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[土曜版] 親切な記者たち イルベにも表現の自由はあるんじゃないか~ということであります

登録:2013-05-25 00:01 修正:2013-05-25 10:05
広告が中断されたイルベのサイト 画面キャプチャー

 こんにちは。 お初にお目にかかります。 今週の親切な記者、土曜版チーム チェ・ウリです。 道で出会った名前も知らない犬や猫にも親切を施したい私は、人にはさらに親切です。 おかげで今まで他人にひどく非難されたこともないんですが…記事を一つ書いて一生分の悪口を食らったことがあるので、私をののしった彼らの‘表現の自由’について話してみようと思います。 民主党がイルベの5・18民主化運動に対する過度な戯画化と歪曲を理由に運営禁止仮処分申請をしたんですが、親切ですが一言言いたいチェ記者が皆さんと考えてみる主題は‘イルベと表現の自由’です。

 時は去る1月18日午後、イルベに見られる原初的暴力に対する分析記事(<ハンギョレ> 1月19日付12面)を書いた直後でした。 インターネット・ハンギョレに記事が掲示されて1時間も経たない午後4時頃、カカオトークが来ました。 "記事を書かれたハンギョレ記者の方なら今すぐに番号を変えられた方が良いでしょう。 (中略)番号をはたかれるのも間もなくです。 狙撃手たちが来れば記者の自宅まではたかれるでしょう。"

 率直に言って驚きました。 会った事もない20代初めの一人の男性が、新聞社の電話でもなく個人の携帯電話ですぐに話をしてきたんですから。 まもなくメールボックスには記事内容が誤っっているとしてイルベ人たちから怒りと悪口と嘲弄を交えたメールがあふれました。 知人が言うには、私のツイッターがイルベ掲示板に上げられてメッタ切りにされているとのことでした。 いわゆる身上はたきでしょう。 昨年息をひきとった伴侶犬と共に撮った私の写真が大きく掲示され、記者になる以前に友人たちと交わした冗談までもが公開されたようでした。 イルベ人たちが嫌いな‘キムチ×’(女性卑下的表現)の‘チュァジョム’(左翼ゾンビ・進歩卑下的表現)記者であったから、噛み甲斐があったでしょう。 状況がその程度になると、むしろ私を心配してくれる知人たちを私がなだめる状況になりました。 保守新聞の記者たちが一番最初に 「生きているか? 告訴しろ」として連絡してきたことも印象的でした。

 序論が長くなりましたがイルベの戦闘力を体験した、しかし二度とは体験したくない記憶を取り出したのは、イルベ人のアイデンティティをよく示す場面だと考えるからです。 2時間ほどの間、合間合間にカカオトークとチャットを交わしたイルベ人はイルベについてこのように説明しました。

 "イルベで罵る理由は、インターネットでまで良い話で誉めることは虚飾と見るからだ。 良ければ原初的に良いと言うべきだ。‘とても美しいです’ということが虚飾だ。 イルベはそのような飾りがない。 互いに障害者、バカ、このように言い合いながら遊ぶ。 私はイルベでコメントを付けながらストレスを解いている。"

 "(障害者卑下について)精神肢体障害者が自ら認証してイルベに来る。 イルベは本当にからだに障害があっても同じように受け入れる。 私はむしろイルベをしながら障害者に対する偏見も消えたし、ただ人間として受け入れられた。 実際に男女不平等がどこにあるか? 感性を刺激して(女性の)利益を企むことにしかならない。 そして全部をののしるのではなく概念を喪失した韓国女がターゲットだ。"

 対話をしてみれば怒りの理由が分からないではありません。 変貌する韓国社会で女性の存在は前近代と近代と後期近代が入り乱れていて、すべての女性を‘社会的弱者’とざっくりまとめられない姿が確かにありますね。 故盧武鉉前大統領に対する侮辱は道徳的には非難できても、政治家をばかにして風刺する行為自体は非難できないというのが時代の流れです。 李明博前大統領や朴槿恵(パク・クネ)大統領に対する風刺‘遊び’も多様になされていますしね。

 それでも最後までイルベ論理に同調しにくかった理由は、イルベ内の文化が他人の痛みに共感できなかったり自身に対する批判を受容できないからです。 5・18民主化運動犠牲者を‘ガンギエイ(全羅道(チョルラド)卑下)和えもの’と表現する水準の素養を、表現の自由だとして正当性を認められようとする‘図々しさ’が批判を受ける理由もこれと同じです。

 それではイルベ人たちのキーボードを打つ指を縛ってしまえば良いのでしょうか? 専門家たちはインターネット コミュニティ サイト‘DCインサイド’からイルベが離れて出たように、イルベを閉鎖したとしても名前だけが異なる第2のイルベが登場するだけだと思います。 イルベの主張が反社会的だからという理由だけで、基本権である表現の自由を源泉封鎖することは違う次元だということです。 また、その決定がブーメランのように戻ってきて、考えの異なる人に対する社会の暴力を容認できる雰囲気に一役買うこともありえるという憂慮も感じます。 それでホームページ閉鎖など議論の道を全面遮断する方法の代わりに、ナチ犯罪を擁護する個別行為に対して法的責任を厳しく問い質すドイツ方式を参考にしようという主張が出てくるかもしれませんね。

チェ・ウリ 土曜版チーム記者 ecowoori@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/588954.html 韓国語原文入力:2013/05/24 22:03
訳J.S(2266字)

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