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[コラム]粛軍クーデターとソウルの春

登録:2023-12-13 06:32 修正:2023-12-13 09:04
//ハンギョレ新聞社

 1979年12月12日の粛軍クーデターを題材にした映画『ソウルの春』が韓国で旋風を起こしている。先月22日の封切り以来、ボックスオフィス1位を逃さず、11日現在、観客700万人を突破した。このような勢いなら『犯罪都市 NO WAY OUT』に続き、今年2本目の観客動員数1000万の映画になると期待されている。

 映画は「チョン・ドゥグァン」一味が9時間でクーデターに成功したことで終わるが、実際、全斗煥(チョン・ドゥファン)と盧泰愚(ノ・テウ)が主導した軍事反乱は一日で終わらなかった。新軍部は1980年5月初め、非常戒厳令の全国拡大と国会解散、非常機構の設置などを骨子とする政権奪取シナリオを作り、実行に移していった。これに抵抗する5・18光州(クァンジュ)民主化運動を無残に鎮圧した全斗煥勢力は、国家保衛非常対策委員会を設置して政府を掌握し、言論統廃合と政治活動禁止など反憲法的措置を進めた。同年8月16日、新軍部の圧迫に屈した崔圭夏(チェ・ギュハ)大統領が辞任したことで、全斗煥は8月27日、統一主体国民会議の選挙によって第11代大統領になった。全斗煥は自分の政権基盤が安定したと判断した1981年1月24日、非常戒厳令を解除した。金泳三(キム・ヨンサム)政権時代、検察は全斗煥と盧泰愚が粛軍クーデターから光州民主化運動に至るまで犯した蛮行を反乱(首魁)罪で起訴し、有罪判決に導いた。

 「成功したクーデター」に対する処罰もドラマチックだ。当初検察は1994年に「成功したクーデターは処罰できない」という詭弁をもとに「公訴権なし」の決定を下したが、翌年、金泳三大統領が特別法を作り再捜査を「指示」すると、態度を翻した。まず「4000億ウォン(約440憶円)裏金」で盧泰愚を拘束した検察は、捜査に反発して「路地裏声明」を発表し故郷に帰った全斗煥を翌日未明にソウルに圧送した後、同年12月21日、盧泰愚と共に起訴した。残りの新軍部の一味も公訴時効満了前日の1996年1月23日に全員起訴された。1年余りにわたる裁判の末、全斗煥は1審の死刑から2審では無期懲役に、盧泰愚は1審の懲役22年6カ月から2審では懲役17年に減刑され、最高裁で刑が確定した。残りの一味も、パク・ジュンビョン(20師団長、無罪)を除いた全員に懲役刑が確定した。

 「成功したクーデター」だとして新軍部勢力を不起訴処分にしたチャン・ユンソク当時ソウル地検公安1部長は、現与党「国民の力」の前身であるハンナラ党に入党し、国会議員を3期務めた。粛軍クーデターを「国を救おうとした」と美化したシン・ウォンシクは、国民の力の比例代表議員を経て、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の国防部長官になっており、光州民主化運動への「北朝鮮介入説」を主張したキム・グァンドンは現在、真実和解委員長を務めている。偶然の一致だろうか。

イ・チュンジェ論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1119888.html韓国語原文入力:2023-12-12 02:41
訳H.J

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