1945年8月9日午前11時2分、米軍のB29爆撃機が長崎の都心上空に「ファットマン」を投下した。21キロトンの威力のある原子爆弾が放った閃光と暴風は、あっという間に町を焦土化させ、7万4千人あまりの民間人が犠牲になった。その中には1万人あまりと推定される韓国人もいた。もともとファットマンは北九州エリアの小倉に投下される予定だったが、雲で視界が遮られたことから最後の瞬間に投下地点が変更された。運命のいたずらと言わざるを得ない。
9日、筆者は被爆77年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列した。岸田文雄首相をはじめとして、被爆者とその家族を含む1600人あまりが参列した式典だ。この日の式典では様々な論点が目を引いた。その中の一つは「長崎の原爆は人類最後の原爆とならなければならない」という誓いだった。ロシアを外交使節の招待の対象から除外したという主催側の公式発表も関心を集めた。しかし、筆者にとって最も注目すべき部分は、核問題をめぐる日本政府と長崎の地方政府との路線の違いだった。
岸田首相は演説でウクライナ事態に言及し、核抑止力の重要性を強調しつつも、「核兵器のない世界」を作るために日本政府は外交的努力を尽くすと表明した。そのために「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」という1967年の「非核三原則」を守ると語った。積極的な核不拡散条約(NPT)への参加を通じて核の透明性の向上、核兵器の削減、核拡散の防止に向けた努力にも先導的な役割を果たすことを明確にした。核兵器の保有に反対し、核拡散防止に積極的に取り組むが、米国との拡大抑止戦略は必須だというのが要旨だった。
主催者側の田上富久長崎市長は同日の「長崎平和宣言」で、全く異なる見解を示した。2022年8月8日現在、19万2310人の長崎市民が核兵器で犠牲になったと公表した同氏は、ロシアのウクライナ侵攻で明らかになったように「核兵器の使用が『杞憂』ではなく『今ここにある危機』である」と診断した。「核兵器をなくすことが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道」と釘を刺した田上市長は日本政府に対し、非核三原則を持つ国として「核共有」など核への依存を強める方向ではなく、「北東アジア非核兵器地帯」構想のように核に頼らない方向へ進む議論を先導すること、被爆国として核兵器禁止条約(TPNW)に署名、批准し、核兵器のない世界を実現する推進力となることを訴えた。
田上市長は北東アジア非核兵器地帯化構想を公式に提案している。北東アジア地域の公式の核保有国(米国、中国、ロシア)が域内の核兵器非保有国(日本、南北朝鮮、モンゴル)に対して核兵器の先制使用、安保上の威嚇を行わないことを約束し、その代わり非核国家は核兵器を開発・保有しないことを約束する。その後、国連がこれを条約のかたちで保障しようという提案だ。これに向けて米、中、ロ、南北、日の6カ国の安保首脳会議を制度化するなど、包括的北東アジア安保構想を作り、その枠組みの中で北東アジア非核兵器地帯化と朝鮮半島の非核化を同時に進めようというのだ。
式典の前日、長崎市内ではホン・イクピョ議員を含む韓国の4人の与野党議員、原口一博衆議院議員ら4人の日本の議員が「P3+3北東アジア非核兵器地帯条約を推進する国際議員連盟」の設立総会を行った。彼らは、北朝鮮の核武装が朝鮮半島だけでなく日本にとっても実存的脅威になっているため、朝鮮半島の非核化のためには北東アジアの非核兵器地帯化が同時に推進されなければならないということで意見が一致した。韓日両国の議員が米中ロと北朝鮮の議会指導者を招いて6カ国の議員連盟を作っていくという具体的な実行案も用意された。
既存の核抑止力を維持する中で核の拡散を防止し、核兵器を削減しようという日本政府。核兵器廃棄のみが生き残る道だと強調し、北東アジアの非核兵器地帯化と核兵器禁止条約の批准を主張する長崎の地方政府と市民社会団体。彼らはそれぞれ、今日の日本が核問題に関して持つ2つの顔をありのままに示している。その隙間は一見、埋め難いほど大きく見える。しかし77年前の長崎は問う。「この悲劇的な都市は人類最後の被爆地として残ることができるのだろうか」と。
ちょうどニューヨークでは、第10回核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が行われている。今回の会議においては、原子力の平和利用にとどまらず、核兵器の削減および核軍備競争の予防(6条)、非核兵器地帯の拡大と内実化(7条)、そしてNPTからの加盟国の脱退の防止(10条)などの重要議題の実質的進展を期待する。第2、第3の長崎は絶対に防がなければならない人類の厄災だからだ。
ムン・ジョンイン|世宗研究所理事長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )