の中は何も変わっていなかった。 私たちのソン弁はどこに行ったのだろうか。 盧武鉉はどこに行ったのだろうか。 盧武鉉はみみずく岩から落ちて死んだけれど、彼を死に追いやった捜査検事ウ・ビョンウは、セウォル号惨事で国家大改造や挙国内閣が語られる状況で新たに大統領府民政秘書官に任命された。 映画の中のチャ・ドンヨンのような者、例えばイ・クンアンは相変らず自身が愛国者であり、その時にもう一度戻っても同じように行動するとよどみなく話している。 チャ・ドンヨンの背後にいたカン検事のような者の一番上の兄がまさにキム・ギチュンだ。 盧武鉉元大統領を死へ追いやった担当検事を大統領府民政秘書官に抜てきしたのがキム・ギチュンで、彼が永く局長を務めた中央情報部対共捜査局の後輩は今でもスパイでっち上げをやっている。

 釜林(プリム)事件の主任検事、チェ・ビョングクはこの前までは蔚山(ウルサン)で3選議員を務めていたし、セヌリ党代表であったファン・ウヨは<弁護人>のモデルになった釜林事件と同じ時期に起きた更に大きな公安事件(死刑判決まで出た)である学林事件の判事であった。 朴槿恵(パク・クネ)政権スタート直後まで大韓民国国務総理であったキム・ファンシクは、在日同胞キム・チョンサに対する拷問でっち上げスパイ事件の判事であった。 この判決は有期懲役が最高刑である内乱陰謀事件で、金大中に死刑判決を下した‘神の一手’であった。 韓国屈指の法務法人である太平洋の代表弁護士を長く務めたカ・ジェファンは、司法研修院長時期に法曹人教育システムに法曹倫理を導入したことで良く知られている。 しかし彼は、全斗煥時期に最高裁長官秘書室長として5年間務め、安全企画部の圧力を司法府に伝達した窓口の役割を正確に果たした。 セウォル号の船長イ・ジュンソクが、この際逃げたことは良しとしよう。 しかし彼が帰ってきて、船長倫理を講義することは許されないことではないか。

責任を負った保守たち

 今私たちに必要なことは進歩か保守かの問題ではない。 保守でも良いから、いや本来は保守がさらにそうあるものだから、歴史の前で自己の責任を全うする人々が懐かしいだけだ。 中国の共産革命を導いた毛沢東の息子、毛安英の墓は平壌(ピョンヤン)郊外にある。 毛沢東が百万の大軍を派兵した時、他人の家の子供たちだけを国境を越えて戦場に送り出したわけではなかった。 アメリカのナパーム弾爆撃で焼け死んだ毛安英を、毛沢東は朝鮮の土に埋めた。 ‘毛安英は毛沢東の息子だ’という言葉と共に。 多くの中国兵士たちの遺体が朝鮮半島の随所に散在しているのに、どうして自分の子だけを故郷へ連れて行けるかという気持ちだったのだろう。 毛沢東が多くの政治的誤りにもかかわらず、今も中国人の尊敬を受ける重要な根拠でもある。 韓国戦争当時、米8軍司令官を務めたジェームズ・ヴァン・フリート将軍の26才になる新婚早々だった息子は父親の60才の誕生日を祝って、少しして北朝鮮地域に出撃し帰ってこられなかった。 米軍の将軍の息子の内で、父親とともに朝鮮戦争に参戦した人が145人いるが、その内35人もが戦死したと前出のフェーレンバッハは書いている。 大韓民国の長官や国会議員、高位将軍の息子の内、朝鮮戦争に参戦して犠牲になった人は果たして何人いるのか?

自分たちを保守と自任する韓国の支配層は、実際には保守ではない。 保守ならば当然に自身が属した共同体に対して責任を負えなければならない。 責任を負わなければ社会が維持されえないから、一つの社会を維持しようと考える保守勢力ならば、当然に自身が引き受けた責任を負わなければならない筈で、責任を負わない者には保守の資格がない。 現在、韓国の支配層は時々愛の実を買うような慈善を施すこと以外には、共同体のために自身の何かを犠牲にしてみたことがただの一度もない集団だ。 朝鮮が滅びる時、求礼(クレ)の田舎の貧しい知識人、ファン・ヒョンは命を絶った。 朝鮮王朝の禄を食んだこともなく、特に王の恩を受けたこともなかった。 500年間、官職に就かない知識人を育てた国で、国が滅びるのに命捧げる奴が一人もいなければ、それで格好がつくかと、アヘンを盛った酒をじっと眺めて結局飲んだ。 白沙 李恒福(イ・ハンボク)の子孫で朝鮮最高の名門家柄の後えいであり、8万石を収める大富豪だった李會栄(イ・フェヨン)の6人兄弟は、国が滅びるや財産を整理して中国に亡命した。 解放された祖国に生きて帰って来たのは末っ子の李始栄(イ・シヨン)だけだった。 李會栄は日本警察に捕まって拷問を受けて死に、文当該死んだし、兄弟中最も多い金を出しておいたイ・ソクヨンは飢えて死んだ。

ハン・ホング聖公会(ソンゴンフェ)大教養学部教授

 8万石と言えば、三星(サムスン)、現代のような財閥ほどでなくとも‘皇帝労役’をしたという地方豪族よりはははるかに大きな財産だっただろう。 その財産を捧げて李會栄兄弟がした仕事が、新興武官学校を建てることだった。 教科書には独立軍養成機関だとして優雅に処理されるだろうが、独立軍養成機関に入った青年の相当数は家内奴婢たちだった。 朝鮮に居たときにはゴロゴロしていた大家の奥様たちは、夜明けと共に起きて満州の激しい風に吹かれ、家で家内奴婢たちの食事の仕度をし洗濯をして足袋を縫って上げた。 それが危機の瞬間に出てくる保守の真の姿だ。 一つの社会であらゆる恩恵を受けた人ならば、その社会が沈没解消の時に自身が立つ場所を知っていなければならない。

<次回に続く>韓洪九(ハン・ホング)聖公会(ソンゴンフェ)大教養学部教授

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/639379.html 韓国語原文入力:2014/05/27 23:36
訳J.S(4495字)

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