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10時間走ってきて荷を積んでまた… "昼夜なきタダン、手に残るのは雀の涙"

原文入力:2012/06/26 21:58(2765字)

[ルポ] ‘貨物車労働者の一日’同行
仁川~釜山~坡州(パジュ)‘一日往復’
"前だけ見て走るが、ぼんやりしている感じ"
50万ウォンを超える燃料代を節約するため
下り坂での加速に車を任せて

※タダン:<一日往復運行>

"タダンを一緒に走るって? 私たちは生きていくためにすることだけど、苦労をちょっとしてみたいんですか"

 去る18日朝7時50分頃、仁川南港前のコンテナトラック駐車場で会った民主労総公共輸送労組貨物連帯所属貨物車運転者カン・某(53)氏は笑って話した。 家から持ってきた登山用ザックとショッピングバッグを持ち高さ2メートルの運転席に先に乗りこんだ彼はエアーコンプレッサーで運転席内部のホコリを払い始めた。 「今後5日間、一日中いる所なので毎日このように掃除をしなくてはなりません。 そうしないとすぐに体調が悪くなります。」彼が下ろしたカバンの中には下着2着と靴下3足、着替えのズボンとTシャツが2着ずつ入っていた。「道端のどこでも駐車して寝て、起きている時はひたすら運転します。 路上生活者と変わらないです。」

 ‘タダン’とは、仁川や京畿道、高陽(コヤン)などでコンテナを積んで、釜山で荷物をおろして、また別のコンテナを載せて夜道を戻ってくる一日往復運行を言う。 コンテナを載せて下ろす作業時間1時間余りを除いて、15~16時間以上運転しなければならない辛い仕事だ。 命を賭けて眠気と戦わなければならず、時にはからだが曲がる境遇だが、彼は月に13~15回もタダンを走って京畿~釜山をハツカネズミのように回ると話した。

 彼が家庭生活まであきらめるようにしてタダンを走らざるを得ない理由は最大限多くの距離を走って売上額を増やすためであった。 この日、釜山まで往復しながら彼が受け取った運賃は90万ウォン程度であった。 この日一日分の燃料代が50万ウォン以上かかり、高速道路料金として5万ウォンを使った。 これに毎月300万ウォン以上払わなければならない車両割賦金と車両持込料などを考えれば時間を惜しみに惜しんで運転してもまだ足りない。 また、夜8時から明け方6時までは高速道路料金が最大50%割引という事情もある。 毎月高速道路料金だけで100万ウォン以上を使う運転者には少なくない恩恵だ。

 もう一つ、タダンを走る理由は油類税補助金のためだ。 「運行してもお金は残りません。 せいぜい‘トントン’(収支均衡)になるかどうか?」 それでもたくさん運行すれば油の使用量が増えて、リッター当り345ウォンずつ払い戻される油類税補助金もそれに比例して多くなる。 売上が多かろうが少なかろうが‘トントン’になるかどうかなので、せめて油類税補助金恩恵でも多く受け取らなければならないという算法だった。

 支出の中で燃料の比重があまりにも高いので、貨物車運転者は油を惜しむのに総力を尽くす。 車があまりに重いので小さな差でも月に数十万ウォンずつ支出が変わる。 仁川から釜山に向かうのに、嶺東~中部内陸~南海高速道路を経由する理由も同じだった。 まず車が多くなく時速70km定速走行が可能で、上り坂と下り坂が交差して下り坂では油を節約できるということだ。

 実際、この日混雑していた嶺東高速道路をすぎて閑静な中部内陸高速道路に入った後、下り坂になるたびにカン氏はギアをニュートラルにして下り坂による加速に車を任せた。 エンジンが休んでいる間、燃料代は節約できるだろうが、問題は車の重さであった。 数十トンに達する貨物車がはずみをつけ始めると、すぐに恐ろしく速度がついた。 下り坂の底点では時速130kmを越え、閉じられた窓の外から轟音が聞こえる状況だった。 カン氏は「車があまりにも重くて、この状況ではブレーキもよく効かないというのは分かっているが、燃料代の節約のためにはこうしなければならない」として「飢えて死のうが事故で死のうが、同じじゃないか」と話した。

 この日午後5時を過ぎてカン氏のトラックが釜山港湾に到着した。1時間余りコンテナを交替して、坡州に戻らなければならない道、カン氏の表情がはっきりと暗くなった。 今日だけで10時間近くも狭い車の中でハンドルを握っているのだから無理もない。夜間には眠気という新しい変数も生じる。 彼は闇がたちこめ釜山に背を向けなければならないこの時間が最も佗びしいと話した。 彼は「前を見て走ってはいるが、ここがどこか何かぼんやりしている感じ、よく分からないでしょう?」と話した。

 そのような彼に最も大きな慰めは車両についている無線機を通じて聞こえる‘貨物連帯’所属の同僚運転者の声であった。 「30号国道を走っているけど、洛東江(ナクトンガン)がいいですね。」 「同志たち、居眠り運転に気を付けて下さい。」「私は先月も50万ウォン‘パンク’(赤字)だった」「来週ストライキ入れば屈せずにがんばろう。 今回も負ければ本当に死ぬしかない。」休みなしに続く同僚運転手の愚痴を聞いて眠気を追い払い、一人ではないという感じを受けるということだ。

 明け方2時頃「私は慶州に着いた。 同志たち良く寝て下さい」という同僚運転者の最後の無線機の声を最後にもう無線機からも便りがなくなった。 並んで座った彼と記者の間の対話も途切れて久しい。 ひたすら目的地に早く着くことだけを待つ時間が1時間を超えて続いた。 明け方3時30分頃、カン氏のトラックは坡州LCD団地に到着した。 彼は工場の一画に車を駐めると、運転席の後の80㎝幅の簡易ベッドに身を横たえた。 ベッドは一つしかない。 「明日の朝、物流会社から電話がくればまた釜山に下って行かなければならないので、申し訳ないが私はちょっと横になりますね。」

 あと数時間すれば運送会社から‘○時まで釜山に行く仕事があるけど、やるか?’という電話がくるだろう。 その電話を受けるまで何もできない彼は眠った。 ぎこちない息づかいが20余秒続くと、カン氏はすぐにいびきをかき始めた。 記者に配慮して点けたオレンジ色の室内灯が彼の顔に暗い影を落としていた。 定住できない彼の人生に似た深い明暗だった。 カン氏は貨物連帯ストライキ2日目をむかえた26日、赤い鉢巻を頭にまいて仁川港湾前で開かれた集会に参加していた。

釜山、坡州/ノ・ヒョンウン記者 goloke@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/539684.html 訳J.S