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[寄稿]私の「親日」

登録:2021-04-01 02:05 修正:2021-04-01 07:28
チョン・ビョンホ|漢陽大学文化人類学科名誉教授
2006年8月21日、北海道浅茅野の日本軍の飛行場工事に強制動員され犠牲になった朝鮮人の遺骨を共同で発掘する韓日の若者たち=チョン・ビョンホ提供//ハンギョレ新聞社

 ソウルオリンピック開催前年の1987年、快晴の秋のある日、大阪市の生野地域で小さな祭りが開かれた。そこに住む在日同胞たちが「民族文化祭」という名を掲げて一日を楽しむ。そんな行事だった。プンムルペ(農楽隊)が路地を練り歩く。まだ不慣れな腕でチャング(太鼓の一種)やクェンガリ(鉦)を打ち鳴らしながら涙を流す人もいた。当時は差別を恐れて、このように表立って遊ぶことはできなかったという。

 その日の祭りのために借りた日本の小学校の運動場では、様々な民俗公演やマダン劇(野外で行われる芝居)が行われていた。その片隅には小さな動物園があった。特別な動物ではなく、鶏、豚、子牛、羊、山羊、ウサギ…。農家が飼っている家畜だった。麦わら帽子をかぶったおじいさんが、子馬に子どもたちを一人ずつ乗せ、朝鮮半島の地図が描かれた白い線に沿って一周しながら話しかける。「君たちは統一した祖国の南と北を思いきり行き来して生きるんやで!」近郊で農業をしているという日本人、華房良輔だった。

 私は彼に、なぜこんなことをしているのかと尋ねた。「日本の代わりに分断された朝鮮に申し訳ない気持ち」のためだという。太平洋戦争時に軍国少年だった彼は朝鮮人、中国人を蔑視することを「大和魂」だと学んだが、「だまされた」ことを敗戦後に知り、自分たちが傷を負わせたすべての人々に申し訳ない気持ちから、何か役に立つことをして生きることを決めたという。NHKでテレビの構成作家をしていたが、今は農業共同体を作り農業体験教室を開いているという。民団と総連に分裂している同胞社会の子どもたちが一緒に夏のキャンプを開くというので、ボランティア教師として手伝ったのだった。

 日本の子どもたちも参加した夏のキャンプで最も印象的だったのは、子どもたちに鶏を絞める体験をさせたことだった。日本人同士でも、動物を殺す「汚れた行い」をしていたかつての「白丁(ペクチョン、ペクチャンとも。朝鮮で最下層の身分に置かれた人々)」出身者を「部落民」と呼んで依然として差別しているからだった。農業は命を育むものだが、命を奪うものでもある、とまず教えた。肉だけでなく、米、麦、野菜すべてが命であり、我々はそのような命をいただいて生きていく命なのだと。他の命を大切に思い、ありがたくいただく方法を学び、人同士は尊重し合い、共に生きる方法を身につけなければならないと言った。反日精神に満ちていた私の妻は、あのような方とは直接話してみたいと言って日本語を学び始めた。数年前、彼は「お先に逝きます。ゆっくり楽しんできてください」という短い別れの言葉を残してこの世を去った。やがてその後を追うことになる私は、今日も彼を懐かしむ。

 日本には、大好きな古い友人もいる。北海道の田舎にある小さな寺の和尚、殿平善彦だ。初めて彼の保育所を見に行った時、子どもたちは裸足で泥遊びをしていた。彼は私を山奥のシラカバの森に連れて行き、まだその下に埋まっている、帰れなかった強制労働の朝鮮人犠牲者たちに会わせてくれた。私より10歳上。歳の離れた兄貴格の彼と「兄おとうとではなく、友だち」として過ごして30年が過ぎた。日本式や韓国式に兄おとうとということにすると序列意識が生まれるので、そうすることにした。あだ名で呼び合い、敬語を使わず話しながら、これまで多くのことを共にしてきた。

発掘された遺骸を故郷の地に連れ帰る、2015年9月17日に行われた「70年ぶりの帰郷」追悼式で。献花する殿平さんとチョン・ビョンホ教授=チョン・ビョンホ提供//ハンギョレ新聞社

 我々2人の縁が架け橋となって、1997年からの20年あまり、韓国と日本の数多くの若者たちが共に強制労働犠牲者の遺骸を発掘してきた。収拾された遺骸のうち、本籍が南韓にある115人は、70年ぶりに故郷の地に戻ってきた。しかし、北朝鮮地域が本籍のケースはいまだ帰れていない。その遺骸を遺族たちに返すために、殿平さんは2度にわたって平壌(ピョンヤン)を訪れた。北朝鮮当局には真摯な関心がなかった。小さな市民団体の一人の僧侶が遺族を探し出して遺骨を返そうとしているという、そんな「おめでたい」話は相手にしてくれなかった。日本政府や企業の謝罪や補償があればともかくだ。そのような事実を知りながらも、可能性のないその仕事のために再度平壌を訪れ、誠意を尽くして説明した末、成果なく帰ってきてから数日体調を崩した。このように愚直な彼が、私は大好きだ。

 数十年の間、一途な彼の真心に感動してきた韓国と日本の若者たちは、彼を通じて歴史的な傷を辿り、癒す方法を学んだ。特に、日本社会で差別されて傷ついた在日同胞の若者たちは、彼を通じて日本人に対する信頼と希望を取り戻したという。日本は一つではない。加害と被害の歴史を越え、ともに真実を究明するために心を一つにした仲間たちは、互いの言語を学び、国境を越えて協力し、生きる方法を学んでいる。私はこんな日本人たちに親愛の情を抱く。真実は、真の和解と友情の出発点である。

//ハンギョレ新聞社

チョン・ビョンホ|漢陽大学文化人類学科名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/988981.html韓国語原文入力:2021-03-31 14:39
訳D.K

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