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[寄稿]ウクライナは米国の「ローリスク・ハイリターン」か

登録:2022-03-21 07:29 修正:2022-03-21 08:59
バイデン政権は発足直後、ウクライナ政府に6億5000万ドルを支援することにした。ウクライナ政府の親ロシア派勢力への攻撃も激化し、親西側への歩みも速まった。再び窮地に追い込まれたプーチン大統領は、今回は戦争を選択した。この戦争は米国の「ローリスク・ハイリターン」になるだろうか。失敗の要因になるだろうか。

 「EUくそくらえ!」

 米国務省の欧州およびユーラシア担当次官補だったビクトリア・ヌーランドがぶちまけた。ジェフリー・フェルトマン国連事務次長と話をつけ、パン・ギムン国連事務総長の同意を得たが、欧州連合(EU)とは思ったとおりに進んでいないという言葉だった。

 ヌーランド次官補と電話で会話していたジェフリー・ピオット駐ウクライナ米国大使が答えた。「国際的地位を持つ誰かをこちらから送りだせば、それを成功させられる」。ヌーランド次官補は、ジェイク・サリバン副大統領補佐官(当時)とすでに相談していた。「サリバンはすぐに私に返事をして、バイデンが必要なはずだと言った。…そして、バイデンには“その”意思があった」

 2014年2月のことだった。当時のウクライナ情勢は爆発的だった。2013年末に始まったユーロマイダンのデモが花火のように広がっていた。火種はEUとの関係だった。ヤヌコーヴィチ政権が、ウクライナ・EU委員会条約とウクライナ・EU自由貿易協定の署名を無期限に延長したことが、火種を地上に引きだした。長い歴史を持つウクライナ西部の親西側勢力の反対デモに火がついた。警察の暴力的な鎮圧が火を大きくして、政府の暴力に怒った市民が四方で立ち上がり、次第に暴力的な様相を帯び始めた。2014年初めにはデモが反政府の性格を帯び、政府庁舎と議会の占領運動に飛び火した。

 まさにその時だった。親ロシア派のヤヌコーヴィチ政権の失脚が可視化され、野党の動きが活発になったまさにその時、ヌーランド次官補とピオット大使が電話で会話した。「そのシナリオ」に言及し、「デモ後」を企てた。反対派のリーダーと連絡を取っていることを打ち明けた。誰が政権に入ってはならず、誰が「そのシナリオ」にふさわしいのかについて論議した。その構想を推進するにはEUはあまり役に立たないとみて除けておいた。国連の協力は確保した。同時に、自分たちより「国際的地位」が高い人物の介入が必要だと共感した。その人物とはジョー・バイデン副大統領(当時)だった。彼は介入する意志もあった。

 この電話での会話以降、米国政府がどう動いたのかについては、まだ公開されていない。ただし、ウクライナで何が行われたのかについては、誰もが知っている。2014年2月18日、デモが全国的な蜂起に爆発した。翌日、政府と野党勢力、デモ隊が休戦に合意したが、極右民族主義派の右翼セクターや全ウクライナ連合「自由」(スヴォボーダ)系列などのデモ隊は、合意案を拒否した。彼らは銃器を振り回し、武力でキエフ(現地読みキーウ)市内と議会を掌握した。生命に危険を感じたヤヌコーヴィチ大統領は身を隠し、与党は議会から身を避けた。野党が掌握した最高議会は、ヤヌコーヴィチ大統領を弾劾し、5月の早期大統領選挙を決定した。

 まさにクーデターと言うに値する急激な政権交替が行われた。親ロシア派政権は追い出され、親西側政権になった。しかし、すぐに親ロシア派勢力が反発し始めた。クリミア自治共和国が独立を宣言し、ドネツク(現地読みドネツィク)とルガンスク(現地読みルハンスク)がその後を追った。ウクライナ政府は防衛軍を新たに構成し、これらを攻撃した。ウクライナ内戦が本格化した。

 米国政府の立場は確実で堅固だった。2014年以降、ウクライナ政府に20億ドル(約2400億円)相当の軍事支援を提供した。ネオナチのアゾフ大隊が防衛軍に加担しても意に介さず、議会が彼らに対する支援を禁止しても、軍事援助は打ち切られなかった。ピオット大使は、マイダン運動を「民主化運動」、これに反対する勢力を「テロリスト」と指し示すことをはばからなかった。そもそも、交渉を通じた平和的解決には関心がなかった。

 2014年のウクライナの「クーデター」は、ロシアを窮地に追い込んだ。何らかの措置を講じなければ、ウクライナは親西側政権が掌握し、西側の影響力がロシアの目前にまで拡張されるはずだ。しかし、軍事的に介入するには、巨額の費用を支払わなければならないだろう。プーチン大統領は妙案を思いついた。クリミア半島だけを占領し、それ以上は戦争の拡大を避けた。

 しかし、バイデン政権は発足直後、ウクライナ政府に6億5000万ドル(約770億円)を支援することにした。ウクライナのクーデターを画策したヌーランド次官補は、バイデン政権で国務副長官に栄転した。彼女と協力していたサリバン副大統領補佐官は、バイデン大統領の大統領補佐官(国家安全保障問題担当)になった。ウクライナ政府の親ロシア派勢力への攻撃も激化し、親西側への歩みも速まった。ロシアのプーチン大統領が解決案を出したが、まともな交渉は一度もなされなかった。再び窮地に追い込まれたプーチン大統領は、今回は戦争を選択した。この戦争は米国の「ローリスク・ハイリターン」になるだろうか。失敗の要因になるだろうか。朝鮮半島に与える含意は何だろうか。

//ハンギョレ新聞社

ソ・ジェジョン|国際基督教大学アーツ・サイエンス学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1035552.html韓国語原文入力:2022-03-21 02:32
訳M.S

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