第1次世界大戦と第2次世界大戦の戦間期に、英国に極右政党があった。オズワルド・モズレー(1896~1980)の率いた「英国ファシスト同盟」がその代表格だ。モズレーは英国貴族出身で陸軍士官学校の中退者であり、第1次世界大戦では西部戦線で軍務についていた。戦後、保守党から労働党への移籍もありつつ国会議員を複数期務めたが、彼の思想は急激にファシズムに傾き、1932年に英国ファシスト同盟を結成する。
没落する英国経済の復興、ファシストフェミニズムの擁護、社会主義政策の一部採用など、さまざまなスローガンを掲げ、5万人以上の党員を集めた。彼らはみな黒いシャツを着て集会や行進を行い、ヒトラー式の挙手敬礼を真似た。私はかなり昔に英国BBCが放送した特集番組でこの奇怪な場面を視聴し、驚いたことがある。「ヒトラーと最後まで戦った英国に、こんなにも大規模なファシズム政党が存在したとは…」
それは欧州現代史に対する私の無知によるものだった。ファシズム政党はイタリアとドイツのみに存在したわけではなかった。1918年の第1次世界大戦終結後、欧州では全域で極右政党が横行した。例えばハンガリーの「矢十字党」、ベルギーの「レクシスト党」、オランダ国家社会主義運動は、政治勢力化を目指す活動を猛烈に繰り広げた。これらの政党が堅持していた反ユダヤ主義的な態度は、ほぼすべての欧州諸国で当たり前に見られた。
ファシズム研究の最高権威、ロバート・パクストン教授はその著書『ファシズムの解剖学』で、その中心的原因を「第1次大戦以降に各国が直面していた切迫した状況」に見出す。あらゆる産業技術を総動員して4年間にわたり大量虐殺が繰り広げられた。兵士の死傷者3千万人、民間人の死者は2千万人と推定される。欧州の遺産は徹底的に破壊され、いかなる未来も見通せない状況だった。欧州の人々は初めて兵役義務を経験した。食糧、燃料、衣服が国家から配給される体制の下で生き延びた。民衆の怒りは圧縮ガスのように凝縮され、心の奥底にたまっていた。朝鮮戦争が終わった直後の1950年代の韓国民衆の暮らしを思い浮かべれば、理解しやすいだろう。
その隙に、世界秩序の「3点セット」が作動した。自由主義、保守主義、共産主義。各自が自らの勢力を広げるための競争に乗り出すが、どの陣営も完全な勝利は収められない。「失った領土を保守主義者たちが取り戻してくれると思うか? 自由主義者の語る経済回復はいつ実現できるんだ? 誰もが平等に暮らせるというレーニンの甘い言葉を、あなたはまだ信じているのか?」 ファシストたちは軍需産業を活性化させて失業者を雇用した。怒りに満ちた国民を扇動した。国家的団結を作り出すために「従順でない」人々を排除しようと呼びかけた。
韓国の青少年と青年を対象にした政治意識を問う世論調査の結果が、1カ月前に韓国のある報道機関によって発表された。10代後半の男性の17.8%、20代前半の男性の12.2%が「尹錫悦(ユン・ソクヨル)の戒厳令は望ましいものだった」と回答した。選挙では開票不正が生じやすいと思うかという問いには、前者の48.8%、後者の42.9%が「そう思う」と答えた。その記事で記者は「少年たちには『信念型陰謀論者』よりも、無批判に受け入れる『怠惰な追従者』の方が多い」と分析しているが、私はもやもやした。20代男性の政治意識が70代の持つ保守傾向を超えるほど極右化していることを示す世論調査の結果を、よく見かけるからだ。
ファシズムのことを、感情的な訴えを伴う「ごった煮の大衆政治」と批判するのはたやすい。だが私は同意しない。1918年当時、ファシストたちは大衆の心に分け入る政治的設計がうまかった。2025年の韓国の極右勢力も同様だ。極右傾向を持つ若者たちは、単なる追従者ではない。既成世代の作り上げた能力主義という監獄の捕虜に近い。すでにすべてを失っており、希望は見えないから「今回の人生は台無しだ」と自暴自棄になっている。ぽっかりと穴の開いた彼らの心に欠乏と不安が襲いかかる。心が戦争状態なのだ。1918年当時の生き残った欧州民衆のように。極右青年たちの前で「民主主義」や「市民的徳」を議論する行為は、IMF通貨危機の時代に職場を失った失業者の前で経済正義を講義するのと同じだ。彼らの「合理的判断」と「感情的イライラ」との奇妙な結合をまずほどくことから始めよう。しかる後に、どうすれば彼らと共に共同体の一員として生きていけるのかを探るべきだ。そのための新たなアプローチの姿勢が必要だ。
イ・ビョンゴン|建信大学院大学代案教育学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )