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[特派員コラム] もう一つの7月1日――香港返還から24年

登録:2021-06-18 12:54 修正:2021-06-18 13:50
チョン・インファン|北京特派員

 今年7月1日、共産党結党100周年を控えた中国は、記念行事の準備の真っ最中だ。首都北京では、週末には天安門広場一帯の交通を遮断し、行事の予行演習が行われている。中国各地の革命遺跡地はいわゆる「レッドツーリズム」に出かける人でにぎわっている。

 7月1日はまた別の記念日でもある。第1次アヘン戦争で敗れた清が1842年の南京条約によって英国に渡してから155年後の1997年7月1日、香港が中国に返還された。中国としては「恥辱の歴史」を終えた日だ。

 約5年前の2016年6月2日、香港中文大学の学生会長だった周竪峰(Ernie Chow)さんは「香港経済ジャーナル」のインタビューに応じた。2014年、行政長官直選制を要求し79日間続いた「雨傘運動」に積極的に参加した彼は、その後、香港の独立を主張する「ローカリスト」になったという。

 「高校時代に先生につれられて初めて1989年天安門民主化運動流血鎮圧を追悼する6月4日のろうそく集会に参加した後、社会運動に関心を持つようになった。数多くの香港人が手にろうそくを持って一緒に歌う姿に深い感動を覚えた」

 集会が終わった後、彼は天安門民主化デモに関する資料を調べ始めた。「ろうそく集会に参加しない理由はなかった。当時は自分自身を『中国人』だと思っていた」と語った。

 その後、毎年6・4ろうそく集会に参加するなかで少し違う考えが頭をもたげ始めた。毎年同じように「哀悼」ばかりしているという感じだった。彼は「雨傘運動を経て、自分は中国人ではなく香港人だというアイデンティティが生まれた」とし、「もう中国の民主化は香港人の政治的義務ではないという結論に至った」と話した。彼は2014年以後、ろうそく集会の参加をやめた。

 同じインタビュー記事には、当時支聯会常任委員活動を始めた弁護士の鄒幸彤(Tonyee Chow Hang-tung)さんも登場する。彼女はまだ4歳だった1990年、両親につれられて初めて6・4ろうそく集会に参加した。その後、毎年ろうそく集会への参加を欠かさなかった。英国留学時代には、寮の部屋で香港島のビクトリア公園で開かれるろうそく集会の生中継画面をつけて、一人でろうそくを掲げたほどだったという。

 「香港人が世界的レベルの問題に関心を持つのは、国家アイデンティティとは関係ないと思う。民族主義的な観点からろうそく集会を見るのは本土当局の考え方に近い」

 彼女は、香港人が自らを中国人ではなく香港人だと考え始めたのはかなり前からだという。「中国の民主化は香港と何の関係もないと言うのは、自分をだます行為だ」とし「中国が香港人の自由と権利を侵害しているのに、単純に隣りの国だと考えることができるのか」と問い返した。民主化のための闘いで、香港人は本土の人々と手を組まなければならないという話だ。

 彼らのインタビューから3年後の2019年6月4日のろうそく集会直後、香港で送還法反対デモが始まった。周竪峰さん、鄒幸彤さんらもデモ隊の一番先頭に立った。その後の状況はすでによく知られている。送還法が廃棄され、汎民主陣営が区議会選挙で圧勝したが、中国当局が直接乗り出して「香港版国家保安法」を施行し、すべてが変わった。 昨年30年目にして初めて禁止されたろうそく集会は、今年も開かれなかった。

 周竪峰さんは4月末、カナダに亡命した。送還法デモ当時、立法会占拠の座り込みに加わった彼は、いつ逮捕されるか分からない状況だった。鄒幸彤さんは今年6月3日、禁止されたろうそく集会を宣伝・広告したとして逮捕されたが、保釈で釈放され、裁判を待っている。香港返還24周年が目前に迫っている。

//ハンギョレ新聞社

チョン・インファン|北京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/999802.html韓国語原文入力:2021-06-18 02:37
訳C.M

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