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[寄稿]韓国の貨物車労働者がストを行うわけ

登録:2022-12-03 04:21 修正:2022-12-03 08:50
貨物連帯が主張する安全運賃制度も必要だが、同時に貨物車労働者自らが運転時間の総量を制限する必要もある。これはすなわち、一部の労働者の犠牲を前提として安く利用してきた物流や配達のコストを、みなが今よりもう少し負担しなければならないということを意味する。 
 
パク・クォニル|社会批評家、『韓国の能力主義』著者
全面スト中の貨物連帯の労働者に対する業務開始命令が国務会議で議決された29日、政府世宗庁舎内の国土交通部関連部署で、職員が業務開始命令の送達を準備している/聯合ニュース

 2003年5月6日、国務会議で盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が怒りを爆発させた。「理解できません。今、ひとつの都市の部分的機能が麻痺してしまっているのに、なぜ関係省庁の長官からは報告もないのですか?」、「いったい仕事をどのようにやってるんですか!」。怒りの矛先は国務委員たち、特にチェ・ジョンチャン建設交通部長官だった。この時、貨物連帯のストライキは浦項(ポハン)から始まり昌原(チャンウォン)や光陽(クァンヤン)へと拡散しつつあった。しかし政府省庁だけでなく多くの報道機関も、2003年当時は事態の性格を正確に把握できずにいた。(国政ブリーフィング特別企画チーム、『参与政府経済の5年』、2008)

 通貨危機後に極端に悪化した不平等は、労働者・庶民を崖っぷちへと追いやった。貨物車の運転手はもともとは運輸業者の正社員だったが、1990年代半ば以降からいわゆる持ち込み制(運送会社に個人所有の車両を持ち込んで登録し、運送会社の名で車両を運行する制度)という形態が生じ、いわゆる特殊雇用労働者になった。韓国特有の悪質な下請け構造にあっては持ち込み制も例外ではなく、貨物車の運転手は非常に少ない収入を補うために過労以上の「超過労」をせざるを得なかった。当然、居眠り運転などによる交通事故も頻発し、多くの市民が事故で命を落とした。政府はこうした持ち込み制の問題を把握していたにもかかわらず、「自営業者と運送業者との自律契約」だとして放置していた。膿んだ問題は腫れ物のようにはちきれてはその場しのぎで解決されるのを繰り返し、今日に至った。

 2022年11月の貨物連帯のストに対して尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が発した「業務開始命令」は、実は盧武鉉政権時代における貨物自動車運輸事業法の改正に伴って作られたのがはじまりだ。業務開始命令に労働者が応じなければ刑事処罰されうる。2004年の導入時に用いられた過度に恣意的な表現、例えば「正当な理由なしに」、「大きな支障」、「非常に深刻な危機」などが曖昧すぎるという批判と共に、強制労働や団体行動権侵害に当たり違憲だとする批判もあった。労働界と市民社会が口をそろえて懸念を表明し糾弾したものの、結局は強行処理された。貨物車労働者に業務開始命令を下したのは尹錫悦政権が初めてだ。盧武鉉が作った鉄槌を尹錫悦が振り回しているわけだ。

 貨物連帯のストに下された業務開始命令は、強制労働を禁ずる国際協約に違反している。韓国は国際労働機関(ILO)の強制労働条約(第29号)を批准しており、同条約は今年4月から発効している。強制労働条約は「処罰の脅威の下に強要せられ」る労働、「自ら任意に申出でたるに非ざる一切の」労働を強制労働と規定する。また、条約には例外、すなわち強制労働と規定することが困難な緊急かつ必須の労働が列挙されている。「純然たる軍事的性質の作業に対し強制兵役法に依り強要せらるる」労働、「完全なる自治国の国民の通常の公民義務を構成する」労働、そして「戦争の場合又は火災、洪水、飢饉、地震、猛烈なる流行病…一般に住民の全部又は一部の生存又は幸福を危殆ならしむる一切の事情に於て強要せらるる」労働だ。すなわち、救急医療は大きな枠組みにおいてこの強制労働の例外に属すると考えられる。しかし貨物車による運輸労働は、明らかに例外条項に当てはまらない。そのうえ業務開始命令は憲法上の基本権である団体行動権を制限しているため、違憲の素地も大きい。

 尹錫悦政権の非理性的で違法な対応はそれとして、貨物連帯のストは市民に熟議を求めている。「超過労」で貫かれた貨物車運転は20年間、一部の特殊な労働者が直面してきた苦しみだが、大きく見れば韓国社会の普遍的問題でもある。高度成長期の労働集約型産業の労働だけでなく、「プラットフォーム労働」や、いわゆる「クランチモード」として有名なIT労働のように、近ごろ増えている多くの労働がこのように「過労するほど金が稼げる構造」だからだ。

 この構造を変えるのは簡単ではない。今回の事案に限定するなら、貨物連帯が主張する安全運賃制度も必要だが、同時に貨物車労働者自らが運転時間の総量を制限する必要もある。これはすなわち、一部の労働者の犠牲を前提として安く利用してきた物流や配達のコストを、みなが今よりもう少し負担しなければならないということを意味する。コストをもう少し支払うなどと言うと、どんどん金を使ってしまうイメージを連想したりするが、そうではない。実は逆だ。予算は常に制約されている。仲間の市民の尊厳と安全のためにコストをもう少し負担するということは、究極的には生産量を減らし、消費量を減らすべきだということを意味する。それは人間を含む地球のあらゆる資源を搾取しながら暴走する成長神話から脱し、互いを大切にし、頼り合う世界への第一歩だ。だが果たして、私たちに脱する意志はあるのか。

//ハンギョレ新聞社

パク・クォニル|社会批評家、『韓国の能力主義』著者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1069838.html韓国語原文入力:2022-12-01 18:57
訳D.K

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