本文に移動

資本が設計したゲームの競走馬…人間でありたい「イカゲーム」の主人公

登録:2021-10-09 10:05 修正:2021-10-09 12:44
ドラマ「イカゲーム」のワンシーン=ネットフリックス提供//ハンギョレ新聞社

※この記事にはドラマのストーリーに関する内容が含まれています。

 「まもなく2番目のゲームが始まります。参加者は進行スタッフの案内に従って移動してください」。緑色の団体服を着た参加者たちが、人間の感情が感じられない案内放送に従って整然と秩序を守って動き始める。彼らの目標はただ一つ、最後まで生き残って456億ウォンを獲得することだ。幼い頃に楽しんだいろいろな遊びが、参加者の命を左右する生存ゲームとなった現場は、死の恐怖と賞金を得たいという欲望が衝突する修羅場だ。ゲームから脱落した参加者は命の値段1億ウォンの貨幣と交換され、豚の貯金箱に収められる。ゲームからの脱落は、幼い頃の遊びのようにもう参加できないという象徴的な宣言ではなく、本当の死を意味した。

 「子どもの遊びをさせて人を殺す」という、仰天するようなこんな生存ゲームに参加する人がいるのだろうかと思ってしまうが、命をかけて飛びつかずにはいられない切迫した立場の人が少なくない。例えば、サラ金から借金返済の督促を受け、身体放棄の覚書まで書かなければならない経済的弱者がそうだ。金のために死まで考える人たちに、「めんこ」のような遊びを数回やれば大金が得られるという提案は拒絶しがたい誘惑だ。極めて例外的な状況のように思われるが、資本が人間を圧倒する現実からは誰も自由ではない。このように「イカゲーム」は数百億ウォンの賞金がかかった生存ゲームを媒介として、資本主義の無限生存競争から脱落した人たちの残酷な現実を寓話的に風刺する。

 一生懸命働いて稼いだ金で家族との幸せを夢見ていたソン・ギフン(イ・ジョンジェ)は、経済的弱者に転落した人物だ。彼は工業高校を卒業し、自動車会社に就職してまじめに働いていたが、経営陣の無能さによるリストラの影響で希望退職したことで、人生のどん底に落ち始めた。生まれたばかりの娘と妻を養うため、チキン屋、次に軽食屋をオープンしたが、いずれも失敗し、結局妻とは離婚、子どもの養育権まで奪われた。金が敵(かたき)だった。老母が健康でない体で稼いだ金すら賭博に使い果たし、高利貸しに苦しめられている状況でゲームの提案を受けた。子どもの遊びに巨額の賞金がかかっているという提案に困惑しながらも、もしかしたらという気持ちで参加を申し込んだ。

ドラマ「イカゲーム」のワンシーン=ネットフリックス提供//ハンギョレ新聞社

 しかし、456人の参加者に与えられた最初のゲームが、子どもの頃に友達と楽しんだ「ムクゲの花が咲きました」という遊びだということに戸惑う暇もなく、ルールを破った参加者が脱落と同時に射殺される現場を目撃し、彼は自分が阿鼻叫喚の生き地獄に入ってしまったことに気づく。地獄のような現実から脱するためにゲームに参加したが、ゲーム場はもう一つの地獄だった。「ムクゲの花が咲きました」で始まったゲームが「タルゴナ(カルメ焼き)型抜き」「綱引き」「ビー玉」「飛び石渡り」を経て「イカゲーム」に続く間に、多くの参加者が死に、豚の貯金箱にはその分の巨額の現金が貯金されていった。

 定められたルールに従って生き死にを繰り返しても、ただ面白いだけだった子どもの頃の懐かしい遊びが殺害道具となったゲーム場で、ソン・ギフンは生き残るためにもがいた。オニの人形の目を逃れ全力で走り、傘の形のタルゴナの型抜きは切実な気持ちで唾をつけた。そして、ビー玉を共有する「同志関係」を結んだ老人を騙し、ついに最終勝者を決めるイカゲームまで生き残った。

 人の命を担保にしたゲームに参加して、彼は金が人生のすべてではないことに今さらながら気づいた。最後の勝者となり、456億ウォンの賞金を受け取ったが幸せではなく、むしろ悔恨の念にかられた。456人の参加者の中で最後の番号である456番と呼ばれたが、ソン・ギフンは常に中間地帯に隠れたかった。彼の番号が1から9までを3等分したときの真ん中の数字の「456」だったのも偶然ではない。韓国でのゲームを最も興味深く観戦している世界のVIPの表現を借りれば、ソン・ギフンは「恐怖を感じた時は群れの真ん中に隠れたい」動物の本性に忠実な「競走馬」にすぎない。

 「イカゲーム」に参加することは絶対にないと確信している人ほど、資本が設計したゲームの競走馬である可能性が高い。ゲームから脱落しないために手段と方法を選ばないソン・ギフンから、うっすらとでも自分の姿を見出した人であるほど、彼の存在を強く否定する。たとえ資本に捕らわれて人間としての自尊心に傷を負ったまま生きていくとしても、決してソン・ギフンのようにどん底まで落ちたくはないからだ。しかし、韓国の状況からは距離を置いている外国人にとって、「イカゲーム」は興味深い観戦対象にすぎない。汚染された資本主義生態系の一番強い捕食者が設計したゲームの競走馬になるかも知れないという韓国人の恐怖心理を、外国人の観戦者たちが理解するのは簡単ではないからだ。私たちみんなが、自分でさえなければだれが競走馬であろうと関係ないというエゴを捨て、「俺は馬じゃない! 人間だ!」というソン・ギフンの警告を心に刻むならば、傷つけられた共同体意識が少しでも回復するのではないかと思う。

ユン・ソクチン|大衆文化評論家 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1014496.html韓国語原文入力:2021-10-09 00:15
訳C.M

関連記事