「これまで生きた心地がしませんでした。赤ちゃんが安全に保護されていることに感謝しました」
21日(現地時間)、パレスチナ・ガザ地区南部のラファにある病院の新生児室で、名簿に目を凝らしていたワルダ・スベタさん(32)は、息子のアナスの名前を確認した後、ロイター通信にこのように語った。
スベタさんは水色のベビー服と帽子姿で眠っている息子を見ながら微笑んだ。ひと時も忘れず会う日を待っていた息子と45日ぶりに劇的に再会した瞬間だった。
パレスチナのガザ市に住んでいたスベタさん一家は現在、臨時避難所が設けられた南部のハンユニスのある学校で生活している。
先月7日、イスラエルとパレスチナのイスラム武装勢力ハマスの戦争が勃発した当時、生まれたばかりのアナスちゃんはガザ地区北部のアル・シファ病院の新生児室で治療を受けていた。
イスラエルの攻撃を避け、スベタさんの家族も南に避難せざるを得なかった。しかし、電力、水、食料、医薬品まで不足し、アナスちゃんは治療のためにアル・シファ病院に残らなければならなかった。同病院はガザ地区最大規模の医療機関だった。
スベタさんは「アル・シファ病院から息子を迎えに来るよう連絡が来たが、北部の病院に戻るのが困難だった」とし、「ガザ市を出る道は開かれていたが、(ガザ市に)戻る道が閉鎖されたため」と説明した。当時、アル・シファ病院をはじめとする北部のすべての病院が運営を中断しなければならない危機的な状況で、保護者たちに退院の意思を打診したものとみられる。
今月18日、イスラエルがアル・シファ病院の地下にハマスの最大の拠点があると主張し、状況は緊迫さを増していった。病院と連絡が途絶えたのもこの時からだ。
スベタさんは「息子について何も分からなくなった。生きているのか死んだのか、誰かが赤ちゃんにミルクをあげているのかも(分からなかった)」とし、「息子が生きている姿を見られるという希望を失っていた」と語った。
アナスちゃんの生死を確認するために走り回っていたスベタさん夫妻は、臨時避難所で会った他の避難民を通じて、新生児たちがガザ地区の南部に移送されていることを聞いた。
すぐにハンユニスの病院に駆けつけたが、アナスちゃんはおらず、ラファの病院に行くよう言われた。そして、ついに息子と再会できた。
イスラエルが退避を通告した当時、アル・シファ病院の新生児室には39人の新生児たちがいた。しかし、ラファとエジプトに避難する前に8人が死亡した。8人のうち2人は避難前夜に死亡した。
世界保健機関(WHO)と国連人道問題調整事務所(OCHA)の支援を受け、生き残った31人の新生児たちは19日、ラファに移送された。翌日、28人はエジプトに再び避難した。アナスちゃんを含む3人の新生児はラファに残った。1人は身元が確認されておらず、1人は医療スタッフが身元を公開しなかったと、ロイター通信は報じた。
ユニセフのジェームズ・エルダー報道官はロイター通信に「エジプトに避難した28人のうち20人は保護者がおらず、8人は母親と一緒にいる」とし、「保護者のいない一部の新生児は孤児であり、残りの新生児は家族に関する情報がない」と述べた。また「このすべてがガザ地区の家族が置かれた恐ろしい状況を示している」と語った。
スベタさんはアナスちゃんと一緒にエジプトに避難してさらに治療を受けることを提案されたが、夫と7人の子供を置いてエジプトにいくことはきなかった。
幸いにも、現在アナスちゃんは退院できるほど回復している。ロイター通信は、スベタさんの家族がアナスちゃんとともに新しい生活を始めようとしていると報道した。