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拷問を行った過去…3選区庁長の墜落

登録:2012-10-12 10:59 修正:2012-10-12 11:00

原文入力:2012/10/11 22:05(1970字)

チュ・ジェヨプ陽川(ヤンチョン)区庁長. 写真/ニューシス

チュ・ジェヨプ陽川(ヤンチョン)区庁長、当選無効刑

80年代 保安司捜査官として勤務

裁判所、"拷問目撃" 証人 陳述認定

3選の現職区庁長であるチュ・ジェヨプ(57)ソウル陽川(ヤンチョン)区庁長が1980年代に国軍保安司令部(現 機務司)捜査官として勤め、スパイ事件を捏造するために拷問を行っていながら選挙過程でこれを否認する嘘をついたことが明らかになり、当選無効刑を宣告されて法廷拘束された。

 ソウル南部地方裁判所刑事11部(裁判長キム・ギヨン)は11日チュ氏の公職選挙法違反容疑(虚偽事実流布)に対し懲役3ヶ月、偽証・誣告の疑いに対して懲役1年を宣告し法廷拘束した。 2002年ハンナラ党(現 セヌリ党)の公認を受けて初めて陽川区庁長に選出されたチュ氏は昨年10月に区庁長再選挙で当選して自身の3期目の陽川区庁長職を遂行してきた。

 チュ氏の拷問前歴は2010年6月の地方選挙時から議論になった。 当時、陽川区庁長選挙に出馬したイ・ジェハク候補が競争候補であるチュ氏に対して「保安司勤務時(1985年)、在日同胞イ・ジキル(70)氏らをスパイとしてでっち上げるために拷問に加担した」と報道資料等を通して明らかにし、チュ氏は公職選挙法違反容疑(虚偽事実流布)でイ候補を告訴した。 この時、チュ氏は法廷に出席し「在日同胞ユ氏を拷問したことも、拷問現場にいもしなかった」と証言した。

 選挙で当選したイ・ジェハク区庁長は結局、最高裁で罰金250万ウォンの刑が確定し、区庁長職から退き、昨年10月の陽川区庁長再選挙にチュ氏が再び出馬した。 すると在日同胞キム・ビョンジン(57)氏が「チュ氏がユ氏を拷問したのを直接見た」と記者会見を行った。 これに対してチュ氏は 「同僚スパイを密告した功績で処罰を免れた者の虚偽事実流布」という内容の携帯メールを選挙区民に発送した。

 自身が保安司の拷問被害者だった在日同胞キム氏は、チュ氏の過去法廷証言と携帯メール発送内容が虚偽だとし告発し、検察もチュ氏を公職選挙法違反、偽証、誣告などの疑いで起訴した。

 複雑にからまった拷問論難の実体について、この日裁判所は「ユ・ジキル氏とキム・ビョンジン氏が当時の(拷問)状況を具体的に述べたし被告人に対して悪感情を持つ理由がなく(チュ氏がユ氏を拷問したという)陳述に信憑性がある」と判断した。 また「拷問などは重大な不法行為であるが、被告人は自身の誤りを反省しておらず犯行を否認しているという点を総合すれば厳重な処罰をすることが当然だ」と判示した。 裁判所は 「被告人に対する無罪推定原則をこれ以上は維持し難く、犯罪事実の内容に照らして控訴審で逃亡する恐れがある」としてチュ氏を法廷拘束した。

 宣告後、チュ氏は「過度に苛酷だ」と抗弁したが、キム・ギヨン裁判長は「拷問をしたか否かは被告人がよく知っている」とし「裁判所は提出された証拠と法原則に則り最も合理的と考えられる判断を下した」と答えた。

 保安司を退役した後、1991年ソウル市議会専門委員として政界に入門したチュ氏は、自由民主連合スポークスマン室行政室長、国会事務局政策研究委員などを経て2001年ハンナラ党副報道担当者になり、続いて3選の区庁長に変身した。

 チュ区庁長の過去拷問行為を世の中に知らせ彼を検察に告発した在日同胞キム氏は、この日<ハンギョレ>との通話で「拷問された方と家族の恨を少しでも解いて差し上げることができて心が安らかだ」と話した。 キム氏は延世(ヨンセ)大大学院に在学中の1983年、当局のでっち上げによって在日韓国人スパイの汚名を着せられ、保安司で拷問を受けた。 保安司は日本語に堪能なキム氏を脅迫して、彼を起訴しない代わりに2年間軍務員として勤めさせた。

 1985年チュ氏をはじめとする保安司捜査官が在日同胞ユ氏を拷問する時、キム氏は通訳を受け持って拷問現場を直接目撃した。 キム氏は「捜査官がユ氏の服を全部脱がせ角材に吊るし拷問したが、当時チュ氏が濡れタオルをユ氏の顔に直接のせヤカンで粉トウガラシを混ぜた水を注いだ」と話した。

 現在、日本の堺市に居住しているキム氏は「チュ氏が図々しくまだ自身の誤りを認めないとは残念だ」と話した。 拷問被害者ユ・ジキル氏は現在、日本の岡山市に住んでいるが連絡がつかなかった。

キム・ジフン記者 watchdog@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/555424.html 訳J.S