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「巨済島に溶接に行っても、双龍自動車で働いていたという理由だけで就職できず」

原文入力:2012/06/11 11:02(6693字)

←金属労組双龍(サンヨン)自動車支部コ・ドンミン組合員とキム・ジョンウ支部長、パク・ホミン宣伝部長、チョ・グク教授(左から)が7日午後ソウル大漢門前の双龍車犠牲者焼香所で話を交わしている。 イ・ジョンア記者 leej@hani.co.kr






【チョ・ググの出会い】ソウル 大漢門前の座り込み“双龍車整理解雇者”


2009年77日間の工場占拠籠城と強硬鎮圧、 2646人(所属労働者の37%)という大量放出、そして相次ぐ22人の死。 双龍(サンヨン)自動車事態は“労働なき民主主義”の残忍さを見せつけた悪例だ。 4月5日大漢門の前に焼香所とともに“希望テント”を張って座り込みを行なっている双龍車整理解雇者に、6月7日、熱い日差しのもとで会った。 20余年前の労働夜学教師の経験しかない白面書郎(本ばかり読んでいる顔の白い人を言う)が、キム・ジョンウ(53・民主労総金属労組双龍自動車支部長)、パク・ホミン(38・宣伝部長)、コ・ドンミン(37・双龍自動車汎国民対策委企画チーム長)の3人の“鉄の労働者”に会った。 チョ・グク  ソウル大法学専門大学院教授、ツイッター @patriamea

-双龍(サンヨン)自動車で何年働いたか。

キム・ジョンウ:1990年に入社して20年勤続だ。

パク・ホミン:2001年8月に実習に来て、2002年1月19日大宇自動車時代に正式社員になった。 8年11ヶ月になった。

コ・ドンミン:2003年6月30日に入社した。それ以前は演劇活動もしたし流通業で働きもした。

-大漢門で座り込みをすることになった理由は何か?

キム・ジョンウ:これ以上の死、23人目の死を防がなければならない、解雇者は工場に戻らなければならない、という点を広く知らしめるためだ。

パク・ホミン:今までは我々だけで闘ってきたが、今後は市民との連帯が必要と考えた。

コ・ドンミン:この3年間、切迫した心情で闘ってきたが、我々の死や闘争が知られるようになったのは昨年3月からだった。 それ以前は進歩言論でさえ我々の話を多くは扱えなかった。 人が死んだ時に焼香所設置や路祭のニュースを伝える程度だった。

我々は“生ける屍”
会社・警察・保険会社まで損害賠償訴訟
随時仮差押さえ告知が舞い込む
自分の名前で通帳も作れない…
23人目の死を防ぎたい…

-2009年77日間の“玉砕ストライキ”以後、初めて社会的注目をあびた。 整理解雇対象者2646人中2026人希望退職、461人無給休職、159人が整理解雇されたと聞いている。

パク・ホミン:他に懲戒解雇者44人がいる。 私の場合がそれに当たるが、もともとストライキ後に業務復帰者だったのが、ストライキに参加したことを会社がけしからんといって首を切った。

キム・ジョンウ:義理を守った罪だね。

-双龍車事態の3年間を概括してほしい。

キム・ジョンウ:始まりは1997年末、IMF経済危機だった。 大宇グループの金宇中(キム・ウジュン)会長が株式単価100ウォンで双龍車を買収したが、その後大宇自動車が没落すると第1次構造調整を行い労働者を放り出した。2000年に双龍車が大宇自動車から分離する際、第2次構造調整でまた労働者を放り出した。 その後、双龍車はワークアウトを抜け出した。 公的資金が投入されて双龍車が正常化され黒字に転換した。 黒字に転換するや2004年に中国の上海自動車に売却されたが、この時また労働者を放り出した。 上海車が双龍自動車を買収しようとした目的は企業を活性化させようとするためではなかった。 技術を盗んでから“食い逃げ”するのが目的だった。 2006年に15日間工場の門を閉鎖した最初の“玉砕ストライキ”の後、また数百名を切った。 リストラが全部で4回あったわけだ。 この“玉砕ストライキ”後には労組委員長2人を不正容疑で拘束させた。 労組は致命的打撃を受けた。 そうした過程で上海車は技術をそっくりくすねていった。

コ・ドンミン:双龍自動車事態は資本はもちろん国家次元で企画したのではないかという疑問を感じる。 キム・デジュン政府が新自由主義政策を採択して以降、整理解雇法、非正規職法、派遣法などが作られた。 一気に倒産させたり、なくすことは難しいから、徐々に双龍車を無力化させたのではないか。そして決定的だったのは2009年、イ・ミョンバク大統領が構造調整しなければ会社を救済しないと宣言し、会社側はそれに力を得て労働者を追い出した。 イ・ミョンバク大統領が、そして国家が、解決のために動くべきだと我々が要求し続けるのもこのような理由からだ。

-資本にとって労働者は費用に過ぎないのか…。2009年の“玉砕ストライキ”と鎮圧過程を扱ったドキュメンタリー<あの月が満ちる前に>と<あなたと私の戦争>を見た。その時現場にいたか?

キム・ジョンウ:我々は皆77日間その中で一緒に戦った。 この2人は執行部員としてハン・サンギュン同志と同苦同楽をし、私は平の組合員だった。 当時国家と会社側は我々をテロ犯や共産軍のように扱った。

パク・ホミン:当時私は塗装班で警察、外注ガードマン、救社隊と対峙していた。 戦いながら、どうして国家権力がこれほど無慈悲に労働者を扱うことができるかと思い、罵詈雑言が飛び出した。「龍山惨事」が他人事ではなかった。

コ・ドンミン:恐ろしかった。 私は幹部だったために恐怖心を表現することはできなかった。 これでは本当に死亡者が出るかもしれないと瞬間的に思った。 8月5日の強制鎮圧当時、実に多くの人が負傷した。 殴られた人達を引き抜いて行くとき、ぞうきんみたいにぼろぼろになってしまった感じがした 。 国家権力が我々を人間として扱っていないということをはっきり悟った。

-工場占拠籠城で拘束された人は全部で何人か?

コ・ドンミン:96人が拘束された。

-損害賠償請求もされたが。

パク・ホミン:会社はもちろん警察も、さらにはメリッツ火災までが請求した。 求償権を行使すると言って。 総額390億ウォン程の損害賠償が請求された。 月給も家も仮差押さえされた。 “生ける屍”になった格好だ。

-こんなこと言うのは何だが、身体の拘束で済む刑事処罰より月給と家を奪われる民事訴訟の方が一層苦痛かもしれない。

コ・ドンミン:個人破産した人が多い。 家庭不和は普通のこと。離婚も多い。 77日間ストライキする時は、これが終わったら家族によくしてやらなくてはと心に誓った。 しかし実際にストを解いて出て行って見ると、双龍車出身だという烙印で再就職もできず他で稼ぐことも容易ではなくて・・・。

パク・ホミン: 裁判所、会社、警察などから仮差押さえ告知書が随時舞い込む。 私の名前で通帳も作れない。家や土地も売れない。 日常生活を営むことを困難にさせる。

-双龍車出身は“ブラックリスト”に上がっていて再就職もできないと聞いている。

キム・ジョンウ:20~30回履歴書を出したが、双龍車に勤めていたという理由で再就職できない。 履歴書に双龍車の履歴を書かなくても、4大保険や国民年金資料から全部分かってしまう。 巨済島(コジェド)に溶接をしに行っても双龍車で働いていたという理由だけで就職できない。

-なぜ22人が亡くなったのか十分推し量ることができる。 2009年の工場占拠籠城当時、労組は整理解雇に対抗して仕事を分け合うことを通じて総雇用を維持するという代案を提示した。

コ・ドンミン:新車開発資金確保のために労働者の退職金を担保に1千億ウォンを出資しよう、賃金と福祉削減を受け入れ非正規の職雇用安定のために12億ウォンを出して非正規職雇用を保障しよう、などを提案した。ローテーション式無給休職も先に提示した。 会社の状況が本当に困難ならば金を受け取らずに待機してでも総雇用を保障する方案を提案した。 しかし会社は受け容れなかった。

-現在の双龍車の経営状況はどうか?

パク・ホミン:会社は昨年約11万台を販売したし、今年も営業利益が出て芸術の殿堂で野外フェスティバルもやった。 会社は赤字を云々するが言い訳だと見る。 会社の本音は玉砕ストライキ参加者は絶対受け入れることができないということだ。

キム・ジョンウ:会社は網で囲う養殖場の保護膜を工場の周りに巡らせたようだ。 追い出された我々と現在働いている労働者が混ざってはいけないということだ。

コ・ドンミン:2001~2003年に3000~5000億ウォンの最大黒字を出した時、販売台数が14万台だった。 2001年の12万台生産を平均と見ても年間11万台ならば皆に月給を払って新車開発することができる。 今年は月1万台以上を販売したと広報しているのだから2001年の水準になったわけだ。 しばらく前にはTVドラマ協賛もした。 人員は半分に減ったので利益はさらに多いはず。 双龍車はすでに正常化軌道に乗ったというのが専門家たちの評価だ。

優先採用の約束は“履き古しの靴”
会社、赤字云々しているが言い訳だ
今年も営業利益が出て
芸術の殿堂でフェスティバルもやった
先日はTVドラマ協賛まで

-勤労基準法25条は整理解雇3年以内に新規採用する場合、整理解雇労働者を優先採用するよう規定している。 会社は4月9日から新規採用公告を出したが、会社側の話を聞いてみれば、スト参加者はこの新規採用でも救済されないようだ。 ところで会社内部に金属労組を脱退した新労組が作られた。

パク・ホミン:操り人形として作ったのだ。 会社が好きなように統制できるシステムを作るために会社のいうことをよく聞く人間で労組を作ったのだ。

コ・ドンミン:ストライキ後、パク・ヨンテ法定管理人が社長になり、金属労組から脱退させると言った。 労組はそんな決定をしていないのに。 民主労総や金属労組が何かしてくれたことがあるかと扇動しながら、脱退に同意しなければ追い出すと威嚇して脱退が成立した。同意しないとして持ちこたえた人もいたが、2646人が会社の外で待っているのだから、そういう流れにならざるを得なかったのだ。

キム・ジョンウ:そういう状況では労災にあっても腹帯を締めて仕事をせざるをえない。 不当だとして抵抗すれば「お前の他に働く人間はたくさんいる。ガタガタ言わずにおとなしく働け」という答が返ってくる。

-整理解雇は双龍車だけの問題ではない。 整理解雇後の空席は主に非正規職で埋められる。 会社の立場では労働統制がはるかに容易になる。 19代国会で整理解雇法がどのように変わるべきだと見るか?

キム・ジョンウ:整理解雇の要件を変更するのではなく、整理解雇制度自体を廃止しなければならない。 それを現在の国会がまともにやり遂げられるか疑問だ。

コ・ドンミン:キム・デジュン、ノ・ムヒョン政府下で反労働的法律がやたらに可決された。 もはや新自由主義時代は終わるべきだという点については、社会的共感が成立しているではないか。 整理解雇要件を強化したからといって解決される問題ではない。要件が強化されても資本がそれを守るか。 現代自動車の社内下請けが不法だという最高裁判決が下されたにも拘らず、現代自動車は守ろうとしない。 セヌリ党は社内下請け法を作ってこの不法を正当化しようとしているし。

-整理解雇や非正規職許容はIMFの状況下で非常措置として導入されたものだ。 “労働戒厳”と言おうか。 IMFは終わったが“労働戒厳”はそのままだ。 最近民主党はイ・ソクへン前民主労総委員長を委員長とする双龍車対策委員会を作った。 イ委員長は無給休職者は復職させ、整理解雇者は段階的に働き口を用意する政策を提示している。

パク・ホミン:イ・ソクヘン委員長と我々双龍車支部との温度差があまりにも大きい。あの人が民主労総委員長だった人なのか、構造調整のことをよく知っている人だったらあんな提案ができるだろうか、とも思った。

コ・ドンミン:民主党は適当な折衷案を出して会社と適当なレベルで取り繕おうとしているのではないか。 韓進重工業事態のようにね。 '会計操作’ の上で行なわれた整理解雇は源泉無効だ。 不当解雇されたすべての労働者が工場に戻らなければならない。

キム・ジョンウ:イ・ソクヘン前民主労総委員長に2回会った。 整理解雇禁止を回避しようと考えているようだ。 同意することはできない。

-それでも国会に望むことはないか。

パク・ホミン: 会計操作や上海自動車の“食い逃げ”等、双龍車の総体的真実を明らかにしてほしい。我々もこのように闘争してはいるけれど、なぜこうしたことが起こったのかについては正確には知らずにいる。

コ・ドンミン:労働裁判所を作ってほしいと思う。 労働問題を資本の論理でのみ、民事法の論理でのみ解こうとする裁判所と判事ばかりだから、事態がさらに悪化する。

-聴聞会による真相調査が必要だ。 法学者として私はドイツや北ヨーロッパのように労組代表が企業理事会の構成員になって経営に参加し、会計を監視できるように法が変わらなければならないという考えを持っている。 “産業民主主義”が必要だということだ。

パク・ホミン:我が国の企業の社外理事は挙手機に過ぎなかった。

民主党と葛藤
党対策委員長と温度差あまりに大きく
適当な折衷案を出し
取り繕おうとしているのではないか・・・
国会も 会計操作を明らかにしてほしい

-ちょっと「希望食堂」の話をしよう。

コ・ドンミン:上道(サンド)駅1番出口の近くにある「上道室内屋台」だ。 解雇者の奥さんがやっているんだが、料理の味がとても良い。 この点を是非強調してほしい。(笑い) 平日も営業しているが日曜日だけだと間違って知られている。 昨年12月23日、第1次希望テントの日にシン・ドンギ“シェフ”が支部の同志たちと一緒にコムタン1千人分を三日三晩寝ないで煮出した。 本当においしかった。 <メディア忠清(チュンチョン)>代表が食堂を開こうと提案して本当に開くことになったのだ。

キム・ジョンウ:市民たちに平日にも是非来て下さいとお願いしたい。 毎日毎日利用して下さったらうれしい。 シン“シェフ”は他の人がやりたがらないことを進んでやる人だ。 生計が大変で今日は他の仕事をしに行ったが、本当に立派な同志だ。

-サービングの手伝いを受け付けていると聞いた。 私も一度やりたい。

キム・ジョンウ:機会は多くはない。(爆笑)

コ・ドンミン:人権財団のパク・レグン理事が料理もしサービングもしている日に一番お客さんが少なかったが、料理もまずいと言われた(笑い)。その後、イ・ソンオク作家が来たら、お客さんがいっぱいになった。 料理もおいしかったと言われた。

-パク理事が山賊みたいに見えるからかな・・・(爆笑)、組合外から多くの人が手伝ってくれた。

パク・ホミン:焼香所を訪ねてくれる1人1人の方が有難い。その方たちに心の借りを負っている。

キム・ジョンウ:民主労総傘下の組織員が最も熱心に我々を助けてくれている。 そして一般市民も心を交わしてくれて本当に感謝している。 訪ねてきてくれる人たちがだんだん増えている。

コ・ドンミン:民主労総の称賛もすべきだと思う。 誤りもあるだろうが民主労総金属労組がなかったら我々の話は外に知られなかった。 我々の問題は有名人何人かが解決できる問題ではない。 市民1人1人が集まってくれることが死を防ぎ、我々を工場に送り帰すことができる。 6月16日午後1時、汝矣島(ヨイド)公園から出発して大漢門まで歩く「亀マラソン」というのをやる。双龍車解雇者復職と整理解雇・非正規職のない世の中のための希望の行進だ。 是非多くの方に参加していただきたい。

整理/イ・ユジン記者 frog@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/537007.html 訳A.K