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[コラム]2012年の“政治家・文在寅”が注目した「公平と正義」

登録:2020-09-24 06:42 修正:2020-09-24 08:53

8年前、大統領候補の指名受諾演説に「機会の平等、過程の公正、結果の正義」を必ず加えてほしいと言ったとき、政治家・文在寅はどのような平等と正義、公正を念頭に置いていたのだろうか。今、大統領と若者たちの考える公正は具体的にどのような姿なのか、違いがあるなら、その隔たりをいかに埋められるのか、若者たちの声に直接耳を傾け、共感し、時には説得しようとする努力が重要だ

文在寅大統領が今月19日午前、大統領府の緑地院で開かれた第1回青年の日記念式典で演説した後、壇上から降りている/聯合ニュース

 BTS(防弾少年団)が「意地と情熱」を語り、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が「公正」を37回も言及した第1回青年の日の行事は、期待したほどの評価は得られなかったようだ。野党と保守系メディアのとげとげしい非難はさておき、「琴線に触れることもなく、やや空虚な感じだ」という正義党のチャン・ヘヨン議員の感想はかなり痛烈だ。式典を準備したタク・ヒョンミン儀典秘書官は、2039年に同じ行事を進行する「未来の演出者」に手紙まで書いて意味づけようとしたが、20年後を気にするほど今の現実は簡単ではない。

 それでも「すべてを成し遂げることはできないかもしれないが、公正は現政府の揺るぎない目標」だと語った文在寅(ムン・ジェイン)大統領の演説に偽りはないと、私は信じている。公正が時代のキーワードに浮上するずっと前から「公平と正義」を語ってきた政治家・文在寅の態度からそれを読み取ることができる。

 「機会は平等で、過程は公正で、結果は正義に見合うことになるでしょう」

 2017年5月に述べた文大統領の就任演説の一部だ。今はあまりにも有名になり、激しい政争の素材として引用されるこの文言を、政治家・文在寅が初めて使ったのは8年前の2012年だった。同年9月、民主統合党の大統領候補に指名された文在寅は、候補指名の受諾演説でこのように述べた。「普通の人々が共に機会をつかめる国、常識が通じ、権限と責任が比例する社会、力のない人に寛大で、力のある人に厳しい基準が適用される社会、出馬宣言の際に市民が私に与えた“公平”と“正義”に対する要求です。私が大統領になれば、“公平”と“正義”が国政運営の根本になるようにします。機会は平等になり、過程は公正になり、結果は正義に見合うものとなるでしょう」

 当時演説文を書いたのはユン・テヨン元大統領府広報首席だった。草案にはこの文言がなかったという。ユン元首席が送った演説文の草案を見た文在寅候補側が「大統領になれば、機会の平等、過程の公正さ、結果の正義という国政運営の原則を立て直す」という部分を加えてほしいと要請したという。表現が少し変わっただけで、その中心となるコンセプトは、その頃政治に足を踏み入れたばかりの文在寅の考えから出たと推測できる。チョ・グク前法務部長官をめぐる論議はもちろん、チェ・スンシル、チョン・ユラの国政壟断、特恵事件が明らかになるずっと前のことだ。「公正」を掲げた文大統領の演説を、野党が主張するように「偽りと偽善」または「幽体離脱話法(生きている人間の肉体を霊魂が抜け出すように、当事者意識や責任感に欠き、物事を他人事のように語る話法)」と非難できないのも、そのためだ。

 気になるのは、まさにその地点からだ。8年前に大統領候補指名の受諾演説に「機会の平等、過程の公正、結果の正義」を必ず入れてほしいと言ったとき、政治家・文在寅はどのような平等と正義、公正を念頭に置いていたのだろうか。彼が国政運営の根本にすると言っていた「公平と正義」は今、若者たちが失望して憤る「公正」と何が同じで、何が異なるのだろうか。

 数日前の青年の日の演説を見ると、その変化と違いに関する一筋の示唆点がうかがえる。文大統領は「時には一つの公正が他の不公正を招くこともあった」とし、正規職と非正規職の差別解消が一方では機会の扉を閉ざすように思えるという点を挙げた。このような部分で、文大統領は自分が考えた公平と正義が若者たちの公正の要求とは異なると感じているようだ。一理ある話だ。

 しかし、大統領はなぜ直接若者たちと会って対話し、討論し、このようなことを説明しないのだろうか。「若者たちの言う公正の要求が何なのか分かっている」だけでは問題を解決することは難しい。大統領と若者たちの考える公正は具体的にどのような姿か、違いがあればその隔たりをいかに埋められるか、若者たちの声に耳を傾け共感し、時には説得しようとする努力がより重要だ。どの政治家よりも先に「公平と正義」の価値に注目し、国政運営の根本にすると語った文大統領が、実際の国政運営の過程ではそのための直接的なコミュニケーションを取るのに消極的に見えるのは残念だ。

 任期序盤、文大統領の高い支持率は真摯な態度と共感の姿勢から出たことを思い出してほしい。就任直後、光州(クァンジュ)民主化運動記念式に出席し、5・18遺族を抱きしめた大統領の姿から、国民は光州の悲劇に対する姿勢と思いを感じ取ることができた。ところが、第1回青年の日に若者たちと直接会い、彼らの話を聞いて慰労する姿が見えなかったのはなぜなのか分からない。新型コロナのせいでタウンホール・ミーティングやビアホールで直接顔を合わせるのは難しくとも、アンタクト(非対面)方式でいくらでも国民と直接会える道は開かれているからだ。

//ハンギョレ新聞社
パク・チャンス先任論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/963368.html韓国語原文入力:2020-09-2402:10
訳H.J

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