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保安法 6年の戦いで引き裂かれた“学者の夢”

登録:2014-02-17 20:08 修正:2014-02-17 22:07
2007年 博士課程修了のキム・ミョンス氏
国立図書館などにもある本なのに
北関連の本を販売したと起訴され
“無罪”確定したが、人生はねじれてしまった
講義の配分を受けられず、生計手段を失う
「国家を相手に損害賠償請求する」

 2003年、大学の国文科修士課程に通っていたキム・ミョンス(59・写真)氏は、学費と生活費を工面するために、小さなネット古本屋を開いた。キム氏は大学院の勉強のために古本屋で買った本をインターネットに出し、4年間何事もなくそれなりに商売になるかに思えた。 近現代文学が専攻の彼は、大学院の授業で論文を書くのに使った植民支配期の社会主義文学などに関する本も販売した。<北韓の文芸理論><抗日革命文学芸術><抗日武装闘争史>といった本だった。ところが、博士課程修了を控えた2007年秋、キム氏は突然検察の捜査を受けることになった。キム氏がショッピングモールで北関連の書籍を売ったことが、国家保安法違反になるという理由からだった。

 検察は1970年代に作られた捜査マニュアルに従って、本の序文に“北韓”“主体思想”という単語が入ったキム氏の本310冊を全て利敵表現物に分類し起訴した。キム氏は一ヶ月に一回の割合で開かれた裁判で、毎回3冊ほどの本について、利敵表現物ではないことを説明しなければならなかった。 そのようにして4年間、起訴された本の70%を説明したあげくに、1審裁判部は「もういい」と言って無罪判決を下した。 水原(スウォン)地裁刑事1単独チェ・ギュイル判事は「この事件の本はほとんどが国立図書館などに備置されていて、一般人も容易に接近可能なものであり、キム氏も論文作成のために学術目的で本を引用した。 大韓民国の存立・安全を危うくしたとは見られない。」として、2011年3月無罪を言い渡した。その間、担当判事は4回も変わっていた。

 キム氏は「疑いを晴らすことができた」と思ったが、検察は控訴した。2審の水原地裁刑事1部(裁判長アン・ホボン)はたった三回の裁判で彼に有罪を宣告した。 裁判部は「19種の本は、国の存立・安全と自由民主的基本秩序を脅かす積極的かつ攻撃的なものであり、表現の自由の限界を超えている。北と対峙する安保状況においては、思想の自由も無制限的に許容されるものではない」として、2012年、キム氏に懲役6ヶ月、執行猶予2年を言い渡した。

 キム氏は上告した。国家保安法違反容疑での有罪宣告は、研究者として学界からの“退出宣告”と同じだとキム氏は考えた。最高裁は2013年9月、有罪部分を破棄して事件を水原地裁に差し戻した。昨年12月、水原地裁刑事2部(裁判長 コ・ヨングム)は「キム氏に利敵行為をする目的があったことを認定できるこれといった事情は見出し難い。 研究と営利の目的でショッピングモールを運営したという主張を排斥し難い」として無罪を宣告した。2007年に始まった戦いが6年余りで終わったのだ。

 裁判では勝ったが、キム氏は6年間に多くのものを失った。 法廷に何度も何度も呼び出される中で、国文学研究者としての夢をあきらめなければならなかった。 学校は何故か、講義を配分してくれなかった。 唯一の生計手段だったショッピングモールも廃業して久しい。3人の子の父親であるキム氏は、ソウルで大学に通っていた2番目の子を学費と奨学金が支援される地方のある大学に移らせた。キム氏は「北の本のコピー本が何冊かインターネットで販売されたからといって、大騒ぎするほど韓国社会の知的インフラが虚弱だとは思わない。北関連の学術情報は遮断すべき対象ではなく、積極的にアプローチして分析すべき研究対象だ」と述べた。キム氏は国家を相手に損害賠償を請求する予定だ。

キム・ミヒャン記者 aroma@hani.co.kr <ハンギョレ>資料写真

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/624453.html 韓国語原文入力:2014/02/17 09:37
訳A.K(1717字)

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