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[寄稿]植民地の近代化(?)、その暴力の歴史

登録:2023-04-07 04:52 修正:2023-04-07 08:42
日本の企業家と金持ちは朝鮮に進出し、金融と商工業で資本を蓄積した。日帝は効率的な収奪のために京仁線、京釜線、京義線などの鉄路や全州~群山間の「新作路」などを強制労役で敷いた。1930年代以降は戦争のために、映画「アイ・キャン・スピーク」に出てくるように朝鮮女性たちを性奴隷として、映画「軍艦島」のように朝鮮男性たちを鉱山や軍需工場に、銃弾部隊として強制動員した。 
 
カン・スドル|高麗大学融合経営学部名誉教授
//ハンギョレ新聞社

 「西洋文明の流行は防ぐ手立てがない。日本は文明化を受け入れ、アジアにおいて新たな軸を作った。その理念が『脱亜』だ。近代化を拒否する中国と朝鮮は、西洋が圧迫する中で独立を維持する方法がない。日本は隣国と別れて西洋列強とともに動こう」

 19世紀の日本の啓蒙思想家、福沢諭吉(1835~1901)はこのように論じた。これは脱亜入欧論、すなわち日本はアジアから脱皮して欧州へと入っていくという富国強兵論の根だ。良く言えば富国強兵であって、実は西洋帝国主義のようにアジアの頭になろうという、資本主義植民地論の基礎だ。

 12世紀末から約700年続いた日本の幕府(鎌倉、室町、江戸)は、武士が主導する封建主義(士農工商身分制)の核だった。1850年代、日本は内部では収奪と抑圧に反発する農民蜂起によって、外からは「開港か戦争か」と迫る米国のペリー提督(軍艦4隻)によって、内憂外患に苦しんだ。日本の最終的な選択は和魂洋才、つまり天皇中心の日本精神と西洋の科学技術を結合してアジアの最強者になることだった。

 1880年代、福沢の「脱亜論」はこのような脈絡から生まれた強者同一視戦略だった。かなわない西洋列強(オランダ、英、米、ロシア、フランス)に対しては不平等条約を受け入れつつ、「未開国」である朝鮮、中国(清)などは支配下に置こうとした。福沢は(封建制打破と人間解放を唱えた)1894年の東学農民運動について、朝鮮人民は牛や馬、豚や犬と同じだと述べ、日清戦争時には中国人はボウフラ、犬豚、乞食、烏合の衆だと述べた。世を野蛮と文明、未開と開化の二分法によってながめるこの視点は、素早く商人と事業家に変身した新興の資産家たちに機会の扉を開いた。

 彼の後継である岡倉覚三(雅号:天心、1863~1913)は、日本が朝鮮と中国を併合し、アジアを支配すべきだと考えた。最近物議を醸した岡倉の「勇気こそが命の鍵」という美辞麗句も、実は侵略と略奪の扇動だった。後発の帝国主義日本が西洋列強と競ってアジアを占領するには、人倫と良心に背く「勇気」が必要だったというわけだ。帝国主義の命のために他者の命を踏みにじる蛮勇だったのだ。

 実のところ、倭寇の略奪は三国時代からあった。曺植(チョ・シク)の国政批判書「乙卯辞職疏(ウルミョサジクソ)」(1555年)にも出ているように、「倭寇が我が国の南海岸一帯を侵奪すること」が多かった。英雄李舜臣(イ・スンシン)が活躍した1592年の壬辰倭乱、1597年の丁酉再乱もその延長線上にある。

 しかし、19世紀の日本の朝鮮侵略は以前とは質的に異なっていた。今や資本主義の科学技術で武装した植民地開拓! 1868年に明治維新を開始した日本は、1875年の雲揚号事件、1876年の江華島条約を通じて朝鮮に開港(釜山、元山、仁川など)を強要した。日本の商品の朝鮮進出! 1905年の乙巳条約と1910年の韓日併合はその延長線上にある。日帝は朝鮮の米、豆などを安値で買収し、日本の労働者の賃金を抑制した。東洋拓殖会社は土地調査事業で近代的土地所有権を確立し、貧農を土地から追い出した。生産手段を失った農民は小作人や流浪・物乞い、労働者となった。1945年までに満州に移住した農民だけでも150万人となる。

 日本の企業家と金持ちは朝鮮に進出し、金融と商工業で資本を蓄積した。日帝は効率的な収奪のために京仁線、京釜線、京義線などの鉄道や、全州(チョンジュ)~群山(クンサン)間の「新作路」などを強制労役で敷いた。特に1930年代以降は戦争のために、映画「アイ・キャン・スピーク」(キム・ヒョンソク監督、2017)に出てくるように朝鮮女性たちを性奴隷として、映画「軍艦島」(リュ・スンワン監督、2017)のように朝鮮男性たちを鉱山や軍需工場に、銃弾部隊として強制動員した。

 「殖産興業の道を開き、富源を開拓して民力の涵養を図り、朝鮮人をして文明の恩恵に浴せしむ」(1908年、東洋拓殖会社)という植民地近代化論は「完全な詐欺」だった。米軍政と戦争、独裁はその延長線にある。まさにこの暴力と欺まんこそ韓国資本主義の成長の土台だ。

 これが朝鮮半島で繰り広げられた帝国主義、植民地主義、近代化、資本の真相だ。資本の歴史は暴力の歴史であり、血と汗と涙の歴史だ。帝国か植民地かを問わず、男女労働者、農民、共同体と自然が資本の暴力にさらされた。価値増殖の欲望は無限だが、人間や自然の回復力は有限だ。世界資本は無限の蓄積を望むが、(小作管理人を除く)民衆は不幸だ。また世界の海や土地は放射能汚染水、マイクロプラスチック、産業廃棄物、農薬、粒子状物質で汚染される。いわゆる「近代化」または「国益」論理は資本による暴力と破壊を隠すかぶとであり、関係の問題を統計に置き換える物神主義にすぎない。

 一方、過去の暴力と搾取、収奪に対する真摯な謝罪なくして許しや和解はない。尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は「第104回三一節記念式」で、日本は「過去の軍国主義侵略者から、普遍的価値(?)を共有し安保と経済、そしてグローバルアジェンダで協力するパートナーへと変化した」と述べた。また、3月中旬には岸田文雄首相と「和合(?)酒」までくみ交わし、その後、龍山(ヨンサン)での国務会議で「これからは韓日両国政府はそれぞれ自分自身を振り返り、韓日関係の正常化と発展を妨げる障害物をそれぞれ自ら除去して」いこうと述べた。両国の協力のために国家安全保障会議(NSC)レベルの「韓日経済安保対話」の発足、韓日の経済界が造成する「韓日未来パートナーシップ基金」、日本の素材・部品・装備企業の韓国進出、韓日軍事情報協力の強化などが言及された。これらすべてが米国-日本-韓国の資本のための努力だ。そこには人のための努力、特に性奴隷問題を被害者の立場から解決しようという意志や、資本の金儲けのための戦争を防ごうとの考えは全くない。すなわち、韓米日政府は(真の「普遍的価値」である)反戦平和を通じて市民の幸福を築いていく責務を積極的に無視する。

 これ以上「何が自分たちにとって利益なのか」になってはならない。「犬豚」ではなく人間らしく生きるためには「いかに生きるのか」でなければならない。「幸せに暮らすということ」は金ではなく関係の問題だ。これこそ気候危機、戦争危機、経済危機に苦しむあらゆる人にとって切なるコミュニケーションと連帯の哲学であり、破局を防ぐ共生の鍵だ。強者同一視の心理で弱肉強食の論理にとらわれている限り、資本の暴力が生んだトラウマから脱することはできない。国を越えた脱資本生命連帯こそ、市民に必要な「勇気」だ。

 16歳の若さで日本軍に強制連行され、あらゆる屈辱を浴びて亡くなった南の女性の涙ながらの遺言が忘れられない。「私はもう老いて病にかかり何もできない。お前たちが私に代わって立ち上がっておくれ!」 歴史的、社会的真実闘争を決してやめるわけにはいかない理由がここにある。

//ハンギョレ新聞社

カン・スドル|高麗大学融合経営学部名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1086859.html韓国語原文入力:2023-04-06 18:50
訳D.K

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