本文に移動

[朴露子の韓国・内と外]勝者独占社会での連帯の欠乏、「イカゲーム」の含意

登録:2021-10-26 22:14 修正:2021-10-29 06:15
私が双龍自動車ストライキ事態について記憶するもう一つのことは、ストライキ労働者の“孤立”だった。双龍自動車労組の上部団体である金属労組の15万組合員が部分ストライキを行ったりはしたが、あくまでも形式的な“連帯”の演出に過ぎなかった。その核心動力である現代自動車支部の代議員は“同調ストライキ”提案を否決させ、意味ある連帯には全くならなかった。
イラストレーション:キム・デジュン//ハンギョレ新聞社

 この頃、私のまわりには「イカゲーム」を観ていない人がほぼいないほどだ。韓国産ドラマのみならず、どこの国のドラマもここまで世界的人気を享受するケースは今日までほとんどなかった。「サバイバルゲーム」というジャンルは、比較的容易に大衆の注目を浴びるが、2000年の日本産映画『バトルロワイヤル』のような類似のジャンルの既存作品もこれほどの人気は得られなかった。大衆性が高いジャンルや、緻密なあらすじの構成、水準の高い演出などが「イカゲーム」の成功に寄与したことは確実だが、それ以上に大きいのはこの映画の意味深長なメッセージであった。少なくともノルウェーでは、「イカゲーム」をめぐる議論は主にそのメッセージに集中している。

 「イカゲーム」の画面に登場する鮮血が散り乱れた残酷劇は、もちろん新自由主義的な優勝劣敗、弱肉強食、勝者一人占めを形象化したものだ。『銭の戦争』に敗北して社会的落伍者になった弱者は、それでも勝者の隊列に合流しようとの一念で、わらをも掴む心情で勝算のほとんどない殺人的ゲームに合流し、そのみじめな死で支配者に苛虐的快楽を与える。456人の現代版剣闘士と、その殺人場面を目の保養とする6人のVIPとに分けられた劇中の小社会は、確実に「1%による、1%のため」の新自由主義社会のある極端形態を比喩的に見せる。このドラマのこうした象徴性は、2008年の大恐慌以後の新自由主義批判に十分に慣れた世界の視聴者たちにはきわめて容易で自然に迫る。

 しかし、その他に見逃せないもう一つの重要なメッセージは、まさに被害者の連帯の欠乏、そして被害と加害の複雑な重複だ。剣闘士役を強要されることになった高額債務者は、究極的に殺人ショーを楽しむ金持ち本位に回る社会秩序の被害者であるに違いない。だが、彼らも同僚の死を前提とするコースで、ひとまず自分の足で勝利に向かって走るのだ。連帯して殺人ショーの主催側に共に対抗しようとする試みはほとんど見られず、同僚のために自身を犠牲にして死ぬケースだけがたまに見られる。殺人ゲームの過程で犠牲になった450人余りの登場人物の中には、相当数が自分の手を同僚の血で染めたのだ。加害者が運営する体制に対し、組織的に、連帯的に抵抗できない被害者は、結局自らも加害者とならざるをえない。もしかしたら、この部分こそがこのドラマが投げかけるメッセージの核心なのかもしれない。

 このドラマの主人公である「ソン・ギフン」は、2009年の双龍自動車ストライキをモデルにした「ドラゴンモータース」ストライキの結果、職を失い人生の危機を迎える。ドラゴンモータースストライキの時に経験した殺人鎮圧は、ソン・ギフンにとって一生拭い得ないトラウマになったのだ。実際、ティザーガンや催涙液が使われた双龍自動車ストライキ鎮圧は、軍事作戦を彷彿とさせるほどに残酷で、その残酷性は多くの人々の記憶の中に鮮明に残っている。しかし、私が2009年双龍自動車ストライキ事態について記憶する、もう一つのことは、ストライキ労働者の「孤立」だった。双龍自動車労組の上部団体である金属労組の15万組合員が部分ストライキを行ったりはしたが、あくまでも形式的な「連帯」の演出に過ぎなかった。その核心動力である現代自動車支部の代議員は「同調ストライキ」の提案を否決させ、意味ある連帯には全くならなかった。「ビジネスフレンドリー」(企業親和性)で悪名高かった李明博(イ・ミョンバク)積弊政権は、双龍自動車労働者に直接的加害を行ったが、同僚を助けることなくひたすら自分たちの安全とリスクにのみ関心を持ったまた別の潜在的被害者である同じ業界の労働者たちは、果たしてその悲劇でどんな役割を受け持ったのであろうか?被害者でありながらも加害者の“ゲーム”に簡単に巻き込まれ、結局相互に加害者となる「イカゲーム」の中の数百人の現代版剣闘士は、まさにこうした実際の状況から示唆を得て再現された人物なのではないか?

 「イカゲーム」のような作品が、他でもない韓国で作られただけに、こうした状況は最近この国で典型的だ。同じ労働者であっても、立場や身分が互いに若干でも違えば、連帯はない。私が比較的よく知っている大学業界を例にあげよう。すべての4年制大学の専任教授(約6万6千人)の1%程度にあたる600人余りを組織した教授労組がある。ごく少数の教授だけが参加する労組だが、すでに保守化された大学教授社会にあってはおそらく最も進歩的な人々の集まりだとみられる。同じ大学には約1700人の非正規教授(時間講師など)が組合員である非正規教授組合も存在する。二つの組合には、教育と研究に従事する教員労働者が加入していて、両組合は政治指向上“進歩”に分類される。しかし、正規教授組合員と非正規教授組合員が連帯闘争をしたことがあるかと尋ねたところ「ほぼない」という答が返ってきた。同じ進歩指向の、同じ大学に所属する、同じ研究者だが、身分上の違いが生じれば共に手を握り連帯することはない。果たして大学だけがそうなのだろうか?「イカゲーム」は、まさにこうした連帯不可能な世の中を極端な姿で象徴的に見せた作品ではないか?

 「イカゲーム」の悪夢のような世界では、殺人ゲーム参加者の相当数は実際ゲーム組織者たちの世界観を暗黙的に共有している。組織者たちは、参加者の「自発的」な同意がある以上、「人間競馬場」において参加者に相互に殺し合うゲームをさせ、金儲けをしてもかまわないと認識している。一度は場外に出たが、再び自分の足でゲーム現場に戻る参加者たちも、同僚たちが皆死んでこそ最終勝者が賞金を手にできる弱肉強食の論理をひとまず現実として受け入れているのだ。問題は、ドラマでなく大韓民国の現実でも被害者が加害者の論理を受け入れるケースがきわめて多いということだ。例えば、恒常的・継続的な業務であっても非正規職を雇用するそもそもの不公正、非正規職差別という大きな不正義に目をつむり、新自由主義的支配者が前面に掲げる「手続き的公正」という欺瞞的修辞をそのまま受け入れ、仁川国際空港公社の非正規職の正規職化に反対し、大統領府への国民請願まで出した数十万人の低所得層は、支配者のイデオロギーに抵抗できない被支配者の典型的事例を見せるものではないだろうか?もし被害者が、平等な連帯と集団的抵抗を可能にする二者択一信念を共有できなければ、窮極的にごく少数にだけ利益になる「イカゲーム」は絶対に止まないだろう。「イカゲーム」の背景になった過去20年余りの韓国新自由主義の歴史、被害大衆の分裂と原子化の歴史こそが、その事実を立体的に見せている。

//ハンギョレ新聞社
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大学教授・韓国学 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1016694.html韓国語原文入力:2021-10-26 19:02
訳J.S

関連記事