官僚制(bureaucracy)は18世紀中頃にフランスで作られた用語だ。机や事務室などを意味するフランス語の「ビューロ(bureau)」と統治を意味する接尾辞の「クラシー(cracy)」の合成語だ。君主制などの伝統的な統治体制に対比される新しい制度として、官僚集団による統治を意味する概念として考案されたという。官僚組織は現代に至り急膨張したが、定められた法規と原理によって作動する特性上、効率性と予測可能性などを高めることができる。しかし、硬直性、閉鎖性、法規万能主義など各種の病理現象も内包する。
官僚制は様々な病弊を生じさせるが、大きく二つが注目される。一つ目は、官僚が国民に仕える公僕ではなく国民の上に君臨する権力集団になることだ。イタリアの政治学者ガエターノ・モスカ(1858~1941)は、官僚制がエリート支配のための有用な装置であると同時に、それ自体が堅固な支配階級であるとみた(キム・スニャン『政府官僚制の改革課題』)。数的には少数だが排他的で凝集性の高いエリート支配階級ということだ。官僚は、自分たちのそうした権力を保存しようとする傾向を帯びるようになる。その過程で、国民からの乖離が広がり、最小限の共感能力さえ喪失しうる。イ・サンミン行政安全部長官は、梨泰院(イテウォン)惨事に関連し「警察や消防の人員をあらかじめ配置することで解決できた問題ではなかった」という責任逃れの発言をして議論を呼んでいるが、それも一つの事例とみなせる。
二つ目は、官僚が法規を制定した目的と動機を忘却し、消極的に法規に定められた条項を守ることにだけ没頭するという点だ。行政安全部と警察、自治体が一様に「主催者がいないイベントには安全管理マニュアルがない」と言い逃れをしていることは、その事例だ。しかし、肝心の「災害および安全管理基本法」(第4条)は、「国家と自治体は各種事故から国民の生命・身体を保護する責務を負い」、「各種事故を予防するために努力しなければならない」と規定している。法によって国民の安全を守らなければならない責務が付与されているにもかかわらず、下位の詳細な規則に明示されていないという言い訳をして、責任を放棄したのだ。
韓国憲法は「公務員は国民全体に対する奉仕者であり、国民に対して責任を負う」(第7条)と明記している。官僚が国民の支配者ではなく奉仕者として自らの役割を果たすよう、これらの人々に対する民主的統制を強化しなければならない。