権力を批判してきた新聞社の編集局に、警察数百人が押しかけた。編集局長や論説委員、記者らが続々と捕らえられ、監獄に閉じ込められ資金が抑留され、読者の声援にも関わらず、結局、新聞は廃刊される…。独裁時代を経験した韓国人には聞き慣れなれたことが、2021年6月24日に香港で起きた。中国当局に批判的だった日刊紙「蘋果日報」(アップル・デイリー)が弾圧され、これ以上は持ちこたえられずこの日に最終号を発行すると、市民がこの新聞を買おうと雨の中を長い列を作り並んだ姿は、国家安全法1年を迎えた香港の現実を象徴する。
衣料ブランドのジョルダーノを創業し事業家として成功した黎智英が1989年に創刊した蘋果日報に対する評価は、人により異なる。草創期には販売部数を増やすために扇情的で刺激的なゴシップ報道や有名人の私生活を暴いたことで議論を起こした。その後、中国共産党指導部と香港政府の問題を暴いた調査報道や、香港の民主派勢力の声を積極的に伝える論調で注目された。2019年に逃亡犯条例改正反対デモへの市民の参加を促し、米国が中国を制裁すべきだという主張も行った。広告への弾圧などを懸念し他の新聞が批判的な論調を和らげる間、唯一屈せずに踏ん張る蘋果日報に対する市民の支持は高まった。
国家安全法が発効された翌日の2020年7月1日朝、香港の主要新聞の1面にはこれを祝う政府広告が掲載されたが、蘋果日報だけは国家安全法に対する批判記事を載せた。翌月、香港警察は蘋果日報を家宅捜索し、黎智英を逮捕して国家安全法違反の容疑で起訴し、財産を差し押えた。そして今月17日、再び編集局が捜索され、新聞社の財産が差し押さえられ、編集局長や主筆などが逮捕された。新聞社は結局、廃刊を選択した。ウェブサイトとフェイスブックのページも消え、26年間築いてきたメディアの跡は完全に消された。
蘋果日報の死は、メディアの多様性と自由路線で有名だった、私たちの知っている香港が消えてしまったことを示している。香港の国家安全法は、国家分裂、国家政権転覆、テロ、外国勢力との結託の四つの犯罪に対し、最高で無期懲役で処罰するが、どのような記事がこの容疑に該当するのかは当局が決める。記者らは自己検閲を続けたり、批判的な記事を書くことをためらうのは避けられない。4月には公営放送RTHKで、政府に批判的な報道をしたディレクターが取材手続きをめぐり有罪判決を受け、製作陣が追い出されている。
7月1日に100周年の記念行事を準備中の中国共産党は、なぜ今、蘋果日報に対する「焚書坑儒」を断行したのだろうか。香港メディアと香港人、さらに中国大陸の人々に「共産党に対する挑戦や批判的な声を絶対に許さない」とし、絶対忠誠を要求する警告だ。国家安全法を通じて香港を完全に掌握し、大陸と異なる一国二制度の空間だった香港はもはや存在しないということを、「中華民族復興」の成果として掲げている側面もある。習近平指導部は、中国が西欧列強から受けた恥辱の年月を終え、中国共産党が外勢を追い出す時代が来たことを示そうとしている。秦の始皇帝が批判的な学者を殺し、本を燃やした「焚書坑儒」は、批判を押さえつけることはできたが、人々の心はつかめなかった。蘋果日報が廃刊した日、香港のインターネットで広まった文章は次のとおりだ。「彼らはりんご(蘋果)を消し去ったと考えているだろうが、彼らは、その種が私たちの心にすでに根付き、私たちがりんごの木を育てているということは知らずにいる」