検察総長(日本の検事総長に当たる)が退任直後に政治家に転身する事例は、外国でもあまり見られないが、旧ソ連から独立した新生国エストニアで最近、そのようなことが起きた。昨年検察総長から退いたラブリ・ペーリングは年末に保守野党「祖国」(Isamaa)に入党する意思を明らかにした。今年秋に行われる地方選挙で首都のタリン市長選挙に出馬する可能性も排除していない。
ペーリングは検察総長を辞任した後、検事としては退職状態だったが、欧州連合(EU)との司法協力事業への参加を理由に、検察庁所属として残っていた。エストニア検察庁倫理委員会は、ペーリングの特定政党支持を「非倫理的行為」と判定した。後任の元判事、アンドレス・パルマス検察総長も「ペーリングの行為は現在実質的に検事の役割を果たしているかどうかにかかわらず、検察の原則に反する」という見解を示した。議論の中でペーリングは今年2月、「祖国」に公式入党した。その直前、検察総長が辞任後直ちに政界に入門するのが不適切だという指摘に対し、ペーリングはメディアとのインタビューでこのように答えた。
-検察に「政治的」というレッテルが貼られるのを元同僚の検事たちが恐れていることを認めるか。これは敏感な問題だが。
「全くその通りだ。検察は独立的であるだけではなく、そのように見えなければならないという原則は正しい。しかし、私が検察の評判を傷つけたとは思わない」
辻褄の合わない答えだ。彼女が言及した原則は、EUの基本権憲章にも明示されている。「検事は独立的で中立的でなければならず、そう“見えるためにも”最善を尽くさなければならない」。これに照らしてみると、検事、特に検察内の影響力が大きい検察上層部ほど、退職後の行動が重要だ。退任後、政治に携われば、現職時に指揮した捜査・起訴まで“政治色”を帯びかねない。自らの政治的野望のために捜査・起訴権を恣意的に活用したという疑念を招く。さらに、その後の検察の一挙手一投足までもが政治的行為として疑われる恐れがある。「公正な法執行者」としての検察の評判は地に落ちてしまう。エストニア検事総長室はこれに関する書面インタビューに対し、「我々はペーリングの行為について明確な立場を示した。エストニア検察は中立性と独立性に非常に高い価値を置いている。世論がその必要性を感じるなら、退職した検事の政治活動を一定期間禁止することに反対しない」と答えた。
2300人の検事の頂点に立ち、上意下達式で指揮するとともに、類例を見ないほど強力な捜査・起訴権を振るう韓国の検察総長の“原則の破壊”がもたらす否定的波及力は、検事数170人の小国エストニアと比べ物にならないだろう。にもかかわらず、ユン・ソクヨル前検察総長の政治的動きに対する検察内部の批判が、今になって、それもたった1人の声で表出したのは、怪訝な現象と言わざるを得ない。大邱(テグ)地検安東(アンドン)支部のパク・チョルワン支庁長は先月31日、検察内部ネットワークに「前職総長の政治活動は法秩序を守るための機関である検察の政治的中立と独立性に対する国民の念願と矛盾しているように見える」という書き込みを残した。彼は「恐怖心がこみ上げてくる」と語った。他の検事たちは今の状況に何の恐怖も感じていないのだろうか。
この問題は原則だけの問題ではない。まもなく現実の問題になるかもしれない。大統領選挙の局面に入れば、候補陣営間の法的争いが起こり、検察の事件処理が選挙に影響を及ぼすことも多くなる。過去の大統領選挙でも検察の“活躍”が目立った。2007年、李明博(イ・ミョンバク)候補の道谷洞(トゴクドン)の土地と「ダース」の実質的なオーナーをめぐる疑惑捜査が代表的な事例だ。当時、検察は大統領選挙を2週間後に控え、「ダースがイ候補の所有と言う証拠がない」として、嫌疑なしの処分を下した。検察の結論がでたらめだったことは、昨年10月、ダースが李明博元大統領の所有という最高裁の確定判決で公認され、この事件は選挙シーズンの不公正な政治捜査の典型的な事例となった。
ユン・ソクヨル前検察総長が候補に立候補した場合は、どうなるだろうか。検察の選挙関連事件の処理が公正なものとして信頼を受けられるだろうか。民主的選挙過程の公正性まで歪曲されるのではないか。元検察総長が出馬した大統領選挙の嵐を経験した市民が、その後、政治的事件に対する検察(捜査)の結論を信じられるだろうか。検察は「ユン・ソクヨルによる(負の)遺産」を、決して消えない烙印としてずっと抱えていかなければならない。これは公正と正義という時代精神はもとより、政治的中立性を命とする検察制度の存立を危うくする深い泥沼になるだろう。