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ウクライナから台湾まで、中国空母の知られざる歴史

登録:2022-06-22 07:25 修正:2022-06-22 12:06
Jaewoogy.com//ハンギョレ新聞社

 中国人民解放軍のバスケットボール選手出身で香港の事業家の徐増平氏は、1990年代後半、人民解放軍の高位の将軍らから切実な要請を受けた。米国の疑いの目を避けつつ、ウクライナにある旧ソ連の空母を購入してほしいというものだ。黒海にあるウクライナのムィコラーイウ造船所には、ソ連が解体される過程で工程が70%まで進んだ状態で未完成のままにされていたクズネツォフ級空母「ヴァリャーグ」が放置されていた。徐増平氏は1997年、この空母を2000万ドルで買い取る秘密作戦を始めた。

 徐増平氏は、米国情報当局の疑いを避けるため、マカオに水上カジノを作りたがっている変わり者の大物事業家のイメージをつくった。キーウに事務所を置き、ソ連からの突然の独立以降経済的な困難に直面していたウクライナの官僚や造船所の関係者たちに金品やプレゼントを渡した。1998年、ついに取引が成功したが、1999年に米国が駐ユーゴスラビア中国大使館を誤爆する事件が起きて米中関係が悪化し、ヴァリャーグはトルコのボスポラス海峡で15カ月間、身動きがとれない状態に陥った。当時の中国の江沢民主席が2020年4月にトルコを訪問し経済的な恩恵を約束するなど、紆余曲折の末に2002年3月、ヴァリャーグは遼寧省の大連港に到着した。徐増平氏は2015年、「サウスチャイナ・モーニングポスト」のインタビューで、外部にはカジノに改造する目的でくず鉄の塊となった空母を持ち込むという情報を流したが、実際にはまったく損傷してない4基の新型エンジンも秘密裏に持ちこんだことを明らかにした。

 中国当局は、ヴァリャーグをすぐには改造せず、関連研究をしながら静かに時を待った。米国や近隣諸国の警戒心を刺激しないようにする動きだった。2008年、米国発の金融危機で米国の力が弱まったと判断した後、本格的に動きだした。2009年4月、胡錦濤主席は政治局拡大会議を開き、空母建造計画を公式に承認した後、ヴァリャーグの改造を始め、2012年、中国初の空母「遼寧」に変えた。2017年には2隻目の空母「山東」が進水した。今月17日には3隻目の空母となる「福建」が進水し、原子力推進方式の先端空母の建造計画も進行中だとわかった。中国が短期間に空母戦力を急速に発展させたのには、ウクライナから持ちこんだヴァリャーグのエンジンと設計図が重要な役割を果たしたと評される。

 中国が3隻目の空母の名前に台湾と向かいあう地域である「福建」を用いたのは、台湾に対する警告だとみられる。福建の進水式が行われた頃、中国が「台湾海峡は国際水域ではなく中国の領海」だと主張し始めたのは意味深長だ。中国外交部の汪文斌報道官は13日、「国際海洋法には、根本的には『国際水域』という言葉はない」とし、「関連各国が台湾海峡を国際水域だと主張するのは、台湾問題に介入し中国の主権を脅かそうとするもの」だと述べた。中国は、空母をはじめとする海軍戦力を強化し、他方では「台湾武力統一」に備え自国の立場を正当化しようとする外交的な準備を始めたのだろうか。ロシアのウクライナ侵攻で不確実性が大きくなった時代に、東アジアでも戦争と平和の悩みが深まっている。

パク・ミンヒ論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1047889.html韓国語原文入力:2022-06-22 02:50
訳M.S

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