原文入力:2012/01/15 22:03(2049字)
キム・ボヒョプ記者
民主党代表に選ばれたハン・ミョンスク
わいろ・不法資金裁判で‘無罪’後、再び生まれ変わって
今年 総選挙・大統領選挙を管理する安定的リーダーシップ要求され
"人的刷新で期待に応える"
←民主統合党代表最高委員選挙候補が15日午後、京畿(キョンギ)高陽市(コヤンシ)、一山西区(イルサンソグ)、大化洞(テファドン)のKINTEXで開かれた全党大会で代議員に向かって手を振り挨拶している。 イ・ジョンウ先任記者 woo@hani.co.kr
異変は起こらなかった。
民主統合党の新しい指導部選出に参加した50万人の市民と代議員はハン・ミョンスク前総理を新代表に選出することにより異質な勢力の統合を終え総選挙と大統領選挙を安定的に管理してほしいという要求を示した。 ハン代表と先頭圏を形成した、果敢な変化と革新の象徴であるムン・ソングン最高委員はハン代表に次ぎ2位を占めた。
インターネットラジオ‘ナコムス’で人気を独占しているタンジ日報総帥キム・オジュン氏は彼の本<迫って政治>で「当選とは政治家が大衆の胸の中にきちんと積み重ねた精神的借財意識、その負債を一度に取り戻すこと」と話した。‘政治家ハン・ミョンスク’は数十万人の選挙人団に対しどんな借財意識を用意していたのだろうか。
ハン・ミョンスク代表は金大中政府で初代女性部長官を、盧武鉉政府では環境部長官を経て初の女性総理を歴任した。 だが、彼女が大衆に強いイメージを残した時期はその後であった。 2009年5月29日ソウル市庁前広場で開かれた盧武鉉前大統領の告別式の時、悲しみをこらえて弔辞を読んだハン・ミョンスクを記憶する人々が多い。
そのようなハン代表も‘検察の犠牲の羊’にされるところだった。 2010年6月地方選挙でソウル市長候補として出た彼女は検察捜査と裁判の渦中で選挙を行った。 0.6%差の敗北であった。 検察は2009年末から始まった‘5万ドルわいろ授受事件’に対して無罪が出ると直ちに他の政治資金捜査を始めた。 ‘不法政治資金9億ウォン事件’も昨年10月1審で無罪判決を受けた。
ハン代表は選挙戦期間中ずっと、2年を越える検察捜査と裁判過程を経ながら 「李明博政権の政治弾圧を突き抜けて鉄の女に生まれ変わった」という点を強調した。 検察が彼女を鍛練させた一番の貢献者であるわけだ。 彼女が民主統合党代表に当選したところにはこのような部分に対する党員たちの申し訳ない思いが強く作用したものと見られる。
ハン代表が1ヶ月余りの選挙運動過程で前面に掲げたのは、有力な大統領候補でもある朴槿恵 ハンナラ党非常対策委員長との対立構図であった。 彼女は15日現場演説で「ハンナラ党朴槿恵と戦って勝つ人を選択しなければならない。 ハン・ミョンスクが独裁と戦い、拷問されて非常に冷たい監獄にある時、朴槿恵は大統領府にいた。 ハン・ミョンスクが99%庶民と共に貧困と戦っている時、朴槿恵は1%の金持ち増税に反対した」と叫んだ。
民主統合党を支持する市民と代議員が彼を選択したもう一つの理由は長期にわたる豊富な経験と知性と経験から出る安定感だ。 総理まで務めた国政運営経験、民主党の正統性を備えていながらも生まれは市民社会団体という点、政権交替に出て行くのに必須である党内統合を安定的に管理するリーダーシップを備えているという点などを評価したと見ることができる。
ところで正統性と安定感は、ひっくり返せば彼女が克服しなければならない課題でもある。 ‘アン・チョルス現象’に代弁される果敢な革新と変化要求を受け入れることができない場合、なれたことに安住しているという批判に直面しうる。 このような党内外の憂慮を意識してか、ハン代表は代表受諾演説で‘創造的破壊’を約束した。 彼女は「政策と路線を革新し、果敢な人的刷新で変化を熱望する国民の期待に応える。 民心を汲み取り市民の参加を得られる開かれた政党、疎通する政党、オンライン政党の実現のために努力する」と話した。
ハン代表は公職経験に比べて政党生活、党職経験が豊富でない。 それでも他の最高委員らと呼吸を合わせて歴代最大の競争率を示すと予想される4月の総選挙公認を雑音に負けず管理しなければならない。 朴槿恵 ハンナラ党非常対策委員長に比べて支持率が低い野党圏大統領候補の競争力を高め、公正な選挙戦管理をしなければならないのも彼女が一手に引き受けた重責の一つだ。 すぐに予定された民主統合党主要党役員人事がハン代表体制の初めての試験台になる展望だ。
キム・ホヒョブ記者 bhkim@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/514825.html 訳J.S