正修奨学会と嶺南(ヨンナム)学院に続き、京畿道龍仁(ヨンイン)の韓国民俗村も朴正熙前大統領執権当時に強奪された財産だという主張が野党圏から提起された中で、民俗村設立者がこれを取り戻すために1980年代初めに大統領府などに出した陳情書が公開された。
<ハンギョレ>がパク・ウォンソク進歩正義党議員を通じて11日に入手した民俗村設立者キム・ジョンウン(71)氏の陳情書を見れば、キム氏は朴前大統領の死後である1980年と1982年の2度にかけて大統領府などに陳情書を出し「朴正熙前大統領の妻側の姪の婿チョン・ヨンサム(76)氏が権力を背にたった1億ウォンで55億ウォン相当の資産である民俗村を根こそぎ奪った」と明らかにした。 チョン・ヨンサム氏は陸英修(ユク・ヨンス)氏の長姉ユク・インスン氏の婿で、朴槿恵(パク・クネ)セヌリ党大統領候補の母方のいとこの夫だ。
韓国古美術協会会長だったキム氏は1972年に資本金1億ウォンで(株)器興(キフン)観光開発を設立した。 1974年10月、個人財産に借入金を加えた7億3000万ウォンを投資して、産業銀行を通じた融資形態で政府から6億8000万ウォンの支援を受けて民俗村を建設した。 だが、民俗村完工の翌年である1975年7月、キム氏は文化財保護法違反容疑で拘束された。
キム氏は2ヶ月後に保釈で釈放されたが、拘束されている間に後続工事が中断され資材代金として発行した小切手が不渡りになるなど深刻な経営危機に陥った。 このような状況でチョン氏が接近してきたということがキム氏の主張だ。 キム氏は陳情書で「(チョン氏が)自身を朴正熙大統領の姻戚だと紹介して、共同経営すればすべての難しい問題を自分が解決できるとして接近してきた。 係留中の刑事事件を検察に話して公訴取下までさせ、何もなかったことにすると言ったのでこれを承諾した」と話した。
1976年1月、キム氏は民俗村の所有・運営権を持っている器興観光開発の持分50%を1億ウォンでチョン氏に渡す共同経営契約を締結した。 この時からチョン氏の態度が急変したとキム氏は主張した。 キム氏は陳情書で「‘刑事事件で立件された人とは世間に恥ずかしくて共同経営はできないから、株式全てを譲渡しろ’と(チョン氏が)言った。 ‘もしこれに応じなければ再拘束させて苦労させるし、民俗村は銀行に公売処分させて自身が銀行から買いとる’と脅迫した」と明らかにした。
結局、キム氏は1976年5月に自身が持っていた器興観光開発の残りの持分50%まで1億ウォンを受け取りチョン氏に引き渡した。 キム氏は陳情書で「9億ウォンを受け取ることで持分売買契約をしたが、残りの8億ウォンは受け取れなかった。 チョン氏は‘銀行が公売処分すると言えば、どうせあなたが受け取れる金はないから、私に渡せ’と脅迫した」と主張した。
以後キム氏は1979年に最高裁で無罪を宣告されたが、民俗村の所有権は取り戻せなかった。 現在、民俗村の所有・運営権は器興観光開発が名前を変えた(株)チョウォン観光振興が持っていて、この会社の持分はチョン氏とチョン氏の夫人(朴槿恵(パク・クネ)候補の母方のいとこ)、その子供3人が分け合っている。 この会社の現在の資産は858億ウォンだ。
キム氏は<ハンギョレ>との通話で「原因無効訴訟のために法律事務所と相談中だ」と明らかにした。 パク・ウォンソク議員は「チョン氏は民俗村を基盤として財産を増殖し、チョン氏一家が所有する7ヶの企業の総資産は昨年末基準で4529億ウォンに達する」と話した。 これに対して韓国民俗村広報チームは 「昔のことで内容は分からない。 説明できることはない」と明らかにした。 <ハンギョレ>はチョン・ヨンサム氏の説明を聞くために直接会社と自宅を訪ねたが会えなかった。
キム・キュナム記者 3strings@hani.co.kr