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[コラム]民団と総連が共に参加する「浮島丸殉難追悼集会」

登録:2023-09-07 07:07 修正:2023-09-21 11:37
Jaewoogy@chol.com//ハンギョレ新聞社

 1945年8月22日、青森県の大湊港から朝鮮人3735人(日本政府発表)を乗せた浮島丸が、目的地の釜山(プサン)にたどり着けず、舞鶴港の沖合で炎に包まれたまま沈没した。苛酷な強制労働に苦しめられ、8・15光復(日本の敗戦)を迎えて祖国に帰る夢を膨らませていた人たちを空しい死に追いやった原因は、いまだ解明されていない。犠牲者の遺骨は、70年あまりが過ぎた今でも、故郷の地を踏めずにいる。

 舞鶴の住民たちは、1978年から浮島丸が沈没した8月24日に、舞鶴港にある「殉難の碑公園」で朝鮮人犠牲者の魂を悼む追悼集会を行う。「戦争のために朝鮮人を強制的に連れてきた日本政府が、戦争が終わったにもかかわらず、無事に帰国させることができないでいることは、非常に間違ったことだ。ここの住民たちは、そのような過ちを繰り返さないために、浮島丸の惨事を舞鶴の歴史に残そうと努めている」

 2019年8月5日、浮島丸事件の取材のために現地で会った「浮島丸殉難者を追悼する会」の余江勝彦会長(82)が語った話だ。中学校の美術教師だった余江会長は慰霊碑を建てた。故郷に戻ることのできなかった朝鮮人家族を形象化した作品だ。一番高く立っている母親は、泣き叫ぶ乳飲み子を左腕で抱え、堂々とした目で故郷の釜山を眺めている。いつかは故郷に帰ろうという決意が感じられる。

 住民たちは、追悼集会に必要なすべての費用は募金で用意し、集会の準備はボランティアで解決するという。それでこそ、住民たちの純粋な意図が歪曲されることなく、追悼集会を着実に進めることができるからだ。この集会には、在日本大韓民国民団(民団)と在日本朝鮮人総聯合会(総連)の地域代表が並んで参加し、追悼の辞を韓国語で朗読する。追悼の辞の朗読順序は毎年変わる。民団と総連の不必要な対立を防ぐための住民たちの「配慮」だ。集会は追悼の辞に続き、献花、追悼の踊り、追悼歌、花を海に投げる順に進められるが、そこにも住民たちの細やかな配慮がある。献花と追悼の踊りは民団系の団体が担当し、追悼歌は総連系である朝鮮学校の生徒たちが出てきて歌う。

 関東大震災朝鮮人虐殺の犠牲者追悼式典の10日前に開かれる浮島丸殉難追悼集会は、今年も例年通り、8月24日に無事に行われたという。関東大震災の追悼式典も、浮島丸のように民団と総連がともに参加することはできないのだろうか。日帝強占期(日本による植民地時代)に犠牲となった朝鮮人の魂を追悼する気持ちは、民団も総連も同じだろう。

イ・チュンジェ論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1107368.html韓国語原文入力:2023-09-07 02:38
訳M.S

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