イランはホルムズ海峡が昔に戻ることはないと言っている。中東全体が昔に戻ることはない。昔の中東は、米国の覇権が挑戦を打ち破った末に発現した舞台だった。その中東は過去のものになりつつある。
1945年2月14日、米国のルーズベルト大統領は、戦後の国際秩序を設計したヤルタ会談からの帰国の途上、スエズ運河に停泊していた米軍艦「クインシー」の艦上で、サウジアラビアのアブドゥルアジーズ・アル・サウード国王と3日間にわたり会談した。現代の中東はこの会談から始まった。現在の中東秩序のひとつの軸をなすイスラエルの建国も、1948年5月14日に宣言されてからわずか11分でトルーマン大統領から承認された。石油と民族主義を結びつけたイランのモサデク政権も、1953年8月に米国中央情報局のアジャックス作戦で倒れた。1956年、エジプトのスエズ運河国有化宣言を覆そうとした英仏の武力介入を米国が阻止したスエズ危機は、欧州の帝国の没落と米国の覇権の確立を告げた。
何よりも中東は、米国の封鎖政策とそれを乗り越えようとするソ連の対立の場であり、米国が勝利した舞台だ。スエズ危機以降に沸き上がったアラブ民族主義はソ連の中東進出を加速させたが、1967年にイスラエルとアラブ諸国がぶつかった第3次中東戦争、すなわち六日戦争でブレーキがかかった。米国は中東にイスラエルという強力な代理勢力を植え付けた。
1973年10月6日に勃発した第4次中東戦争とそれに続くオイルショックは、ベトナム戦争の後遺症に苦しんでいた米国の覇権にとって災い転じて福となすものとなった。米国はサウジに安全保障を提供し、石油取引をドルのみで決済するペトロダラー体制を構築して、ドル覇権を再確立した。アラブの盟主であったエジプトは第4次中東戦争以降、米国の仲裁でイスラエルと和平交渉に乗り出した。この時から中東においてソ連は退潮した。
オイルショックは何よりも、米国とソ連の運命を分けた。当時、世界最大の産油国となっていたソ連は石油収入に酔いしれて散財していた。アフガニスタン戦争などで第三世界への進出に国力を浪費した。一方、米国は知識経済へと転換するとともに、革新に成功した。今日の米軍の象徴である高度精密誘導兵器の開発はこの時に始まった。1980年代に原油価格が暴落すると、ソ連経済は急速に崩壊した。1991年のイラクのクウェート占領を制裁した湾岸戦争は米国の一極覇権体制を世界に印象付け、同年12月にソ連は解体した。
米国の覇権は頂点に達したが、泥沼へと変質していった。米国はイランとイラクを同時に封鎖する二重封鎖戦略の負担にさいなまれつつ、イスラム主義勢力の台頭に直面した。イスラム主義の拡大は2001年の9・11テロで爆発した。米国はイラク戦争、アフガン戦争など、長きにわたる「テロとの戦争」を戦わなければならなかった。2003年に始まったイラク戦争から、米軍は2011年にようやく公式に撤退したが、内戦は続いた。その影響でイラクとシリアでは、2014年に英国ほどの広さを掌握するイスラム国(IS)という準国家勢力が登場。ようやく収束したのは2019年だった。アフガン戦争は、2021年8月に米国が事実上夜逃げするかのように撤退することで幕を閉じた。
米国は2008年のオバマ政権の発足とともに、中東からの脱出とアジア太平洋への回帰を宣言した。2015年に核合意でイランとの和解を模索したことも、バイデン政権の屈辱的なアフガン撤退もその一環である。しかし米国は、中東にさらに深くはまり込んでしまった。第1次トランプ政権は2018年にイラン核合意を一方的に破棄し、イラン戦争の火種をまいた。トランプ氏が主導したイスラエルとスンニ派アラブ諸国に国交を樹立するアブラハム合意はパレスチナのハマスを刺激し、イスラエルの軍事的暴走をあおり、ガザ戦争とイラン戦争へと帰結した。
米国の戦略家たちはかなり前から、中東の戦略的価値は衰退したのだから介入を縮小すべきだと主張してきた。しかし、米国はそれができなかった。すでに中東に深くはまり込んでいるからだ。米国の覇権の根幹をなすドルは中東の石油と連動しており、イラン・イスラム共和国体制の消滅とイスラエルの安全保障はすなわち米国の覇権と直結するというネオコン的視点は、依然としてワシントンの対外政策を支配している。その結果が現在のイラン戦争であり、ホルムズ海峡は徐々にイランの手に渡りつつある。米国の同盟国であるサウジ、トルコ、パキスタンは今月7日に「メッカ共同防衛協定」を締結し、中東における米国主導の安全保障体制から脱却する動きを開始している。
米国は中東で足を取られているわけではない。自ら足を深く、さらに深く突っ込んできたのだ。だから、今や米国は中東から脱出しつつあるのではなく、追い出されつつあるのだ。
チョン・ウィギル|国際部先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )