"今日無罪を宣告されたのは32年前、盧武鉉(ノ・ムヒョン)弁護士の献身的な努力のおかげだと思います。"
13日、釜林(プリム)事件再審で無罪を宣告されたコ・ホソク(57)氏は、釜山地方裁判所法廷を出ても、しばらく話ができなかった。 コ氏は自身が1981年に国家保安法違反容疑などで拘束された時、無罪を明らかにするため飛び回った盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領ぼ話から切り出した。
釜山大を卒業したコ氏は26才だった81年、釜山巨成(コソン)中学の英語教師であった。 その年8月、私服を着た30~40代の男3人に強制的にタクシーに乗せられ、釜山市警察局対共分室に連行された。 捜査官3~4人が逆さに吊るし棒でむやみに殴り足で蹴った。
36日後に対共分室を出た彼は、検察により国家保安法違反容疑などで拘束起訴された。 学習会を作り本を読み討論したということがその理由であった。 コ氏は82年6月、懲役6年を宣告され2年5ヶ月服役した後に83年12月仮釈放で解放された。 彼は直ちに当時39才だった盧武鉉(ノ・ムヒョン)弁護士を訪ねて行き感謝の挨拶をした。
コ氏は韓国キリスト教教会協議会(KNCC)傘下の釜山人権委員会幹事になった84年3月、盧弁護士を再び訪ねた。 釜山人権委法律顧問を提案したところ快く受諾されたと言う。 盧弁護士は87年6月抗争の時、民主憲法争取国民運動本部釜山本部の常任執行委員長を、コ氏は事務局長を務め共に戦った。
88年、盧弁護士は当時野党だった統一民主党の金泳三総裁の提案で政治に入門した。 その年、コ氏は赦免復権を受け7年ぶりに学校に復帰したが‘北韓に同調し称賛した’というレッテルが付いて回った。
10余年後の99年、獄苦を体験した11人が再審申請をしたという消息を聞いたが参加しなかった。 そうするうちに2012年10月、他の釜林事件被害者4人と共に再審を申し込んだ。 ‘国家保安法のためにまた別の被害を被る国民があってはならない’という気持ちからだった。
コ氏は「拷問を立証する公式的調査機構の報告書を提示できず、無罪を確信することはできなかった。 今回の再審判決を契機に、二度と国家暴力による罪なき被害が起きないようにしなければならない」と話した。
釜山/キム・グァンス記者