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[寄稿]70年の悪夢、朝鮮戦争と原子爆弾

登録:2020-12-14 02:34 修正:2020-12-14 08:17
米国が原子爆弾を使うかもしれないというニュースは瞬く間に朝鮮半島に広まった。原子爆弾が落ちれば皆死ぬという恐怖感もじわじわと広がった。きのこ雲から逃れようとする避難民が増え始めた。今からちょうど70年前、興南(フンナム)埠頭に群がっていた避難民の頭上にも、その恐怖感が漂っていた。

 「これまで通り、我々は軍事状況に対処するために必要なあらゆる措置を取るつもりです」

 「それには原子爆弾も含まれるのですか?」

 「我々が保有するあらゆる兵器を含みます」

 「大統領は『我々の保有するあらゆる武器』とおっしゃいました。では原子爆弾の使用を積極的に考慮なさっているということですか」

 「原子爆弾の使用は常に積極的に考慮しています。原子爆弾の使用は見たくはありません。それは醜悪な武器であり、この侵略と何ら関係のない罪のない男や女、子供たちに使われてはなりません」

 その翌日に当たる1950年12月1日付の『ニューヨーク・タイムズ』は1面トップに「大統領、必要ならば韓国で原子爆弾を使用すると警告」との見出しを付けた記事を掲載した。70年前、朝鮮半島は緊迫した状況に置かれていた。戦争の渦中にトルーマン米大統領が核兵器の使用もありうると示唆したことは、全世界を驚愕させるに十分だった。米国はわずか5年前、日本の広島と長崎に原子爆弾を投下していた。この恐怖の兵器をまたしても使うかもしれないというトルーマン大統領の発言に驚いたのは、米国と戦争をしていた中国と北朝鮮だけではなかった。米国の同盟国である英国のアトリー首相は、直ちにワシントンに飛んでトルーマン大統領と首脳会談を行い、核兵器の使用を引き止めたほどだった。

 トルーマン大統領が記者会見で述べた発言は、口先だけの言葉ではなかった。マッカーサー司令官の下で米極東空軍司令官だったジョージ・ストレートマイヤー将軍は、12月1日の日記に軍内部の動きを記録している。「米陸軍省作戦研究室所属のエリス・ジョンソン博士が来週中に、地上軍を近接支援するための原子爆弾使用の可能性と効果について批判的に分析した研究結果を、極東軍司令部に提供すると提案した」。4日には統合参謀本部が国防長官に「米国がすでに保有している原子爆弾を使用することが、米軍の惨事を防止する唯一の物質的手段になるという状況が、韓国で起きる可能性もある」という内容を含む備忘録を提出した。

 実際に米政界には、それ以前から原子爆弾の使用を主張する声があった。1988年に民主党のデュカキス大統領候補の副大統領候補となったロイド・ベンソン下院議員(民主党)は、朝鮮戦争初期から核兵器の使用を主張していた。北朝鮮軍が1週間以内に退却しなければ、米空軍の原子爆弾攻撃を受ける主要都市を1週間以内に空けなければならないだろうと威嚇すべきと強弁したのだ。オーウェン・ブリュスター上院議員(共和党)も、大統領が核兵器の使用権限をマッカーサー司令官に移譲し、戦況に応じて使用できるようにすべきと述べている。

 では、トルーマン大統領はなぜ11月30日にこのような発言を行ったのか。

 それは当時の戦況のせいだった。朝鮮戦争に投入された中国軍第9兵団が11月27日に、米海兵隊第1師団に対して一斉攻撃を開始した。2万5000人の米軍兵士が退路を完全に断たれた。彼らを幾重にも包囲している13万人の中国軍と対峙せねばならなかった。想像を絶する寒さとも戦わねばならなかった。厚い防寒服を着込んでいても凍傷患者が続出し、外に長く置くと潤滑油が凍りついてしまうためM1小銃がまともに作動しなかった。

 ワシントンは緊張した。すでに中国軍の第1次攻勢で大きな被害を受けていた。西部戦線で韓国軍第1師団第3大隊の兵力800人のうち、600人あまりが戦死または行方不明となる打撃を受けていた。また、米第1騎兵師団第8連隊第3大隊が中国軍に包囲され、全員が捕虜となる事態も発生していた。隷下の部隊が敵に完全包囲されている状況を知りつつも、ホバート・ゲイ第1騎兵師団長は師団の撤退を命令した。米軍史上類を見ない恥辱だった。しかし海兵隊第1師団は、それよりも悪い状況に直面していたのだ。

 危機的状況は劇薬の処方を求めた。すでに11月20日に米陸軍参謀総長コリンズが備忘録で予想していた通りだった。「中共軍の明白な朝鮮戦争介入と、国連軍司令部司令官と戦うさらなる兵力投入の可能性が、再び国連軍が原子爆弾を使用する可能性を生じさせる」

 米国が原子爆弾を使うかもしれないというニュースは瞬く間に朝鮮半島に広まった。原子爆弾が落ちれば皆死ぬという恐怖感もじわじわと広がった。きのこ雲から逃れようとする避難民が増え始めた。今からちょうど70年前、興南(フンナム)埠頭に群がっていた避難民の頭上にも、その恐怖感が漂っていた。決死抗戦を叫んでいた北朝鮮の指導部の恐怖感はさらに強烈だった。米空軍の飛行機が上空を飛ぶたびに震えあがった。その恐怖感は結局、核兵器開発の原動力となった。そして朝鮮半島は、いまだに1950年の悪夢をふり払えずにいる。

//ハンギョレ新聞社

ソ・ジェジョン|国際基督教大学政治学・国際関係学デパートメント教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/973996.html韓国語原文入力:2020-12-13 17:13
訳D.K

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