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[土曜版] ルポ 私たちの契の集まりはヤジと応援、あるいは取っ組み合い

原文入力:2012/03/02 22:45(4629字)

←先月6日、ソウル、瑞草洞(ソチョドン)、ソウル中央地裁で開かれた‘国民との疎通’行事の途中、チェ・ジョンジュ氏とペ・ガンシム(61)氏が発言権をよこせと抗議している。 チェ・ウリ記者

‘司法不信者’らの裁判互助現場

▲  "法の生命は論理でなく経験だ。" 米国の法学者オリバー ホムス ジュニアの言葉です。 ところで自称司法被害者も同じ話をしますね。 何度も裁判に出た結果、ほとんど法律専門家になってしまいました。 彼らの言葉通り裁判所は本当に傲慢で権威的なのか裁判を参観してみてはいかがでしょうか? 互いに噛んで剥がして絡まりあって生きていく私たちの社会を垣間見る面白味のおまけ付きです。

 "帽子かぶらっている方は帽子をとって携帯電話は消して下さい。" 始まりは通常の法廷と同じ様子だった。 だが、すぐに傍聴席のどこかから溢れでた一言で重々しい法廷の厳粛さは一発で吹き飛んだ。 「脱毛の人はどうすればいいでしょうか?」予想もできない反応に警備警察は慌てぶりが歴然だった。 急遽、職員二人が補充された。彼らが胸に付けた黄色いタスキには‘公正な裁判のために法廷録音義務化’という字句が書かれていた。

 厳しい寒気が猛威を振るった先月9日午前、ソウル、麻浦区(マポグ)西部地裁刑事法廷406号。 こちらではチェ・ジョンジュ(65)氏の道路交通法違反控訴審裁判が開かれた。 目につくのはチェ氏が弁護人をつけずに一人で被告人席に座っている点だ。 ファンボ・ヨンテ(63),キム・チュンギ(78),イ・ギョングク(52),ユ・ミジャ(54)氏など傍聴席を占めた20人余りの人々は傍聴人というよりは積極的な応援団に見えた。

最期まで承服できないという‘スピード違反 罰金6万ウォン(4000円)’

 この日チェ氏を法廷に立たせた罪目は‘スピード違反’だった。 チェ氏は昨年3月21日、嶺東(ヨンドン)高速道路、仁川(インチョン)から江陵(カンヌン)方面へ150.8km地点を走っていて無人取り締まりカメラに撮られた。 当時の速度は101km。 制限速度は時速80kmであった。 チェ氏が掲げた無罪の根拠は次のとおりだ。 道路交通法19条には高速道路の場合、最高制限速度が時速100kmで最低速度は時速50kmだが、警察庁長官が判断して時速80kmに制限することができるとされている。 だが、このような制限措置はあくまでも厳密な基準に従わなければならないというのが彼の考えだ。 実際に警察の行動には弱点も多かった。 チェ氏が道路公社と江原地方警察庁から情報公開請求を通じて受け取った資料には同じ探測器の設置時点が一致していなかった。 さらに表示板の設置時期も情報公開請求をした以後であった。 チェ氏は「何か問題がある」と確信した。 チェ氏は即決審判決定に従わず罰金6万ウォンの過怠金キップを持ちソウルから原州(ウォンジュ)まで5回往復しながらも意を曲げずにいる。

 周囲にはチェ氏のように司法当局が下した決定に不満を抱く人々が結構いる。 彼らの中にはくやしい気持ちを我慢できず、自らを‘司法被害者’と規定する人々も多い。公企業の技術職で20余年間仕事をしたチェ氏もやはりこの間、不動産関連訴訟など数回の民事訴訟で負けた後‘司法被害者の会’を作り共同代表を務めている。おもしろいのは自らを司法被害者だと考える人々を中心に‘裁判契’が組まれるケースが多いという点だ。裁判契とは一種の裁判互助制度を言う。 司法当局の決定に従わず法的争いを行っている人々のために持ち回りで傍聴客として出て行き、裁判所に抗議したり被告を応援するなど積極的に‘介入’するということだ。

 実際、この日の法廷でも裁判所と裁判契所属の傍聴客の間には攻防が続いた。 結局、チェ氏が準備した書類を拡大するスクリーンを設置する場面では葛藤が爆発した。「公開裁判なのになぜ傍聴人は見られないんですか? 横に画面をちょっと回してください。」「静かにして下さい!」険悪な対話は何回も行き交った。「裁判長、私、思うんですが。公正に真実を争うのに和気あいあいではなぜいけないんでしょうか?」「見れるようにするから静かにして下さい。」 10分余り続いたチェ氏の弁論の途中で傍聴客は「オヤ」「チェッ、笑わせる」などの合いの手でチェ氏を応援した。

 結局この日の裁判は‘破局’に上り詰めてしまった。 チェ氏が自身と通話したイ・ヒョギョン江原地方警察庁第7地区隊警衛(警部補相当)とイ・ソクジェ韓国道路公社職員を証人として申請し、判事はこれを棄却した。物静かだったチェ氏は「裁判長、それでは無人カメラで取り締まられたら装備が責任を負うんですか?」と尋ねると、傍聴客は再び騒然となった。「もういいです。他に提出する資料や証拠がありますか?」「裁判長、大きなことでも小さいことでも全て順序があります。なぜ証人申請を受け入れないのですか? 裁判長、忌避申請をします!」

それぞれに わだかまりの事情を抱いて
“あなたの審判不服を応援します”
法廷を巡り始めた

“なぜ駄目だ?…オヤ…チェッ笑わせらあ”
“裁判官忌避申請します。”
“司法ファッショです” “税金が勿体無い”
結局、ドアを蹴飛ばして出て行く

“司法被害者”自任…多少あきれた主張も

 チェ氏の叫び声が終わるやいなや傍聴人たちが荒々しく立ち上がった。「出ましょう。出てきて!」声が大きいファンボ氏が先頭に立った。傍聴客の動きに緊張したのは裁判所職員だけで、壇上の判事は低い声で今後の日程を通知して素早く法廷を出た。「3月8日に継続します。」傍聴客もやはり「司法ファッショだよ」「裁判(チェパン)ではなく最悪状態(ケパン)だ」「税金が勿体無い」という言葉を吐き出し法廷のドアを蹴飛ばして出た。

 現在、多様な‘司法被害者’の集いで活動する人々の正確な数を把握することは難しい。 最も多くの会員を率いているというインターネット カフェ‘良い司法の世の中’の会員は2300人余り。この内、活動が最も旺盛な30人程度が集まり‘裁判契’を設けている。 世の中の偏見や司法当局のまなざしにも構わず、執拗に戦う理由は果たして何だろうか?

 ユ・ミジャ氏は2005年6月、最初の娘を殺人事件で失った。ユ氏は事件の情況から見て性暴行の可能性が非常に高かったのに、初めから痴情による殺害に追い込んだ国家機関全体を今も憎悪している。 警察と検査の捜査がミスを犯し、誤った捜査結果を判事が無批判に受け入れたということがユ氏の確固たる信念だ。 インターネット カフェ‘組んで行う裁判’(チャパン)の代表を受け持っているキム・チュンギ氏は裁判契が開かれる日にはいつも囚人服を着る。 左の胸に書かれた数字‘2437’は2005年1月仁川拘置所に収監された当時の収監番号だった。キム氏は弁護士法違反で懲役8ヶ月,執行猶予1年を宣告された。 1980年代から先祖の土地を取り戻す目的で数度の裁判を経験したキム氏は無視されたり、述べた内容が最初から調書から抜け出ているのを見て胸の中に司法不信を精一杯に育てた。 ハン・ヨンスン(64)氏は暴行被害者である子息の事件を検事が判事出身の弁護人と組んで‘適当に’処理したと思っている人だ。 事件以後、中風で左足が不自由になったハン氏には、前官待遇は根絶しなければならない悪だ。

 もちろん、彼らの中には多少あきれた主張をする人もいる。この日裁判が終わった後「これは途方もない事件だ」として記者を引っ張っていったソン・キスク(73)氏は「朴正熙政府時期に外換銀行に預けておいた1兆ウォンが2007年7月以後に忽然と消えた」という主張を続けた。ソン氏はソウル南部地方裁判所で棄却、高等法院で却下、最高裁で嫌疑無しの判決を受けたが、昨年2月には憲法訴訟を起こした状態だ。

 ‘司法被害者’だからといって必ずしも正しい主張だけをしているとは見難い。 <折れた矢>と<法と戦う人々>を書いたソ・ヒョン作家は「会ってみた司法被害者たちには全て弱点があり、ほとんどが法律を正しく知らなかった」として「彼らの中には司法被害者ではない人もいるかもしれない」と過度な拡大解釈を警戒した。 ただし、ソ氏は彼らが不満を持って‘誤った’信念を抱く上で司法府の権威的態度が大きく作用しているという点だけは明確に指摘した。 「資本主義社会で弱者のための論理がありません。 飲酒運転はしても信号違反はしなかったのに、信号違反までしたと言われればくやしいでしょう。 法律情報の非対称性がくやしさをさらに増幅しています。」

←(上から)先月9日チェ氏の控訴審裁判が全て終わった後に撮った団体写真. 6日囚人服を着たキム・チュンギ氏. 6日夕方食堂に集まった司法被害者が司法改革を叫び乾杯している。 チェ・ウリ記者

乾杯の音頭“大韓民国司法改革のために!”

 同じ怒りを経験した‘弱者’たちは支えあえる所がお互いしかいないという思いに自然に到達するはずだ。去る先月6日午後、ソウル中央地裁が用意した‘国民との疎通’行事会場。4時間近く続いた討論会は司法被害者がパネルに送るヤジと発言権をよこせという要請が入り乱れ非常に騒々しかった。騒々しかった人々はお互いを簡単に分かり合った。 ロビーに残り自身の事件を紹介した。近所のある韓式食堂に移動した20人の‘司法被害者’らは味噌なべと焼酎4本、ビール1本を前にして叫んだ。「大韓民国の司法改革のために!」酒杯が一巡すると代表と副代表、総務が決まった。 良い記事にコメントもたくさんつけて、ツイッターやフェイスブックを活用した広報活動も熱心にしなければならないという言葉が行き来した。 この日初めて会った蔚山(ウルサン)出身のキム・ヨンナン(54)氏と釜山から来たキム・ジンヒ(55)氏は同郷という理由でその場で兄さんと妹になった。 自身を不正腐敗追放実践市民会代表だと明らかにしたパク・フンシク氏は法律支援をし事務室の無償貸与を約束した。 そうする間にキム・チュンギ氏に一通の携帯メールが飛んできた。 その日TVで‘国民との疎通’行事の9時ニュースを見た知人が送ったものだ。 “燃える姿にファイティング!”同時に拍手と歓呼が沸いた。 青筋を立てて怒って戦った争いが地上波放送で紹介されたという事実に皆が子供のように喜んだ。

 いつになったら法の舞台にもパッと開かれた‘疎通’の日が訪れるだろうか。 この日の行事を見守った司法研修院生シン・セヒ(26)氏はこのような所感を打ち明けた。 「この方々は単に法を知らないのではなく、法で解決されないからこの席まで出てきたようです。公正に審査して原告と被告側、共に共感できる判決が下されてくるよう裁判所の変化意志が重要ではないでしょうか。今日、疎通がうまくいっていないことは明らかですね。」

チェ・ウリ記者 ecowoori@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/521805.html 訳J.S