1年前、韓国のある大学で数カ月を過ごした。久し振りに韓国に長期滞留し、欧州のどの図書館にもない貴重な資料を韓国の大学図書館で探しだして読んだのは、今も忘れられないほど楽しかった。ところが、その大学と私が馴染んだオスロ大学の雰囲気は、本質的に違うという事実も実感できた。その「違い」について話すなら、韓国の大学が最近作った最新型の建物は欧州のどの大学と比較しても「最先端」以上に見えるということも顕著な違いであった。しかし最も大きな違いは、外見上の差よりも目には見えない人間関係の構築方式や、権力関係の作動方式の違いであった。
いつも思うのだが、私は大学の最も偉大な主人公は清掃労働者だと考える。この頃のように多様な方式のオンライン教育が可能な時代には、教員はその多くが数カ月間の出張や休暇に行っても、大学は何事もなく運営される。しかし、トイレの清掃を一日でもしなければ、悪臭が漂い不快になるため、大学での研究も教育も難しくなるだろう。したがって私はオスロ大学で学生・教員・行政職員が清掃労働者と廊下で会ったとき、先に挨拶をする慣例をいつも「正常」と考えてきた。
私も家では清掃担当であるから体験的に知っていることだが、慢性腰痛のような疾患が多くなる中年にとって、清掃労働は文を書いたり教えることよりはるかに難しいことだ。さらにオスロ大学では、清掃労働者が教員や行政職員と同じ労組に所属するため、「同僚」という意識が強い。ところが、私は韓国の大学で清掃労働者に先に挨拶する教授を見たことがない。教授と清掃労働者が同じ労組に所属するというのは、想像すら難しいことだ。同じ教授でも、正規職と非正規職の労組がそれぞれ違い、二つの労組が協力して闘争することもほとんどない。
骨の髄までコーヒー中毒者である私は、韓国の大学で販売されているコーヒーはオスロ大学のコーヒーより高級だと思う。味もそうだが、価格はオスロの半分にもならず、天国のように感じるほどだ。ところが、各自が自分の飲むコーヒーだけを買うオスロのカフェテリアの風景とは異なり、韓国の大学のカフェテリアでは比較的若く見える(多くが女性の)構成員が大きなテイクアウト・キャリアにコーヒーをいくつもナプキンなどと共に入れて、どこかに持って行く状況を毎日見かけた。聞いてみると「教授」や「先輩」に「差し上げる」ケースが多かった。もちろん「自発的な親切」の場合もあったろう。ところが、最近問題になった大学教授出身の社会副首相兼教育部長官のパワハラ疑惑の話を聞いてみると、必ずしも「自発的サービス」だけではなかっただろうと思うようになった。大きなテイクアウト・キャリアを手に持って、遠い研究棟に届けに行く若い女性たちの姿が、今も鮮明に目に浮かぶ。教授の業務を補助する「助教」という身分の女性たちだったのだろうか。
こうした違いの一つ一つを数え上げれば本一冊は書けるだろう。教授の講義に対する学生たちの評価結果を受け、教員会議でその教授たちの面前で教育方式の改善などを要求するオスロの学生代表の姿は、おそらく多くの韓国の教授たちには「正常でない」と映るだろう。ところが、オスロではそれは通常の手続きにすぎない。会議の内容や順序はもちろん、その会議の参席者の外見も明確に異なる。韓国の大学社会で今もよく見られるスーツやネクタイは、ノルウェーの大学ではきわめて特別な場合を除いてはほとんど見られない。しかし、これらの違いを一つずつ数え上げるより、その「起源」は何なのかを考えてみるほうが有益だろう。
非権威主義的な近代社会というものが最初から存在することはありえない。社会民主主義的改革が進行中だった1950年代のノルウェーでも、高所得公務員だった教授とその学生、大学施設労働者の間の「距離」はとても遠かった。大学でも、ひいては社会全体でも、きわめて垂直的だった各種の関係を水平化させる上で最も大きく寄与したのは、他でもない1968年の反権威主義的革命であった。大学でスーツやネクタイ姿が見えなくなり、学生代表が行政参加権を得たのもそれからだ。もちろん数百年間かけて固まってきた権威主義文化が、一度に崩れたわけではなかった。「コーヒーのお使い」のような日常生活の中のパワハラが、ノルウェーを含む北欧の多くの国からなくなったのは、1968年の革命を体で経験し直接的・間接的に参加した世代が、1970~80年代に大学部門を含む社会の様々な部門に根をおろしてからだ。
韓国の1960~80年代は、欧州よりはるかに革命的な時期であった。ほとんど「無血」だった欧州の1968年革命とは異なり、韓国の民主化運動は多くの場合、拷問や死まで覚悟しなければならなかった。しかし、同時に革命の「対象」も違った。韓国の民主化運動は、多くの急進派も含んではいたが、共同の指向は何よりも「政治的変革」、すなわち独裁打倒であった。改革を指向する民間の政治家が政権につくことこそが、運動に参加した多数が望んだ「勝利」であり、社会全般の権威主義は副次的な問題として扱われた。こうした風土では、一時は民主化闘争の過程で死刑宣告まで受けたイ・チョル氏が、2005~2008年に鉄道公社の社長を務め、ストライキに立ち上がった非正規職の女性乗務員を解雇した事例のように、かつての民主化闘士が社会問題では「進歩派」の反対側に立つことが十分ありえた。だが、欧州の1968年革命の主役たちは、大慨は政権につくことを望まなかったし、政治的変化以上に社会全般の民主化をはじめとする脱権威・水平化を指向した。たとえ彼らが最終目標にしたエコロジカルで平和主義的な民主的社会主義は建設されなかったとはいえ、彼らが成し遂げた権威主義の打破や人権の伸張は、ノルウェーを含む欧州社会を恒久的に変えた。
今日の韓国は、社会的革命を指向するほどの結集力が消えた極度に原子化された社会だ。それでも非正規職労働運動家をはじめとするこの社会の真の進歩勢力は、極度に難しい状況の中で、パワハラなどとの闘争を続けている。参加はできなくとも、この闘争に支持と応援を送ることは、より良い社会を作る第一歩であろう。