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国家情報院 「キム・ヒョンヒのように暮させてやるから、兄さんがスパイだと言え」

登録:2013-09-08 00:27 修正:2014-10-10 14:16
[土曜版]‘ソウル市公務員兄妹スパイ事件’…
懐柔・暴行‘嘘の自白’誘導
弁護団、スパイ‘ねつ造’疑い…‘パク・ウォンスン市長 打撃のためにしたこと’という推測も
スパイの濡れ衣を着せられ最近無罪判決を受けたユ・ウソン氏は、保守言論が去る1月自身と関連して書いた記事を集めた。 保守言論はユ氏が‘韓国居住脱北者1万人の情報を北に渡した’と断定的に報道した。 彼は \

▲‘イ・ソクキ議員内乱陰謀事件’で騒がしいこの頃です。 国家情報院の作品です。 しかし世論は国家情報院の捜査に好意的ではありません。 捜査より政治をしているという疑いの視線もあります。 去る1月、国家情報院が捜査した‘華僑兄妹スパイ事件’の当事者である前ソウル市公務員ユ・ウソン氏が先月無罪判決を受けました。 国家情報院が事件をねつ造したという批判が出ています。 国家情報院は果たして公正な捜査をしたのでしょうか? ユ・ウソン氏が<ハンギョレ>と会って初めて口を開きました。

 去る1月10日朝、ユ・ウソン(33)氏はソウル松坡区(ソンパグ)巨余洞(コヨドン)にある自身のアパートを出た。 仁川(インチョン)国際空港へ行くためだった。 中国、吉林省、延吉市(ヨンギルシ)に住む父親に会うために、北京行の飛行機に乗る予定だった。 父親は2006年に夫人を失い、昨年再婚した。父親の新しい暮らしを応援するために手には食器の贈り物を持っていた。 この日の朝、ユ氏は父親に会えるという期待で少し浮き足立っていた。

 アパートのエレベーターに乗り1階に下りた。 その時、スーツを来た見慣れない男たち10人余りが彼の行く手を遮った。 国家情報院職員だと言った。

 国家情報院職員らはこの日午前10時から午後3時までユ氏の14坪(46.281㎡)余りのアパートをシラミつぶしに漁った。 ユ氏は脱北青年の集いである‘ヤングハンウリ’の会長だった。 国家情報院職員は本箱に立ててあったこの会の会員名簿とユ氏のノートブック、メモリーカードなどを押収した。 ユ氏は国家情報院が用意した乗合車に乗った。 車両の窓は完全に覆われていた。 国家情報院職員らはユ氏がどこに移動するのかを説明しなかった。 ユ氏はソウル拘置所に収監され、青い囚人服を着た。 何の問題もないソウル市公務員だった彼は、突然‘囚番50番 ユ・ウソン’と呼ばれることになった。

‘脱北者情報を引き出した公務員’大々的報道

 国家情報院の捜査官らはユ氏をスパイだと主張した。 ユ氏の妹(26)が全て告白したと言った。 あきれた。 ユ氏は‘妹との対面尋問をさせてほしい’と要求したが拒絶された。 ユ氏は‘民主社会のための弁護士会’所属弁護士が訪ねてくるまで一週間一人で調査を受けた。

 ソウル中央地検公安1部(部長検事 イ・サンホ)は1月末、国家情報院捜査結果を渡されて補強捜査を経て2月26日、ユ氏を国家保安法違反容疑(スパイ・潜入・脱出・会合通信など)で起訴した。 言論はこの事件を‘華僑兄妹スパイ事件’と命名して‘脱北者1万人の情報がソウル市公務員を通じて北へ渡った’と大々的に報道した。 ‘ソウル市がスパイも見抜けずに公務員に任命した’として世論は沸き立った。 ‘国家情報院大統領選挙介入疑惑’事件で非難された国家情報院は、再び‘国家安保の柱’としてそびえ立った。

 しかしソウル中央地裁刑事21部(裁判長イ・ポムギュン)は去る8月22日、ユ氏の国家保安法違反容疑に対して無罪を宣告した。 裁判過程で‘兄がスパイだと告白した’という妹が 「国家情報院の懐柔・圧迫で嘘の陳述をした」として証言を覆したことが決定的だった。

 無罪判決に際して<韓国放送>(KBS)‘追跡60分’チームは、この事件を取材した。 中国現地で検察公訴状の内容を検証した。 しかし韓国放送は去る2日、製作チームに対し‘最終判決が下されていない状況での放送は不適切だ’という意見で、放送の保留を通知した。 韓国放送はなぜこの事件報道を躊躇するのだろうか。

 3日早朝<ハンギョレ>はユ・ウソン氏が暮らしている松坡区(ソンパグ)巨余洞(コヨドン)のアパートを訪ねた。 ユ氏は無罪判決直後、ソウル拘置所から釈放されてこちらに戻った。 彼は神経精神科の治療を受けに行くため準備中だった。 うつ病を病んでいて、薬を飲まなければ眠れず不安だと話した。 去る8ヶ月余りが彼には悪夢だった。

 "3月4日水原(スウォン)地裁安山支所で証人尋問のために出席した妹の顔を見ました。 私をスパイだと言った妹の顔がとても乾いていて、まともな精神状態ではないようでした。 とても悲しくて、その夜 拘置所で泣き続けました。 翌日の明け方3時まで泣いて寝ついたけれど、明け方6時頃に息が苦しくなりました。 病院に運ばれました。"

ソウル市公務員だった彼は
国家情報院が訪ねてきた1月以後
国家保安法違反の疑いで
拘置所に入れられ起訴された
国家情報院大統領選挙介入論難の直後…
脱北した妹は審問センターで
国家情報院職員の脅迫・暴行を受け
"兄さんはスパイ" 虚偽証言
先月、無罪宣告を受けたが
国家情報院は認めなかった

 ユ氏は精神的衝撃で狭心症の症状を示した。 ユ氏は2004年に韓国に来た時も、まさかこうしたことを体験するとは思いもしなかった。 「私は金正日政権が嫌いでした。 役人たちは余裕で暮らしているが庶民はとても貧しいです。」彼は咸鏡北道(ハムギョンブクド)鏡城郡(キョンソングン)の鏡城医学専門学校を卒業した後、脱北直前まで咸鏡北道、会寧市(フェリョンシ)のある病院で準医師(医師補助。3年制の医学専門学校を卒業すれば準医師資格証を得られる)として勤めていた。 治療薬がなく亡くなる住民がとても多かった。 医者たちは治療薬を持ち出して生計資金に使う例もあった。

 "韓国で医学の勉強をして医者になろうと決心しました。我が家は華僑でしたが、私と妹はずっと北韓で育ったので自らを韓民族だと感じています。 中国で暮らすつもりはありませんでした。 2004年3月10日頃、一人で北韓を脱出し、その年の4月25日に韓国に入ってきました。"

 ユ氏は脱北者定着支援金を受け取り、その年の8月に大田市(テジョンシ)に定着した。 苦労の末に2011年6月、脱北者特別採用でソウル市福祉政策課の契約職公務員になった。 基礎生活受給者相談をする業務に従事しました。 「2年勤めれば正規職公務員になれるという夢がありました。 ところが思いもかけずに国家情報院が…」ユ氏はため息をついた。

ハゲ頭の捜査官、中年女捜査官、60代の捜査官…

 ユ氏兄妹の不幸は2011年から始まった。 彼は2011年に北韓を脱出し延吉(ヨンギル)に住んでいた妹を連れてこようとした。 結局、妹は昨年10月30日に中国人旅券で済州(チェジュ)空港を通り韓国に入ってきた。 ユ氏はすぐに国家情報院に妹の入国事実を知らせ、妹は京畿道(キョンギド)始興(シフン)にある国家情報院合同審問センターに送られた。

 この時もユ氏は自分と同じく妹も数ヶ月後には解放されて韓国で一緒に暮らせるだろうと考えていた。 しかし妹から連絡は来なかった。 そうするうちに突然、今年1月国家情報院職員がユ氏の自宅に押しかけて来た。

 国家情報院がユ氏の妹から受け取ったという自白は驚くべき内容だった。「私が(韓国に定着して2年目の)2006年5月に心臓まひで亡くなった母親の葬儀を行うため北韓に再び渡った時、北韓の国家安全保衛部(保衛部)に捕まり、拷問を受けた後に南派工作員活動の提案を受けて承諾したということです。 全部作り話です。」この他にもユ氏は2007年8月、2011年7月、2012年1月の3度にわたり北韓に出入りし、2011年2月にはインターネット メッセンジャーで接続して延吉市(ヨンギルシ)にいた妹を通じて脱北者情報を北韓保衛部に渡したという疑いを受けた。

 ユ氏は妹の自白は虚偽だと反論した。 2007年から2012年まで3度北韓に出入りした事実はなかった。 彼は国家情報院と検察に何度も妹との対面尋問を要求した。 ‘証拠隠滅とねつ造の心配がある’という理由で拒絶された。 検察は妹の話だけを信じてユ氏を起訴した。

 去る4月4日に始まったユ氏の裁判は検察の要請で非公開で進行された。 裁判に証人として参加して証言したユ氏の妹とユ氏の弁護人の説明を総合してみれば、妹の自白は事実上国家情報院捜査官の拷問に近い圧迫により作られたものだった。

 ユ氏の妹は初めから兄さんをスパイだと言ったわけではなかった。 ユ氏の妹は、国家情報院捜査官の執拗な説得に疲れ果て虚偽の自白をしたと裁判過程でこのように証言した。 「俺たち(国家情報院)が誘導した通りに言わないと、兄さんも刑務所(懲役)に行くと言われ続けました。 自分たちが望む返事が出てこなければ、いつまでも陳述を得ようとしました。」 国家情報院は‘キム・ヒョンヒ’(大韓航空858機爆破犯)のように韓国で暮らせるようにしてやるから兄さんがスパイだと言えとしつこく説得したという。 スパイという結論が出れば‘死刑になったり無期または7年以上服役することになる’という話はしなかった。 ユ氏の妹は‘1年ほど監獄で苦労すれば韓国で兄さんと一緒に暮らせる’と考えた。

 懐柔が通じなければ暴行が続いたものとみられる。 ユ氏の妹はまた、裁判過程でこのように証言した。 「‘ハゲ頭の捜査官’は望む返事を私がしなければ私を立たせて頭を拳や水さしで殴りました。‘事実が明らかになればお前は死ぬんだ。俺がただではすまさない’と言いました。 私がぶるぶると震えれば、足で脚を蹴って、立たせ座らせることを反復させました。‘中年女捜査官’は私が着ていた収容服(運動服)の喉首をつかんで‘お前のようなガキはこんな服を着る資格がない’と言いながら服を脱がせました。 服を足で踏みつけ私を殴ったり頭を壁に打ち付けました。 時には監視カメラのない部屋に連れて行き、罵ったり殴ったりしました。 調査室が4階にあるのですが、監視カメラのない部屋も同じ階にあります。 中年女捜査官は、私が‘兄さんはスパイではない’と主張すれば‘違うということをお前が証明しろ’と要求したりもしました。」審問センターに入って1ヶ月余り頑張り続けたユ氏の妹は、ついに国家情報院の要求を受け入れた。 妹はこのような証言もした。 「ある日の夜、10時頃でした。 本来は寝る時間なのに突然に調査室に呼ばれました。 初めて見る60代のおじさんが来ていました。 60代のおじさんは夜が明けるまで‘兄さんがスパイをしたんだよね’と言いながら誘導しました。 私が違うといえば、望む陳述が出るまで殴りました。 恐ろしかったです。 翌日の明け方2時を過ぎた頃、私は兄さんがスパイだと虚偽を話してしまいました。」‘兄さんがスパイだ’という陳述を受け取った後、60代の調査官は‘ここ(韓国)は北韓とは違い人権を重視する’と話した。 ユ氏の妹はこの日疲れきって中年女捜査官に助けられて部屋に戻った。 嘘の自白をした自責感でユ氏の妹はトイレの鏡を割るなど、数回にわたり自殺を試みたがCCTVで監視していた審問センターの関係者たちに制止された。

 国家情報院は陳述すべき内容を詳しく説明したと言う。 ユ・ウソン氏が渡したという脱北者名簿が入れられた文書は、国家情報院の‘中年女捜査官’がユ氏の妹に黒板に描いて暗記させた。 捜査官の名前は分からなかった。

 つじつまが合わなければ国家情報院は直接陳述内容に対して修正を指示したりもしたと言う。 例えば‘ユ氏が2007年に北韓保衛部に説得された’という当初の陳述に対して‘大叔父さん’と呼ばれるある国家情報院捜査官は‘2006年と書きなさい’と指示した。 2006年にユ氏が母親の法事のために北韓に入った時に保衛部に説得されたと推論する方が自然だったからだ。 ユ氏の妹は 「‘ハゲ頭の捜査官’が白い紙に2007,2008,2012と書いておき‘この時、この時、この時、兄さんが北韓に出入りした可能性が高い’と説明した」と裁判過程で証言した。

北韓にいたという日、中国で撮った写真

 ある日‘嘘発見機検査’を受けたユ氏の妹は、心境に変化が起きて調査官に 「私の陳述は全部嘘だ」と話した。 彼女は裁判過程で「翌日、中年女捜査官が‘なぜ陳述を翻意するのか。お前のためにマンマの食い上げだ’と言って私に怒りました」と証言した。 しかし国家情報院は裁判で‘ユ氏の妹に対する拷問はなかった’と主張した。

 ‘民主社会のための弁護士会’はユ・ウソン氏弁護団を設けた。 キム・ヨンミン弁護士らは去る3月、中国現地調査を行った。 国家情報院の調査内容と検察の公訴状の内容が事実と異なる点を逐一明らかにした。

 先ず延吉市(ヨンギルシ)のユ氏の父親の家で昨年の1月22・23日にユ氏が父親と撮った写真が発見された。 検察公訴状には‘ユ氏が23日に北韓会寧市(フェリョンシ)で保衛部幹部と会合した’とされていたが、辻褄が合わなかった。 また、公訴状には‘(2006年5月下旬から6月初めまで)ユ氏が保衛部工作員の教育を受けた’とされているが、この頃にユ氏は水痘に罹り北京市の○病院で治療を受けていた。 弁護団はユ氏の診療記録を探し裁判所に提出した。

 その他にも弁護団はユ氏の妹が兄に渡された脱北者名簿資料(ほとんどがハングル プログラムによるhwp文書)を開いて見たという延吉市(ヨンギルシ)のネットカフェを訪ねた。 該当ネットカフェにはハングル文書を開いて見れるプログラムが設置されていないことも発見した。

 弁護団は国家情報院がユ・ウソン氏をスパイと誤解したのではなく、スパイにでっちあげたと疑っている。 国家情報院は押収したユ氏のノートブックから彼が昨年1月23日に北韓ではない延吉市(ヨンギルシ)で撮ったアルバム写真を発見した後に北韓で撮った写真だとし裁判所に提出したためだ。

 ユ氏のノートブックに対するデジタル証拠調査作業に参加したキム・インソン漢陽大コンピュータ工学科教授は 「国家情報院は‘インケース’という証拠調査プログラムを使うので、ある写真がどの地域で撮られたかを調べられる。 (ユ氏が)中国で撮った写真を北韓で撮ったものとし証拠として提出した理由が分からない」と話した。

 ところで、国家情報院はどうしてわざわざソウル市公務員として勤務していたユ・ウソン氏をスパイだと名指ししたのだろうか。 一部では‘パク・ウォンスン市長制圧指示’を受けた国家情報院職員が、パク市長に打撃を与えるために材料を探すために無理手を使ったのではないかという推測も出ている。

 国家情報院は今回の‘華僑兄妹スパイ事件’の主要証人に対する拷問・暴行と事件ねつ造の疑いを受けているが、事実上社会の監視領域外にある。 ユ氏の妹は、自身に暴行し虐待した国家情報院捜査官の名前も分からない。 彼らは法廷に出席しても仮名を使った。 チョン・チョンレ民主党議員は「国家情報院が主要被疑者・参考人調査をする時には必ずCCTVで録画し、証拠資料が残るよう法改正を推進する」と話した。

 ユ・ウソン氏は無罪判決を受けたが、国家を相手に被害補償訴訟をする計画はまだない。「黙ってこれ以上私を苦しめずに韓国にうまく定着して暮らせるようにして欲しい」という願いだけだ。 しかし、検察は先月26日に控訴を決めた。ユ氏は周辺の知人が集めたお金でかろうじて生計を立てている。 滞留資格がないという理由で7月3日に中国に追放された妹のように、自身もいつ追放されるやも知れないという脅威まで感じている。

文・写真 ホ・ジェヒョン記者 catalunia@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/602467.html 韓国語原文入力:2013/09/07 15:54
訳J.S(6701字)

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