原文入力:2012/03/09 16:24(4611字)
KBS・MBC・YTN労組員 "公正放送争取"
←全国言論労働組合が8日午後ソウル、汝矣島(ヨイド)の文化の広場で開いた放送3社(韓国放送・文化放送・YTN)共同ストライキ‘ストライキスター集会’に参加した各社組合員が、落下傘社長退出、懲戒撤回、公正放送争取などのスローガンを叫んでいる。 シン・ソヨン記者 viator@hain.co.kr
放送では扱えなかった‘敏感な’事件‘リセット9ニュース’で公開
最初のインタビュー対象者は国家保安法被害者パク・ジョンクン氏
全国言論労働組合韓国放送本部(KBS新労組)が不当懲戒撤回とキム・インギュ社長退陣などを要求して6日からストライキに突入した。 彼らはストライキに参加しながら‘リセット9ニュース’を独自に製作している。 取材記者18人と撮影記者4人がチームを組んだ。 韓国放送労働者が作るKBS版‘まともな9ニュース’ということだ。
ストライキに参加しながら‘リセット9ニュース’を製作しているハン・スンヨン記者に8日午後1時頃に会った。ハン記者は最近国家保安法違反容疑で拘束されたが解放されたパク・ジョンクン(24)氏に取材をしていた。 パク・ジョンクン氏は北韓のツイッターアカウントである‘私たちの民族どうし’の文を転送(RT)したという理由で検察が拘束捜査を行い議論になった人物だ。
ソウル、江東区(カンドング)、岩寺洞(アムサドン)のパク・ジョンクン氏が営む写真館の前で会ったハン記者は「普段だったら絶対に取材できない事案」と話した。
「取材してみても上でキル(Kill・報道取り消し)したでしょう。 パク・ジョンクン氏は国家保安法被害者ですからね。 だが、パク氏の拘束は権力機関が個人に不当に抑圧した側面もあって、また表現の自由を尊重する私たちの憲法精神と衝突する事件です。 これは単純に事件を伝えることだけでも意味のある報道でしょう。」
ハン記者はパク・ジョンクン氏拘束事件をかなり以前から知っていた。 外信が速報競争するように扱った事件だったこともよく知っていた。 ツイッターでも数日間騒々しかったが国内言論は沈黙した。 ハン記者は「自ら取材をあきらめてしまったこの事件を今からでも取材できることになって幸運」と話した。 ハン記者の表情が明るかった。
←ストライキに参加している韓国放送ハン・スンヨン記者が8日ソウル、江東区(カンドング)、岩寺洞(アムサドン)のC写真館でパク・ジョンクン氏にインタビューしている。
パク・ジョンクン氏は去る2月20日に解放された後、直ちに写真館を再び開いて仕事をしていた。 写真館の外側からガラス窓越しにパク氏が見えた。パク氏は裁判中だとしてインタビューを全て断っていた。 それでもハン記者は勇気を出して写真館の中に足を踏み入れた。
「こんにちは。 パク・ジョンクン氏でしょう? 私はKBSハン・スンヨン記者です。 新労組所属です。 今、私どもがストライキ中なので私どもが本当のニュースを報道したくて‘リセット9ニュース’を製作しています。 パク・ジョンクン氏を必ず取材したくて来ましたがインタビューを少しお願いできないでしょうか。」
幸いパク・ジョンクン氏が明るい微笑でハン記者をむかえた。
"ア、あの新労組がストライキしていることはよく知っています。”
“私どもは贖罪の意味で訪ねてきました。 外信にも全て報道されたパク・ジョンクン氏の話を私どものKBSは扱うこともできませんでした。 反省しています。”
“かまいません。どんな状況なのかみな理解しています。”
パク・ジョンクン氏は韓国放送がストライキしていることをよく知っていた。 意外に順調にパク氏とのインタビューが実現すると、緊張していたハン記者の顔のこわばりが解けた。ハン記者はあれこれ訊ねたかった質問をじわじわとしていった。
ハン・スンヨン記者が韓国放送に入社したのは2008年1月だった。 チョン・ヨンジュ前社長の時期だった。ハン記者は「私たちの世代をチョン・ヨンジュ社長が選んだ‘最後のキッド’と呼びます。 クァンジェ社長が選ぶ前の最後の記者世代ですね。 自負心を持って生きています。」と話した。
ハン記者は学生時代から必ず韓国放送に入社したいと考えていた。‘メディア フォーカス’と‘時事企画 サム’(調査報道プログラム)のようなプログラムを見て「こういうのを作る報道機関ならば仕事のやりがいがある」と考えて韓国放送に志願したとハン記者は話した。
だが、ハン記者が入社して間もなくこれらのプログラムは一つ二つと消えてしまった。 メディアフォーカスは2008年10月に名前が変わり退色して行ったし、時事企画サムは2009年12月に最後の放送をした後に消えた。鋭い時事プログラムは一つ二つと韓国放送から痕跡をなくした。
ハン記者が初めて韓国放送報道局の雰囲気がおかしいと感じ始めたのは2009年7月頃であった。 市民団体がヒョン・ビョンチョル国家人権委員長が世界国家人権機構国際調停委員会であるICC議長に選出されることに反対すると宣言して論難が起きた時であった。ハン記者は当時、中部警察署に出入りする社会部の2陣記者でありこの問題を取材した。 会社から取材指示も下された状態であった。
ところがある瞬間、この報道は9ニュース報道目録から抜け落ちていた。ハン記者の先輩が部長に「取材をすべてしたがなぜ外されたのか」と抗議した。 その時初めて、部長は「9ニュースからは外れ、夜11時のニュースと朝のニュースにだけ放送する」と通知した。ハン記者は会社が政権に敏感なニュースは人々があまり見ない時間帯に放送しようとしているという感じを受けた。
「個人的に初めて加えられたとんでもないことでした。2008年8月チョン・ヨンジュ社長からイ・ビョンスン社長に変わり、少しずつ変化が感じられたが自分とは関係ないことであると思っていました。 政治部では報道が詰まることはあっても社会部報道までが詰まるとは思っていませんでした。」
午後4時。 パク・ジョンクン氏との写真館でのインタビューを終えた後、パク氏の家へ場所を移した。パク氏は小さな戸建て住宅の1階で両親と一緒に暮らしていた。 パク氏が検察押収捜索に遭い奪われた本をハン記者に見せてくれた。 パク氏が奪われた本の中には‘ロシア革命史’と‘私たちが正さなければならない歴史’チョ・グク教授の‘進歩執権プラン’等があった。
“監獄にはどれくらいいらっしゃいましたか?”
“49日間でした。”
“検察が拘束捜査する論理は何と言っていましたか?”
“検察には、"私たち民族どうし" ツイッターアカウントを遮断する方法がないんですって。 私がまた私たち民族どうしの文をRTするかもしれないので、それを防ぐ方法は私を拘束するしかないということです。 だが、私は本当に北韓を嘲弄する意味でその文をRTしたんですけどね。”
“こうしたことにかかわって本当に苦労が多かったですね。”
ハン記者が不憫そうにパク氏を慰めた。
ハン記者はもう韓国放送報道局内で‘戦う雰囲気’も殆ど消えつつあると話した。 後輩記者が先輩記者と意見が違えば、時には論争もしながら報道方向を一緒に決めるのが報道機関の正常な風景だ。 だが、今や記者たちも戦うことに疲れてしまい、ただ適当に衝突を避けていく状況だと言った。
“初めの頃は社内掲示板での論争も多くありました。しかし、時間が経つほど、そのような論争もまばらになり記者たちが自ら避けて通ります。 どうせ論争しても受け入れられないですから。 先後輩の間に対話がなくなっていますね。”
ハン記者は今でも報道局社会部で仕事をしている。 この頃、最も心血を注いでいるのはCCTV(防犯カメラ)の映像探しだ。 会社がそういうことを要求するからだと言った。 単純窃盗事件でもCCTV映像が面白ければ9ニュースで大きく扱うとハン記者は伝えた。 ハン記者は「今はお天気ニュースとCCTVニュースにはうんざりだ。ジャーナリストではなく会社員になっていく感じ」として残念がった。
2009年5月ハン記者は衝撃を受けた。 ノ・ムヒョン前大統領の逝去以後、ソウル広場で行われた路祭を取材しに行った時のことだった。 ハン記者と同僚記者たちはKBSとロゴが書かれた放送車両に乗ってソウル広場をゆっくり通り過ぎていた。放送車にありとあらゆるゴミやタマゴなどが飛んできた。‘ピシャッ’‘パシャッ’と音を上げて車両に飛んでくるゴミと外から聞こえてくるあらゆる悪口を耳にしてハン記者の心は崩れ落ちた。
“かなりの衝撃でした。私が果たして韓国を代表する公営放送の記者だろうかという思いで。 こうした目に遭うとは思っていませんでしたがどうすればいいか。皆がじっと静かに車内に留まっていました。”
時間が経つほど韓国放送報道局の状況は悪化していった。2011年11月23日。 国会のFTA強行通過にいきりたった市民がソウル広場の前でデモを行う時、韓国放送記者たちも取材に出て行った。 警察が零下の寒天に氷水放水銃を撃っていたその現場をカメラにそっくり収めた。 だが、放送はされなかった。
ハン記者の後輩記者が会食の席でこのような状況に抗議して幹部に問い詰めた。「私たちは取材をしても報道されなかったが、SBSだけが報道したよ」と話すと戻ってきた返事は「むしろそんなニュースは外れて幸いだ」という返事だった。 ハン記者は「このような返事ばかりを繰り返し聞くと、取材意欲が沸かなくなる」ともどかしさを感じた。
午後4時30分頃。 ハン記者はパク・ジョンクン氏の取材を終えた。 パク氏とは9日に予定された初公開裁判での再会を約束した。
ハン記者は車を運転して再び汝矣島(ヨイド)へ向かった。普通は取材に行けば、‘運チャン兄さん’(取材車両運転手)が車を運転するが、今はストライキ中なのでハン記者は自分の車を直接運転して出てきた。
帰り道「キム・インギュ社長がどうなったらと思うか”と尋ねた。ハン記者はためらいなく即答した。
“当然に退かなければならないですね。政権の特別補佐官出身者が公営放送の社長をするということはナンセンスでしょう。 今、偏向報道もしていますして。 キム社長は‘KBSを守りにきた’として就任したが、KBSを壊した張本人です。”
“こういう話をすれば後で不利益受けるかもしれないが大丈夫なのか”と尋ねるとハン記者は“恐ろしくありません。間違った話をしたわけではないから”と答えた。
‘リセット9ニュース’は李明博政府とキム・インギュ社長不正疑惑、韓国放送のストライキ状況等を含んで13日にインターネット上に公開される予定だ。
ホ・ジェヒョン記者 catalunia@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/522783.html 訳J.S