イスラエル軍がガザ地区への侵攻を開始した直後の11月初め、米国の左派ジャーナル「ジャコバン」インターネット版は、イスラエルのある若い社会科学者がまとめた平和解決策を紹介した。著者は1991年生まれのハイム・カーツマンで、米国で生まれ、両親とともにイスラエルに移住し、そこで平和運動に飛び込んだ人物だ。同氏が提案した内容は、果敢にもユダヤ人とパレスチナ人が一国の中で同等な市民として暮らしていくという「一国解決策」だった。イスラエルとパレスチナという2つの国の分立と平和共存を追求する「二国解決策」をイスラエルの極右が無残に踏みにじった現在の状況においては、逆に一国解決策こそがより現実的な代案だというのだ。
カーツマンが「ジャコバン」で示したこの提案は、決して孤独な夢想ではない。すでに様々な具体的代案も提出されている。
その中の一つは、イスラエル人とパレスチナ人が共に参加する団体「万人のための一つの土地」が発表した国家連合案だ。この構想は二国解決策を継承しつつも、事実上は一国解決策へと向かうものだ。イスラエルとパレスチナはそれぞれ独自の政府を持つものの、欧州連合(EU)のように国境を開放しようというもの。また、小国にとって負担の重い社会間接資本(SOC)を共有するとともに、治安と国防も共同で運営しようという。
もう一つの方策は「単一民主国家運動」が提唱する、より完全な一国解決策だ。地中海からヨルダン川に至るまでの地域に、ユダヤ人とパレスチナ人を含む一つの憲政体制を樹立しようというもの。この単一国家では、ユダヤ人とパレスチナ人は一定の民族自治権を享受しつつも、同等な市民として共に生きていく。ここで重要な課題の一つは、ユダヤ人移民に対してのみ市民権を付与するとするイスラエルの帰還法の廃止だ。これを廃止してはじめて、イスラエルはようやく世俗的な民主政体として生まれ変わることができ、種族と宗教の異なる人々を市民として迎えられるようになる。
しかし、このような代案を実現するには、今のイスラエル社会は極右化し過ぎている。カーツマンは、この状況が1960年代末からしつこく続いているヨルダン川西岸地区のユダヤ人入植地建設運動に起因していることに注目する。実は、極右の拠点となったユダヤ人入植地を建設した人々の多くはイスラエルの貧困層だった。極右がこのように貧しいユダヤ人の大衆運動に根を下ろして成長したとすれば、進歩と平和を追求する人々もまた、それに相応する大衆運動を通じて歴史を覆すべきだ、というのがカーツマンの結論だ。そして同氏はこの結論を自ら実践した。衰退するキブツを平和の拠点にするため、同氏はガザ地区に隣接するホリットキブツへと向かった。
ハマスがイスラエルを急襲した10月7日、ホリットキブツも無慈悲な攻撃の対象となった。その日、カーツマンも殺された。生存者の証言によると、彼は最後の瞬間に人々の命を救うために自らの命を投げうったという。この死はハマスがどれほど無道であるかを証明する例として全世界に伝えられたが、カーツマンの両親は、平和のために闘ってきた同氏の人生が平和に逆行する宣伝に利用されてはならないとの意思を断固として表明した。
これこそ、今日の私たちが直面している悲劇的な現実だ。古い構造が生んだ罪悪は、その構造を乗り越えようと奮闘する人々をも無残に倒してゆく。しかし、希望は依然として世界の各地で復活し続ける「カーツマン」たちにある。唯一このような回答によってのみ、2千年前にもそうであったように、悲劇だけにとどまらない驚くべき集団的な物語が改めて始まるだろう。
チャン・ソクチュン|出版&研究集団サンヒョンジェ企画委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )