原文入力:2012/06/25 21:13(1011字)
拷問後遺症に苦しんだ末
1980年5月光州(クァンジュ)抗争当時、市民軍として参加し拷問の後遺症で精神分裂と被害妄想に終生苦しめられてきたソ・ホヨン(写真)氏が24日明け方亡くなった。 享年53。
戒厳軍が光州市民を流血鎮圧した80年5月、当時21才の青年だったソ氏は市民軍に加担して最後まで全南(チョンナム)道庁を守った。 ソ氏の姉イェヨン(55)氏は「早く道庁から出るよう泣いて喚いて頼んだが、弟は『最後まで残って状況室の電話を受けなければならない』と言って聞こうとしなかった」と当時を回顧した。 結局ソ氏は戒厳軍に捕まり、一ヵ月半にわたり監禁状態での殴打が続いた。 その後、強制徴集されて軍隊に入れられたが、市民軍出身というレッテルのついた彼には軍隊内の苛酷行為が待っていた。
除隊後ソ氏は被害妄想症に苦しめられた。 普段はなんともないが、突然「あの人が私を殴ろうとしている」とか「全斗煥、盧泰愚が私の仕事を妨害している」と口走ったりした。 90年に結婚して息子が産まれたが、症状は良くならず結局93年に離婚した。
以後、被害妄想に精神分裂まで重なった彼は暴力前科で10回以上収監され、96年ソウル高裁はソ氏に治療監護を宣告した。 ソ氏は精神病で何回も治療監護を受けたが、身体上の被害だけを認定する「5・18補償法」のために補償も受けられないまま、家族と離れて基礎需給生活者支援金の月17万ウォンで独りで生きてきた。 彼は結婚前後しばらく建設会社で仕事をしたほかは、一生職業を持つことができなかった。
24日未明、ソ氏は普段つきあいのあった人と争いが起き、暴行されて亡くなった。 警察が捜査中だが遺族は詳しい内容を明らかにすることを憚った。 弟のヨンソク(51)氏は「一生、拷問の後遺症に苦しめられて生きてきた兄はこのように空しく亡くなったのに、財産が29万ウォンしかないという加害者(全斗煥)はあまりにも贅沢な暮らしをしている」と言って鬱憤をぶちまけた。
ユン・ヒョンジュン記者 hjyoon@hani.co.kr
写真5・18民衆抗争ソウル記念事業会提供
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/539554.html 訳A.K