1月末に、東京近郊の都市で、突然道路に大きな穴ができ、トラックがそこに落ちるという事故が発生した。その後、穴は広がり、トラック運転手の救出は難航した。地下にあった下水管が腐食して下水が漏れ出し、土を浸食したことが事故の原因と説明されている。この事故は、今の日本の状況を象徴しているように思える。
日本では、高度成長を遂げた1960年代から70年代にかけて、上下水道、道路、橋などの社会基盤が整備された。それらが耐用年数を迎え、適切な維持管理が課題となっている。同様の事故は、他の所でも起こりうる。しかし、公共投資と公務員の削減で、公共施設の管理を担当する地方政府はそうした課題を先送りしてきた。表面的な繁栄の陰で、人々の生活を支える土台が崩壊しつつある。日本の衰弱はこれからが本番だと言っても、過大な悲観ではない。
ことは、物理的な社会基盤の荒廃だけではない。税制、社会保障、教育など人々の生活を支える公的な制度、政策についても空洞化の危機が進んでいる。日本では、1960年前後に国民皆保険、国民皆年金の社会保障制度が確立された。これは国際的な水準に照らせば、かなり早い取り組みである。しかし、これらの制度は、男性が働いて生活費を稼ぎ、女性は主婦として家族のケアをするという男女の性別分業システムを前提としたものであった。また、民間企業や官庁では長期安定雇用が常識であり、全体的に経済成長を続ける中で貧困は少数者の問題と考えられていた。
しかし、1990年ごろバブル経済が終わり、経済の停滞が続いている。また、企業はグローバルな競争を勝ち抜くために賃金削減を進め、非正規労働が増加した。こうした変化が30年累積すると、社会経済の実態と制度の間には大きな矛盾が生じることとなる。年金と医療のために毎年巨額の財政支出が行われている。それは高齢者の生活を支えるために必要なことである。また、住民税の課税最低限以下の貧困家庭に対しては、さまざまな政策的支援がある。それも福祉国家としては当然である。しかし、普通に働いてぎりぎりの生活をしている人々、特に長年の賃金抑制の中で働いてきた40代以下の人々は社会保障や福祉の恩恵を受けていない。言わば政策の谷間に落ち込んで、孤立無援の状況である。
2014年から消費税の税率を5%から10%に引き上げた時、その財源はすべての世代の人々の生活を支援する政策に使われると言われたのだが、実際には目に見える成果は上がっていない。こうして、若い世代の人々には冷淡な政府に対する不満がたまってきた。昨年10月の衆議院選挙で、国民民主党という政党が、「手取りを増やす」というスローガンを唱え、所得税の課税最低限を引き上げることによる減税を訴えて、議席を大きく増やした。こうした不満が、初めて選挙の機会に表現されたわけである。
ただし、手取りを増やすというわかりやすいスローガンには注意が必要である。政府への不信を煽って減税を進めるという政策は、次に社会保障や公共サービスの削減につながるであろう。日本のテレビやネット空間では、高齢者と若者の間の世代間の対立を強調する議論がしばしば聞かれる。これは悲劇である。若者の被害者意識をくすぐって税や社会保険料負担を減らし、給付やサービスを低下させれば、将来、今の若い世代が社会保障を必要とする時代になって、その世代の人々自身が生活困難に陥る。道路陥没事故の現場のような現象が社会保障や公共サービスで起きるかもしれないのである。
今必要なのは、すべての世代の人々を支える社会保障制度の再構築である。少数与党状況で、国会では来年度予算の審議が始まった。石破茂政権は、一部の野党の要求を聞き入れて、賛成を取り付けようと苦心している。しかし、その場しのぎの妥協で政策がゆがめられてはならない。少数与党状況だからこそ、各党は政策の空洞化を止めるためにどのような新しい枠組みを打ち出すか、真剣に議論しなければならない。
山口二郎|法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)