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忘れられたミナミハンドウイルカ、テポとクムドゥンイ

登録:2022-08-18 03:35 修正:2022-08-18 08:59
2017年6月、海に帰る前、ミナミハンドウイルカのクムドゥンイが済州島の咸徳沖の生け簀で人を見つめている。クムドゥンイとテポは5年以上行方不明になっている=ナム・ジョンヨン記者//ハンギョレ新聞社

 良かれと思ってやったことが失敗することもある。しかし、失敗について話さなければ発展はない。

 済州の海に戻ったミナミハンドウイルカのテポとクムドゥンイについて語ろうと思う。5年以上行方不明の、失敗した野生への放流の主人公たちだ。

 テポは1997年8月、済州道西帰浦市(ソグィポシ)の大浦洞(テポドン)沖で捕えられた。クムドゥンイは翌年8月、済州市翰京面今騰里(ハンギョンミョン・クムドゥンリ)沖で捕えられた。2頭とも5、6歳の時だった。このくらいの年齢になれば、ミナミハンドウイルカは独立して済州の海の岩と網の位置、そして潮流の方向を覚えるものだ。120頭すべてが一つの集団を形成しているが、その中で親戚や友人との社会的コミュニケーション技術も学ばなければならない。だが、テポとクムドゥンイはその前に網にかかった。

 最初に連れて行かれたのは、今は湖畔グループが買収した中文(チュンムン)の水族館「パシフィックランド」だった。他のイルカと同じく、2頭は餌を拒否して抵抗し、最終的には冷凍魚を受け入れてショーを学んだ。(野生のイルカは生きた魚を捕らえて食べるが、水族館のイルカは死んだ冷凍魚を食べる。冷凍魚を食べさせるのが調教の第一段階だ)

 クムドゥンイは1999年に、テポは2002年にソウル大公園に売られる。そこにはすでに済州で捕獲されたチャドリとトルビ、クェドリがいた。2頭は彼らと再会して喜んだだろうか。それとも怒りと絶望で肩を落としただろうか。

 生き残るにはショーを頑張るしかなかった。そうしなければ冷凍魚すら食べられないからだ。クェドリとトルビが相次いで死に、2000年代には2頭はイルカショーの中心となっていった。

 そして2009年、もう1頭の新参者が消毒液くさい水族館にやって来る。チェドリだった。このようにソウル大公園には違法に捕獲されたイルカたちが出入りした。テポとクムドゥンイは古株として黙々とショーをこなしながら長い歳月を耐えた。

 2012年のことだった。何か雰囲気が変わったことをテポとクムドゥンイは感じただろうか。全身をささげて修行してきたイルカショーは簡素化され、飼育員たちは隣の水槽のチェドリに生きた魚を投げているはないか。そうだ。ソウル市がチェドリの野生放流を発表し、野生適応訓練をはじめたのだ。その時、飼育員が残りの生きた魚を2匹テポとクムドゥンイに投げた。2頭はすばやくそれを追いかけて食べた。

 数カ月後にはテサニ、ポクスニがやって来た。チェドリは間もなく海へと旅立ち、テサニ、ポクスニもまた1年後にそれに続いた。テポとクムドゥンイは広くなった水族館を泳いだ。

 テポとクムドゥンイにも順番が回ってきた。2017年7月18日、済州の咸徳(ハムドク)沖の生け簀が開かれ、歓呼する人々を背に、2頭は海に向かって懸命に泳いだ。しかし、テポとクムドゥンイは今も消息が知れない。ミナミハンドウイルカは海岸の近くで暮らす沿岸定住型の種だ。これまで目撃されていないということは、すでに死んでいる可能性が高い。おそらく20年間スイッチが切ってあった、イルカ同士が音波をやりとりするのに用いる反響定位器官が故障していた可能性が高い。イルカは音波を発射し、戻ってくる反響を認識して前方の地図を描く。しかし狭い水族館に閉じ込められていると、イルカは鏡の張り巡らされた部屋にいるのと同じになる。あなたがそこに20年間住んだとしたら、どうなるだろうか。

 海洋水産部とソウル大公園、環境・動物団体など、当時の野生放流を主導した人々はテポ、クムドゥンイの運命について苦悩した末、野生放流が最善だと考えた。しかし、2頭のイルカの行方不明も、野生放流にかかわった機関や団体の沈黙も続いている。野生放流白書の発刊はもちろん、討論会の開催も一度もない。私たちの保全運動と動物運動が一段階上へと成長するためには、「私たちは最善を尽くした。しかし不幸な結果となった。それでも私たちはこの道を歩むべきだ」と淡々と語るべきではないだろうか。

 苦しくはあっても水族館で安定した暮らしを続けるか、危険はあっても故郷の海に帰るか、決定主体はイルカ自身でなければならない。私たちはそれが不可能だということを知っている。だからイルカに代わって選択しなければならないという「倫理的困難」に陥る。このように想像してみよう。無実の罪で20年間の獄中生活を送った囚人に「この飛行機に乗れば自由の地に行ける。ただし墜落確率は10%」と言えば、その囚人はどのような決定を下すだろうか。私たちは動物の実存の前でも謙虚かつ慎重でなければならない。決定の根拠を一つひとつ記録して残し、次の参考にするしかない。

 先日、ミナミハンドウイルカ「ピボンイ」が海に戻るために生け簀に移された。今月中に放流されるという。ピボンイは4、5歳の時に捕らえられ、17年間にわたって水族館に閉じ込められていた。テポ、クムドゥンイのように幼いころに捕まり、長く監禁されていたイルカだ。賽は投げられた。ともかく倫理的困難の中で私たちは野生への放流を選択した。ピボンイが野生の群れに合流することを祈る。そして成功であれ失敗であれ、きちんとした1冊の白書が発行されることを願う。

//ハンギョレ新聞社

ナム・ジョンヨン|気候変動チーム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1055139.html韓国語原文入力:2022-08-17 18:44
訳D.K

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