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光州(クァンジュ)市民軍出身の医師 “5月の傷” を治癒

原文入力:2012/07/02 21:12(2021字)

←5・18トラウマセンター長に内定した医師カン・ヨンジュ氏が2日午後、院長を務めるソウル中浪区(チュンナング)面牧洞(ミョンモクトン)のアナパ医院で「私の国家暴力被害経験を昇華させて5・18光州民主化抗争でトラウマを体験している人々の治癒に取り組む」と言って明るく笑っている。 イ・ジョンア記者 leej@hani.co.kr

カン・ヨンジュ氏 光州トラウマセンター長内定
高3で参加して道庁鎮圧前に脱出
“生きている者の負債意識”から民主化運動
欧米留学生事件連累 拷問受け
「国家暴力被害者の一人として
5・18で苦しんでいる人を助けたい」

 彼は今でも“南山(ナムサン)”に行けば息がぐっと詰まってしまう。 脈拍がはやくなって不安になる。 ソウルの南山(ナムサン)は過去中央情報部(現国家情報院)の対共調査局の建物(現ソウル市庁南山(ナムサン)別館)があった所だ。 多くの人が引っぱられて行ってぞっとするような拷問にかけられた。 1995年当時国家安全企画部が瑞草区(ソチョグ)内谷洞(ネゴクトン)に庁舎を移すまで“南山(ナムサン)”は「飛ぶ鳥も落とす」という情報機関の別称だった。

 収監14年目の1999年に最年少非転向長期囚として出所したカン・ヨンジュ(50・ソウル アナパ医院の院長)氏にとって、南山(ナムサン)は依然として威圧的な場所だ。 カン院長は2日「何ヶ月か前に故キム・グンテ先生の放送番組製作のため南山(ナムサン)別館に同行し私が拷問された場所がここですと言った瞬間、不安感に襲われてその場に立ったまま泣いてしまった」と語った。

 国家暴力被害者であるカン院長が、早ければ今月末開院する「光州トラウマセンター」のセンター長(非常勤)に内定した。 トラウマ(外傷後ストレス障害)は戦争、拷問など国家暴力や事故、犯罪被害のような身体的・精神的衝撃を体験した後現れる精神障害を意味する。 国内初の公立の光州(クァンジュ)トラウマセンターは、政府と光州市が67億5000万ウォンずつ出して設立する。 光州(クァンジュ)西区(ソグ)治平洞(チピョンドン)の光州都市公社の建物でスタートし、来年は尚武(サンム)地区の5・18教育館のそばに建物を立てて入居する方針だ。 カン院長は精神保健分野の看護師や心理相談分野の専門家など10人余りと共に、5・18被害者と家族、国家暴力の被害者たちの傷を治療する。 拷問被害者であり同時に拷問被害者の治癒プログラムを実施してきたので、適格者に挙げられる。

 彼は全南(チョンナム)大の医学部生だった1985年、安全企画部が発表したいわゆる「欧米留学生スパイ集団事件」に連累され無期懲役を宣告された。 ソウル南山(ナムサン)安全企画部別館に引っぱられて行き60日間拷問にあったあげく嘘の自白をしてしまい、一枚の転向書を書くことを拒否して14年閉じ込められていた。

 「5・18光州(クァンジュ)虐殺や拷問のような国家暴力の被害者は、数十年が過ぎたけれどもいまだに怒り、酒を飲み、事故を起こし、うつ病になります。 性格の問題ではないのに個人の責任のようにされてきました。」 国家暴力被害者の精神は傷つけられたその瞬間をほんの一寸も抜け出せないまま、さ迷い徘徊しているという。 2009年の統計を見れば、5・18の負傷後遺症死亡者380余名のうち自殺者が41名(10.8%)だ。 経済協力開発機構(OECD)会員国の平均自殺率0.02%より300倍も高い。

 彼は光州(クァンジュ)望月洞(マンウォルトン)の5・18墓地に行けば今でも平常心を失う。 高校3年の時5・18に市民軍として参加し、鎮圧の前日に旧全南道庁を抜け出したのが傷となって残った。 「生き残った者の恥ずかしさのために一層激しく独裁と闘おうとしました。 そうするうちに拷問で「ごみ箱に捨てられた私の魂」を見て傷つきもしたが、内面の傷に対面することで自ら治癒しました。」

 1999年復学して2004年卒業したカン院長は家庭医学専門医になった2008年、精神科医師であるチョン・ヘシン博士とともに拷問治癒の会<真実の力>を設けて現在まで拷問被害者治癒の会の活動に精を尽くしている。

 カン氏は「5・18被害者らと家族が体験している苦しみの原因が国家暴力であるということを分からせ、治癒の道を助けたい」として「5・18が他の国の民主主義の手本となったように、光州がアジアのトラウマ治癒のハブの役割をしなければならない」と話した。

光州(クァンジュ)/チョン・デハ記者daeha@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/area/540612.html 訳J.S