"25才で(軍隊を)除隊して船を造って結婚し(5才と6才の)二人の息子をもうけ、千年万年生きても足りなかったであろうに…。せめて天ではあなたの子供と妻を良く見てあげてください。"
会社側の労組弾圧などに抗議して昨年自ら命を絶った韓進重工業労組幹部故最強で(36)氏の葬式路祭が開かれた24日午後、キム・ジンスク民主労総釜山本部指導委員が追悼辞が始まるとあちこちからむせび泣きが漏れた。
この日午前8時から釜山韓進重工業影島造船所正門などで開かれた葬式は、遺族と同僚労働者など500人余りが参加した中で全国労働者葬で厳粛に行われた。 故人が昨年12月21日、労組事務室で「労組に対する158億ウォンの損害賠償訴訟を撤回せよ」という内容の遺書を残して命を絶ってから66日ぶりだ。
チェ氏の妻イ・ソンファ氏は「会社と言論で夫が生活苦に耐えられず自殺したと言ったが(民主労組を死守しろとの)夫の遺言を敬うために66日持ちこたえた。 この日まで連帯し応援して下さった方々に感謝申し上げる」と話した。
同僚労働者は告別式が開かれた釜山韓進重工業影島造船所正門から釜山駅まで喪輿と輓章を前面に出して街頭行進し、昼12時頃に釜山駅で路祭を行なった。 キム・ジンスク指導委員は「チェ烈士が命をかけて最後まで守ろうと思ったものは民主労組だった」と話した。
キム・ジンスク指導委員など500人余り出席
韓進重正門前で全国労働者葬
労使‘判決に沿って合意処理’へ
裁判所が労組の責任を認定すれば攻防戦
路祭を終えた後、チェ氏の遺体はパク・チャンス、キム・ジュイク韓進重工業前労組委員長とクァク・ジェギュ組合員の墓がある慶南(キョンナム)梁山(ヤンサン)鼎足(ソッパル)山公園霊園に到着し、午後3時頃 遺族の嗚咽の中で安置された。 警察は葬儀が終るまで逮捕令状が発給されたキム指導委員ら5人を逮捕しなかった。 キム指導委員らは葬儀が終わった後、影島警察署に自ら出頭した。
これに先立ち労使は22日、今回の事態を妥結させる暫定合意をしたが、会社側が‘損害賠償請求訴訟と関連した内容は非公開合意書に入れよう’として決裂の危機を迎えた。 結局、労組が会社側の要求を受け入れ、23日に最終合意に調印した。
しかし韓進重工業労使は核心争点だった損害賠償訴訟問題を完全に解決できず葛藤の火種は依然残っている。 労使は158億ウォンの損害賠償訴訟と関連して‘裁判所の判決に沿って労使合意により処理する’と合意した。 裁判所が労組の責任を認める判決を下せば合意書の解釈を巡り労使が攻防を行うこともありうる。
チェ氏の死は私たちの社会に少なくないメッセージを投じた。 労組に対する使用者の損害賠償訴訟を防ぐ制度的装置を作ることまでは進めなかったとはいえ、労組を締めつけるために乱発されている損害賠償訴訟問題と、解雇から復職、休業(休職)に至るまで労働者が体験している現実的苦痛、大統領選挙以後の挫折感などがどれほど大きく深いのかを見て回る契機になった。 自らの死をもって抗弁するチェ氏の呼び掛けに多くの市民と労働者が再び‘希望のバス’に乗り釜山に駆け寄ったし、大統領選挙の陰で忘れられつつあった現代自動車非正規職問題と双龍(サンヨン)自動車解雇者たちの復職問題が再び水面上に浮上した。
釜山/キム・グァンス記者 kskim@hani.co.kr